エピソード14 極楽鳥のローブと、恐怖のサムズアップ
(……あー。父上。無理です。これ、僕たちがどうこうできる次元の人じゃありませんって……!)
アンドロメダ皇后が放つ、空間そのものを氷結させるような圧倒的な魔力とオーラ。カノープスがその絶望的な実力差に心の中で白旗を掲げ、生きた心地を無くしていた、その時だった。
隣に並ぶ父親――使節団長「ゼダル」が、微塵の気後れも見せることなく、極めて滑らかに、 そして堂々たる平伏の姿勢から言葉を切り出した。
「――皇后陛下におかれましては、相変わらずの息を呑むような美貌。お変わりなき御様子で、何よりに存じ上げます。このゼダル不遜ながらも、再び陛下とこうして御目文字叶いました栄誉に、歓喜で胸を躍らせておる次第です」
(っ!? この状況で、よくそんなキザな台詞がスラリと出てくるな……!?)
息子の驚愕を余所に、玉座に君臨する絶対的な支配者、アンドロメダ皇后はゼダルの言葉を聞くと、その冷徹だった氷の表情を僅かに緩ませた。
「ふっ……。そちも相変わらずじゃのう、ゼタル。私もこの平穏な宮廷で少々退屈していたところじゃ。お前のような小癪な男に再び会えたことは、素直に嬉しいぞ」
皇后の声音に、明らかな「親愛」の情が混じる。カノープスは、父親が過去の任務において、この帝国の最高権力者とどれほど深く、危うい信頼関係を築き上げてきたのかを察し、背筋に冷や汗が流れるのを禁じ得なかった。
「――で、そちの隣に控えておるその若者は、何者じゃ?」
エメラルドの鋭い眼光が、一瞬にしてカノープスへと向けられた。
(……きたっ!)
カノープスは全身の筋肉を硬直させる。ゼダルは我が子の背を優しく、しかし確固たる力強さで促すようにして応じた。
「はっ。この者は、私どもの愚息にてカノープス・チュワートスにございます。未だ若輩の身ではございますが、今後とも親しくお見知り置きいただければ幸いに存じます」
「ほう。……その者、表を上げよ」
皇后の短い格式高い命が下る。
カノープスは覚悟を決め、ゆっくりと顔を上げた。
視界に飛び込んできたのは、深淵たる深海を思わせる、冷たく、そして全てを見透かすようなアンドロメダのエメラルドの双眸だった。真っ直ぐに自分を射抜くその視線から、カノープスは「隠密」としてのプライドをかけ、決して目を逸らさずに必死で声を絞り出した。
「ゼダルの嫡男、カノープスにございます。……皇后陛下におかれましては、お初にお目にかかります。こうして拝謁の機会をいただき、至上の光栄に存じます。未熟者ではございますが、今後とも父共々、よろしくお引き立てのほど、お願い申し上げます……!」
徹底的に叩き込まれた完璧な礼儀作法を披露し、なんとか言葉を噛まずに紡ぎ切った。 だが、心臓は早鐘のように打っており、まさに生きた心地がしなかった。
皇后はカノープスを数秒間、品定めするように凝視していたが、やがて「良い挨拶じゃ」と短く言葉を漏らし、カノープスから視線を外して再びゼダルへと目を向けた。
「ゼダルよ。今日はただ、余への退屈しのぎの挨拶だけに来たわけではあるまい? 早々に用件を切り出したらどうじゃ」
見透かしたような皇后の言葉に、ゼダルは恭しく頭を下げ、不敵な笑みを浮かべた。
「はっ。さすがは皇后陛下、お察しの通りにございます。ただ、本題へ入ります前に、ぜひとも陛下にご覧いただき、受け取っていただきたい一品がございまして」
ゼダルが軽く手を挙げると、背後に控えていた従者が、漆塗りの豪奢な木箱から、目も眩むような美しさの一着の衣装を厳かに差し出した。
「我がミルキーウェールズ王国が誇る至高の宝――『極楽鳥のローブ』にございます。これを此度、皇后陛下への親愛の証として献上したく存じます」
その瞬間、周囲に控えていた帝国の重臣たちの間から、一斉にヒッと息を呑む音が漏れた。
極楽鳥のローブ――それは、一羽だけで中堅ウィザード一人が持つ総魔力量を保持すると謳われる、極めて希少な魔法生物の羽を、熟練の職人が一枚一枚丁寧に織り込んだ、まさに伝説級の装備品である。
