エピソード11 若き皇帝の違和感と、父親のウインク
「――遠路、ご苦労であった」
豪奢な大広間に響き渡ったのは、ロメーダ帝国の新皇帝レグルスの声だった。
その言葉が切り出された瞬間、カノープスは礼服の下で微かに眉を動かした。
(……ん? 声の調子が変わった……?)
謁見が始まった直後に感じていた、全身の肌を刺すようなあの圧倒的な威圧感が、綺麗に霧散している。カノープスはその奇妙な変化を、隠密としての並外れた聴覚と直感で見逃さなかった。
レグルス皇帝は、玉座からゼダルへと穏やかな視線を向ける。
「ゼダル、息災に変わりはないか」
「お気遣い、痛み入ります。皇帝陛下におかれましても、お変わりないようで何よりでございます」
慣れた様子で頭を垂れるゼダルの横で、レグルスの視線が今度はカノープスへと移った。
「……そなたは?」
「はっ!」
カノープスは一歩前に出ると、貴族の礼法に則り、完璧な所作で深く一礼を捧げた。
「お初にお目にかかります。ミルキーウェールズ王国外交官ゼダルの嫡男、カノープスと申します。以後、お見知りおきを」
「そうか。ゼダルにも、このような頼もしい世継ぎがおったのだな。今後とも、我が国とよろしく頼むぞ」
「有り難きお言葉。このカノープス、両国の永き友好と繁栄のために、今後とも一層精進し、努めて参る所存でございます」
カノープスが流暢な外交辞令を返すと、皇帝は満足そうに小さく頷いた。
「うむ。この帝都アルメキオンは歴史的建造物も多い。滞在している間、しばらくのんびりと街の探索でもするとよい。……余は、これで失礼する」
最後に、レグルスは「ゼダル、またな」と短く声をかけると、そのまま静かに大広間から退出していった。
パタン、と重厚な扉が閉まり、皇帝の後ろ姿を見送った後、カノープスは静かに思考の海へと沈んだ。
ロメーダ帝国の若き新皇帝レグルスといえば、近隣諸国からは「恐るべき英俊の天才」と噂されていたはずだ。だが、先ほどの短いやり取りから受けた印象は、お世辞にも覇気があるとは言えず、あまりにも『凡庸』すぎた。
(……あの男は、わざと凡庸な王を演じているのか? それとも、本物は別にいて、今のは巧妙に仕立て上げられた影武者なのか……?)
喉の奥に小さな骨が引っかかったような、なんとも言えない奇妙な違和感。レグルスという人物の底の浅さに、カノープスの隠密としての本能が激しい警戒信号を発していた。
◇◇◇
緊迫した謁見の間を退出すると、廊下にはロメーダ側の案内人であるセーラと、カノープスの監視役であるミラが静かに控えていた。
すると、前を歩いていたお父様――ゼダル最高司令官が、ふと振り返ってカノープスに話を切り出してきた。
「私はこれから、帝国の外交官たちと昼食を交えての最終的な擦り合わせ(会議)がある。……お前も出席するか?」
カノープスは即座に察した。やはり新皇帝との謁見は単なる儀礼的な「形だけ」のものであり、外交の本番は皇后。それに向けてのこれからの実務方との話し合いなのだ。
とはいえ、狸と狐が化かし合うような腹の探り合いは、昨日の夜の歓迎会だけで十分に胸焼けがしている。
「――いえ、ご遠慮させていただきます」
カノープスが短く断ると、ゼダルは待ってましたと言わんばかりに不敵に口元を歪めた。
「そうか。ならば、先ほど皇帝陛下からの許可も出ていたことだし、この辺りをゆっくりと散策してくるといい。ただし、十五時までには必ず迎えの馬車に戻るようにな」
(……『この辺りを探索しろ』。つまり、今回の任務以外の今後の本格的な隠密活動に向けて、今のうちに城の構造や警備の配置を私費で下調べしておけ、ということか)
司令官としてのゼダルの裏の意図を正確に読み取り、カノープスが小さく頷いた、その時だった。
ゼダルは、カノープスの背後に立つミラの方をチラリと盗み見ると、息子にしか見えない絶妙な角度で、極小の『読唇術』を使ってメッセージを送ってきたのだ。
(――ガ・ン・バ・レ・よ )
メッセージと共に、ゼダルお父様はパチンとこれ以上ないほど胡散臭いウインクをカノープスに飛ばした。
(……何をだ!!!!)
先ほどまでの皇帝への鋭いプロの考察はどこへやら、カノープスの父親に対する激しい内心のツッコミは、帝国の冷たい回廊に虚しく響き渡るのだった。
嵐の前の静けさか?
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