エピソード20 スピンオフ短編:奇妙な使い魔と、神速のアンロック
午前3時5分――特権寺院を囲む巨大な堀の外側に、二つの影が音もなく滑り込んだ。
カノープスは夜闇に目を凝らし、事前に徹底して調べ上げておいた衛兵の巡回ルートの「わずかな死角」を完璧に見極める。
「……今です」
密やかな合図と共に、二人は風のように堀を飛び越え、敷地内へと潜入。そこからさらに、ミルキーウェールズ諜報機関が独自に突き止めていた古い地下通路へと滑り込んだ。冷たく湿った暗渠を影となって駆け抜け、寺院の内部へ。
幾重にも張り巡らされた衛兵の目を神業のような身のこなしで掻い潜り、カノープスとミラは、ついに目的の『賢者の書』が安置されている宝物室を望む、静まり返った廊下の物陰へと辿り着いた。
宝物室の重厚な扉の前、その入り口を厳重に守る衛兵は二人。
隣に潜むミラが、声を出さずに素早く唇を動かした。読唇術による密やかな問いかけだ。
『――私の計画では「スリープ(睡眠)」の魔術スクロール(巻物)を使って、二人同時に眠らせて無力化する予定だったけれど。……カノープス君、どうする?』
(衛兵達の背後を取れる死角もないな……)
カノープスは短く唇を動かして返す。
『――自分も、全く同じ方針です。……いきますよ』
懐から取り出したスクロールを広げ、カノープスは極小の声で発動のキーワードを紡いだ。
「――『スヤスヤ』!」
刹那、スクロールから解放された不可視の睡眠の魔力が、二人の衛兵へと襲いかかる。
呪文の直撃を受けた左側の衛兵は、武器を握ったまま音もなく崩れ落ち、深い眠りへと落ちていった。だが――。
「――『マインドリセット(精神回復)』ッ!」
右側の衛兵が、凄まじい精神力と共に自らの術を発動させ、脳を侵食しかけた睡眠の呪縛を力技で破り捨てたのだ。カノープスの目が、マスクの奥で驚愕に細まる。さらに衛兵は間髪入れずに吠えた。
「――『コーション(警戒)』!!」
その硬質な声を聞いた瞬間、カノープスの脳裏に冷たい戦慄が走った。
(ソードマスター……!? 馬鹿な、この時間帯は唯一、高位剣士であるソードマスターが配置に就かない、警備の『空白の時間』だったはずだ……!)
カノープスは急速に思考を巡らせる。『コーション』は剣士系のジョブすべてが取得できる汎用スキルだが、その効果――精神干渉系の魔術を遮断する強度は、発動者の熟練度によって天と地ほどの差が出る。
いま眼前にいるのは、一瞬でスクロールの睡眠術をねじ伏せた本物の手練れだ。このレベルのソードマスターに、アークウィザード級の直生魔法ならいざ知らず、魔力を固定化したスクロール程度で再度『スリープ』を掛けたところで、完全にレジスト(無効化)されるのは目に見えていた。
(あの激動の政変の最中、新皇帝レグルスは特権寺院の衛兵シフトを即座に変更し、唯一の『穴』を完璧に埋めてきたというのか……! なんて男だ……!)
猶予は数秒もない。
(――ケロ吉! 頼んだぞ!)
カノープスが手の中から放り出したのは、奇妙な模様をした使い魔ガエル――『ケロ吉』だった。
床に着地したケロ吉は、カエルの常識を遥かに逸脱した力強さで、なんと十メートル近くも上方へと大跳躍してみせた。そのあまりにも異様な光景に、警戒態勢に入っていたソードマスターの視線が完全に釘付けになる。
「な、何だ!? 怪しいカエルが出現したぞ! ソイツは魔法を使う魔獣の類だ! 用心して捕らえよ!」
ソードマスターの緊迫した大声に、周囲の回廊にいた他の衛兵たちまでもが一斉に集まってくる。彼らはケロ吉から絶妙な距離を取りつつ、慎重な足取りでその不気味なカエルを追跡し、宝物室の前から綺麗に遠ざかっていった。
(ナイスだ、ケロ吉。……さあ、時間がない!)
見張りがいなくなった宝物室のドアへ、カノープスは矢のように飛び出す。
すぐさま『罠探索スキル』と、自身の最高技術である『アンロックスキル・レベル3』を同時展開。指先を鍵穴にかざし、魔力の流れと同調させる。
カチ、カチカチッ――。
「――解除」
僅か五秒。驚異的な神速で警報装置を無力化し、強固なドアの開錠を完了させた。
カノープスはミラの手を引いて素早く室内へと滑り込み、音もなく扉を閉めると、室内側からガッチリと鍵を掛け直した。
部屋の中央には、禍々しいほどの魔力障壁に守られた、最高機密の保管ケースが鎮座していた。ロックレベルは、なんと国家最高機密を意味する『レベル5』。
「……ミラさん、周囲の警戒を。僕が開けます」
カノープスは額に汗を浮かべながら、ケースに仕掛けられた致死性のトラップを慎重に一枚ずつ剥がしていく。そして、持てるすべての集中力を注ぎ込み、『アンロックスキル・レベル5』を限界突破の精度で展開した。
静寂に包まれた室内。カノープスの指先だけが、複雑な魔導錠のパズルを高速で解き明かしていく。
三十秒、四十秒……、そして一分が経過しようとした、その瞬間だった。
パキィン――、と、美しく澄んだ結晶の割れるような音が室内に響き、頑強だった保管ケースの蓋がゆっくりと滑るように開いた。
「――やったわ、カノープス君!」
ミラの歓喜の声。カノープスもまた、ついに伝説の『賢者の書』の追加項を拝めるのだと、期待に胸を躍らせてケースの内部を覗き込んだ。
だが、そこに納められていたのは、歴史を記した古文書の類ではなかった。
「……なんだ、これ……?」
カノープスの口から、困惑の声が漏れる。
ケースの底で怪しげな光を放っていたのは――今まで見たことも、聞いたこともない、極めて禍々しく、そして精緻な構造をした『奇妙な魔道具』そのものだった。
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