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スピンオフ 忍者エージェントカノープス 賢者の書の秘密  作者: クワトロばなな


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エピソード19 隠密のポリシーと、マイ・レディへの口実

(……成果、ゼロ。いや、むしろマイナスか……?)

レグルス皇帝が連れてきた近衛兵のプリースト(聖職者)によって、ようやく全身の忌々しい麻痺の呪縛を解除されたカノープスは、迎賓館へと戻る馬車の中でひとり、深い溜息を吐いていた。

国家の運命を背負って挑んだはずの「プランAダッシュ(皇后私室への突入)」は、結果から見れば惨憺たる大失敗に終わったと言わざるを得ない。得られた機密情報は何も無く、ただ若き新皇帝レグルスが実母から全権限を合法的に掌握するための「最高の舞台装置(お膳立て)」として、良いように利用されただけだった。

(……二度と、二度と『コイイモリ』なんて使うもんか……!)

懐に残る惚れ薬の丸薬を睨みつけながら、カノープスは心の中でそう固く誓った。

馬車が迎賓館へ到着し、重い体を執務室へと運ぶと、そこではミラの姿が待っていた。

アンドロメダ皇后が放ったアークウィザード級の麻痺魔術の後遺症は凄まじく、カノープスの身体には未だにピリピリとした不快な痺れと、強烈な倦怠感が残っている。そんなカノープスの痛々しい様子を見て、ミラは心配そうに眉をひそめて声をかけた。

「おかえり、カノープス君。……なんだか、向こうで色々と大変なことがあったみたいね。大丈夫?」

「――はい。命に別状はありません。問題ありませんよ」

カノープスは精一杯のポーカーフェイスを維持して応じた。さすがに「下着姿の皇后に馬乗りになられて観念しかけた」などとは、口が裂けても言えない。カノープスは壁の時計に目をやり、ミラに静かに申し出た。

「作戦の定刻まで、あと数時間ありますね。申し訳ありませんが、それまで少し休ませてください」

「うん、いいわよ。時間まで部屋でゆっくり身体を休めておいて」

ミラは深く追及することなく、実に快く、そして労わるような笑みを浮かべて承諾してくれた。

その優しさに触れた時、カノープスの胸の奥に、ある不思議な感情が芽生えた。

ミラはロメーダ帝国が送り込んできた、正体も目的も得体の知れない「監視役」のくノ一だ。本来ならば、最も警戒し、腹の探り合いをすべき相手であるはず。それなのに、今の自分は彼女に対して、どこか心置きのない深い信頼を抱いてしまっている。

(人と人との『繋がり』って、一体何なんだろうな……。お互いの素性をすべて暴き立てることではなく、ただ、目の前の相手を『信じる』と決めることから始まるのかもしれないな……)

そんな青臭い哲学を、今のミラに対して感じている自分がどこかおかしかった。

だが――それとこれとは話が別だ。

深夜3時に決行される「プランB(特権寺院への潜入)」において、ミラが提示してきた侵入ルートではなく、ミルキーウェールズ王国諜報機関が独自に立案した極秘ルートを採用することに、カノープスの心の中で微塵の揺らぎもなかった。

どれほどミラを信頼していようとも、自分はミルキーウェールズの隠密だ。自らの組織が用意した計画を遂行する。それこそが、隠密カノープスとしての絶対譲れないポリシーだったからだ。

やがて、夜の静寂が最も深まる午前2時を回りかけた頃――プランB決行の時間が訪れた。

「カノープス君。時間よ、行くわよ!」


ミラの鋭い声が客室のドア越しに響く。

カノープスはすぐさま漆黒の隠密装束へと着替え、周囲の気配を完全に断ち、音もなくバルコニーを越え、闇に紛れて地上へと舞い降りた。ミラもまた、夜風のように軽やかにその隣へと着地する。


目的の特権寺院へと続く暗い街路を、二つの影が疾走していく。

道中、カノープスは周囲に人の気配や帝国の結界の監視がないことを完全に確認すると、並走するミラに向けて、ついに本題を切り出した。

「ミラさん。……先に言っておきますが、今日はミラさんが立ててくれた侵入経路ではなく、僕が選んだ別の経路を使わせてもらいます」

その言葉を聞いた瞬間、ミラの足がピタリと止まった。

彼女は鋭いキャットアイでカノープスを睨みつけ、非常に不服そうに、今にも掴みかからんばかりの勢いで突っかかってきた。

「はあ!? どうしてよ!? 私の完璧な侵入計画を台無しにするつもり? 私のルートの方が確実に安全だって、前にも言ったはずだけど!」

プロのくノ一としてのプライドを刺激され、怒気を孕むミラ。しかし、カノープスは慌てることなく、マスク越しにフッと余裕のある笑みを浮かべてみせた。

「ミラさん。――『デート』で一番大切な目的は、計画通りに行動することではなくて、二人が楽しく過ごすことだと思いませんか?」

「…………え?」

ミラの言葉が詰まった。

深夜の冷たい空気の中に、一瞬、奇妙な沈黙が流れる。カノープスが口にした、昼間の「冴えない男」とは思えないほどの、あまりにもキザで、かつ妙に説得力のある大人の殺し文句。

数秒の後、ミラは呆れたように肩をすくめると、マスクの奥で観念したようにクスクスと笑い始めた。

「……カノープス君。あなた、このタイミングで、本当にうまいことを言うわね。いいわ、今回はあなたのその口の上手さに免じて、折れてあげる」

ミラは一歩カノープスに近づくと、楽しげに目を細めた。

「その代わり――選んだルートが泥縄だったら承知しないからね? 私のことを、しっかり最後までエスコートしなさいよ?」

そのミラの言葉に、カノープスは恭しく片手を胸に当て、夜の闇に紛れるほど優雅な一礼を捧げた。

「――お任せください、マイ・レディ」

信頼する最高の相棒を従え、カノープスは自らのポリシーが示す王国の隠密ルートへと、再び力強く地を蹴って闇の中へと駆け出していくのだった。

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