その芸術的な美しさは言うまでもないが、恐るべきはその魔導効果だ。魔術の心得がない者が纏えば簡易な魔法が使用可能になり、アンドロメダのような卓越した心得がある者が装備すれば、その絶大な魔力量が『2割』も増大するという、文字通りの国宝級の一品。ミルキーウェールズ王国が、この外交にどれほどの本気度を懸けているかが、その一品だけで証明されていた。
極楽鳥のローブを目にしたアンドロメダの瞳が、歓喜の輝きを帯びる。
「……素晴らしい。ゼタルよ、お前は本当に私のことを、私が何を求めているかをよく理解しておるな。他国に置いておくのが、返す返すも惜しい限りじゃぞ」
「はっ。勿体なきお言葉、痛み入ります」
「良い。これほどの至宝を贈られて、お前を手ぶらで返して、我が帝国の恥とするわけにはいかぬなぁ。……用件は分かっておる。【賢者の書】のことであろう?」
「――お察しいただき、恐悦至極に存じます」
ゼダルの目が、隠密の長としての鋭さを増した。アンドロメダはローブを愛おしげに見つめながら、 淡々と、しかし決定的な言葉を告げる。
「賢者の書に『新たな項』が追加されたという噂が事実かどうか、その真偽についてはここでは定かではない、と答えておこう。……だが、仮にそれが事実であったとしても、そなたたちの王が恐れるような『邪神龍の復活』や『世界を滅ぼす新たな厄災』の類ではない。――ミルキーウェールズ国王には、枕を高くして安心召されよ、とそう伝えておくがよい」
「はっ……! 皇后陛下のご英断、ならびに大いなる慈悲に、深く感謝いたします」
ゼタルは深く頭を下げ、至高の感謝を述べた。
その後も、ゼタルはこの恐るべき氷の女王を退屈させないよう、軽妙洒脱な世間話を巧みに展開し、謁見の場を和やかな雰囲気のままコントロールし続けた。
平伏しながら、カノープスは父の手腕に驚嘆しつつも、冷静に状況を分析していた。
(父上のおかげで、賢者の書の追加項が『国民の命や世界の存亡に直結する危険なものではない』という、最低限にして最重要の確証は引き出せた。これ以上の外交交渉で、彼女からさらに深い情報を引き出すのは不可能だ……。だが、ならばなぜ、帝国はあれほど厳重に内容を隠し、特権寺院を封鎖しているんだ? 隠された本当の『目的』は何だ……?)
依然として残る深い謎。やはり、今夜午前3時の潜入作戦による「直接調査」は不可避である。
一通りの謁見が終わり、使節団の一団が退室しようと、カノープスが最後の一歩を踏み出しようとした、その時だった。
「――待て。ゼダルの息子、カノープスや」
背後からかけられた艶やかな声に、カノープスの心臓が跳ね上がった。振り返ると、アンドロメダ皇后がその妖艶な唇を妖しく釣り上げ、カノープスをじっと見つめていた。
「今宵の晩餐会が終わった後、我が私室からの使いの者をそなたの元へよこすゆえ、……大人の嗜みとして、私の部屋を訪れるが良いぞ」
「…………へっ?」
一瞬、思考が完全に停止した。
(使いの者をよこす……? 皇后の私室に……? ――いや, 待て!これってまさかの美少年認定!?)
生存本能の危機を感じ、カノープスは助けを求めるように藁にもすがる思いで、隣を歩く父親の方をバッと振り返った。
すると、父親であるゼタルは、カノープスに向けて、顔の横できっちりと――。
親指をビシッと立てていた。
『(よくやった息子よ、国のためにその美少年スキルで皇后を籠絡してこい!)』と言わんばかりの、満面の笑みである。
(グッジョブじゃあねーよ、クソ親父がああぁぁぁぁぁぁーーーーーっっっ!!!)
今夜午前3時のミラとの潜入作戦の前に、まさかの「ラスボス皇后からの個室お呼び出し(緊迫のお色気イベント)」という超ド級の爆弾が投下された。
カノープスは、己の貞操と国家の運命の天秤の重さに目眩を覚えながら、震える足で謁見の間を後にするのだった。
次回 帝国の姫君登場。
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