エピソード2 呪縛のプロローグ
浮かび上がった茶色の文字――『ロメーダ帝国に潜入し、賢者の書の秘密を掴むべし』。
その短い一行が意味する、計り知れない重圧と危険性を、シリウスは痛いほどに理解していた。
相手は、大陸最凶の軍事力と老獪な諜報網を保有する、あの油断のならないロメーダ帝国である。捕まれば、ただの死では済まない。国家を揺るがす国際問題となり、その身は闇に葬られる。
シリウスは苦渋の表情を浮かべ、絞り出すように言葉を発した。
「……カノープス君。私個人としては、無二の友人でもある君を、このような死地にも等しい危険な任務に赴かせたくはない。できることなら、今すぐ引き止めたい」
シリウスは拳を強く握りしめ、一度言葉を切った。その端正な横顔に、王族としての冷徹な影が差す。
「しかし……王位を継ぐべき者としては、この命令を撤回するわけにはいかないのだ。仮に、帝国が隠蔽している情報が『邪神龍』の復活や新たな大災厄に関する事柄であるとしたら……我が国の対応の遅れは、何千、いや、何万という無辜の国民の命を危険に晒すことになる。私は……君に残酷な命令を下さなければならない」
シリウスはカノープスを見つめ、痛切な眼差しで頭を下げた。
「友よ! 申し訳ないが……どうか、よろしく頼む」
その主君の、そして友の涙を堪えるような姿に、カノープスの胸は熱く震えた。彼は即座に姿勢を正し、曇りのない澄んだ声で答えた。
「殿下! どうかお顔をお上げください」
カノープスは静かに、しかし絶対の決意を込めて己の胸に手を当てた。
「このカノープス。ミルキーウェールズの地を、そして国民の笑顔を守るためならば、この命、とうの昔に捨てる覚悟はできております。……それに、自分には一族から受け継いだ隠密の技術があります。きっと無事に任務を遂行し、殿下の元へと戻って参ります。ですから、どうぞご安心ください」
主従を超えた二人の絆。
今にも涙腺が崩壊しそうになるのを必死で堪えながら、二人は言葉なく、互いの無事を祈るように熱い視線を交わし合った。
「……くれぐれも、無理はするなよ」
これ以上、友の顔を見ていれば情が移ってしまう。耐えかねたシリウスは、溢れそうになる涙を隠すように、すっと窓の外へと視線を向けた。
カノープスもまた、溢れる熱いものを抑えるように小さく下を向いた。
「――では、失礼します」
短く別れの言葉を告げ、カノープスは影のように静かに、生徒会室を後にした。
◇
重厚な木製のドアを閉め、廊下に出たカノープスは、そこで足を止めた。
そこには、沈痛な面持ちで壁に背を預けて控えている、副会長のルスカの姿があった。彼は、カノープスが出てくるのをずっと待っていたのだ。
ルスカはいつになく真剣な、そして友を戦場へ送り出すかのような熱い眼差しをカノープスに向け、静かに語りかけた。
「……カノープス。未だ若輩者の私には、国家を揺るがすような大事を知る由もない。しかし……お前が今、殿下からどれほど重大で、命がけの任務を仰せつかったのかは、その背中を見れば分かる」
ルスカは一歩前に出ると、カノープスの肩に優しく、しかし力強く手を置いた。
「影に生きるお前の戦いに、表の騎士たる私には、何一つ手助けできることはない。……だが、せめて、お前の無事を心から祈らせてくれ」
ルスカは自らの聖騎士としての魔力を練り上げ、親愛なる友のために、その純粋で濁りなき祝福の呪文を紡いだ。
「――『ラックアップ(幸運度上昇)』!!」
まばゆい聖なる光がカノープスの身体を包み込み、彼の運命に「大いなる幸運」の加護が付与される。
「……ありがとうございます、ルスカ副会長!」
ルスカのどこまでも真っ直ぐで、熱い友情に満ちたその祝福に、カノープスは深く感動していた。この幸運のバフさえあれば、どんな過酷な帝国の警戒網も、運を味方につけてすり抜けることができるはずだ――この時の彼は、心からそう信じていた。
「それでは、行ってまいります」
ルスカの激励を受け、カノープスは数々の温かい思い出が溢れる、愛すべきメレンヘア学園を後にした。国のため、友のため、必ずや生きて戻ると誓いながら。
王国の運命を背負った影の男の戦いは、こうして友の『幸運』と共に幕を開けたのだった。
ルスカ副会長の"ラックアップ"の効果は本編
ご先祖様が聖女様かどうかも疑わしい私が王子様達の獲物にされてます。の
14話、17話、22話、25話参照
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