エピソード23 カエルの奇跡と、朝焼けの告白
使い魔ケロ吉を包囲する衛兵は、精鋭のソードマスターを含めて計十一人。
「――ミラさん、息を合わせて!」
「オッケー、いつでもいけるわよ!」
物陰から飛び出すと同時に、カノープスは懐から『スリープ(睡眠)』のスクロールを展開し、極小の詠唱で発動させた。不可視の睡眠魔術の奔流が衛兵たちへと襲いかかる。
「――くっ、『コーション(警戒)』ッ!!」
即座に反応したソードマスターと、熟練度の高い一部の兵たちが身構える。しかし、完全に不意を突かれた形となった、スキルの甘い五人の衛兵がその場にバタバタと崩れ落ち、深い眠りへと落ちていた。
「ま、またあのカエルが魔法を使いやがったぞ!」
「距離を置け! 用心しろ!」
倒れた同僚の姿を見た残りの衛兵たちは、完全に「ケロ吉が魔法を放った」と誤認し、再びケロ吉から怯えるように距離を取った。
残る敵は、ソードマスターを含めて六人。
すかさず、隣のミラが不敵な笑みを浮かべて前に出る。その細い指先から、今度は『チャーム(魅了)』のスクロールが解放された。
鮮やかな桃色の魔力が回廊を駆け抜ける。すると、強固な精神防御を持つソードマスター以外の衛兵たちの目の色が、ドロリとした熱を帯びた輝きへと一変した。彼らがトロンとした目で見つめるその先には――健気に佇むケロ吉の姿があった。
「……は、ハァハァ。おい、よく見ると……あのカエル、なんて、なんて可愛いんだ……!」
「ああ……抱きしめて、守ってあげたい……!」
「なっ!? お前たち、何をトチ狂ったことを言っている! しっかりしろ!!」
ソードマスターが必死に叱咤するが、ケロ吉のあまりの(チャーム補正された)愛らしさに骨抜きにされた衛兵たちの耳には届かない。
完全に『コーション』の警戒が緩みきったその一瞬の隙を、プロのくノ一が見逃すはずがなかった。ミラはふっと艶やかに微笑むと、手際よく二枚目の『スリープ』のスクロールを重ねがけで発動した。
「じゃあね。良い夢を」
パァン、と魔力の粒子が弾け、メロメロになっていた衛兵たちが全員、幸せそうな顔のまま床へと頽れていく。
「な、何なんだ……! なんて恐ろしい化け物だ……!!」
部下たちが全滅し、たった一人残されたソードマスターは、目の前のケロ吉を「国を滅ぼすレベルの魔獣」か何かのように凄まじい形相で身構えた。
――その時、彼の意識は完全に前方へと集中していた。すなわち、背後は完全なる無防備。
気配、呼吸、そして存在の全てを完璧に消し去り、ソードマスターの死角へ音もなく回り込んでいたカノープスが、闇から滑り出るようにその背後へと現れた。
ミルキーウェールズの名門・チュワートス家に代々伝わる一撃必殺の暗殺術。カノープスは一切の容赦なく、鋭利な風を纏わせた手刀を、ソードマスターの首筋へと正確無誤に叩き込んだ。
ゴンッ、と鈍い音が響き、ソードマスターは白目を剥いてその場に崩れ落ちた。
「ふぅ……。お見事ね!」
ミラが軽やかに駆け寄り、カノープスに称賛の声をかけた。カノープスもまた、マスクを少し下げて息を整えながら、ミラへ感嘆の眼差しを返す。
「いえ、このチャームも凄いです。『コーション』を付与して警戒している衛兵を、術の上から完璧に魅了してしまうなんて……」
「ふふ、私のチャームは特別製よ。…まあ、でも。このカエルちゃんが元々、とっても可愛かったおかげかもしれないけれどね」
ミラに褒められたケロ吉は、どこか得意げに「ゲコッ」と喉を鳴らした。カノープスは「グッジョブ、よく頑張ったな」とケロ吉の頭を優しく撫で、そっと温かい懐の中へと戻した。
「――これ以上の長居は無用です。撤収します!」
二人は再び影へと姿を変え、侵入してきた特権寺院の地下通路を辿って、一気に帰路へと就いた。
迎賓館へと向かって夜の街を疾走する最中、ふと見上げた夜空の端が、ゆっくりと白み始めていることに気づく。
二人が誰にも見咎められることなく、無事迎賓館の客室へと滑り込んだその瞬間、窓の向こうから、燃えるようなオレンジ色の鮮やかな朝日が地平線から力強く昇り始めた。
「……終わった、な」
すべての任務を完遂し、カノープスが張り詰めていた緊張の糸を解き、小さく安堵の息を漏らした、まさにその時だった。
カノープスの隣にいたミラが、どこからともなく一羽の白い伝書鳩を取り出した。そして、カノープスが声を上げるよりも早く、彼女はその鳩を窓の外、朝焼けの空へと向かって音もなく放ち、飛び立たせたのだ。
ミラはその軌跡を見つめながら、ぽつりと呟いた。
「…この時間なら、まだ軍の『鳩狩り(情報検閲)』の網には引っかからないわね」
あまりにも不審な行動。あまりにも手慣れた手際。
カノープスの脳裏に、隠密としての最大の警戒アラートが鳴り響く。
「――ミラさんっ!? 今、何をしましたか……!?」
カノープスの声音に、明らかな驚愕と警戒の色が混じる。せっかく無事に帰還したというのに、このタイミングで外部へ秘密裏に連絡を飛ばすなど、隠密としてあまりにも不自然で不審な行動だ。
カノープスの鋭い視線を受けながらも、ミラは至って冷静だった。
彼女は懐から、カノープスにとっても既に馴染み深いものとなった、あの『防音結界』のスクロールを静かに引き抜き、発動させた。
キィン……と、部屋の空気が密閉され、外部の音が完全に遮断される。
結界の淡い光に照らされながら、ミラはゆっくりとマスクを外した。朝日に照らされたその素顔は、いつになく真剣で、どこか切なげな大人の表情を浮かべている。
ミラは静かに唇を開き、真っ直ぐにカノープスを見つめて言った。
「――さあ。ここからは、待ちに待った『告白タイム』ね。カノープス君」
外界から隔離された静寂の部屋の中で、ミラの凛とした声だけが、重く優しく響き渡るのだった。
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