第二章 役立たずどころの騒ぎじゃない
▽勇者N:ヤバい。
▽天才魔術師黒猫:今朝配信されたニュースだろ? どうすんだよ、これ。
▽Kura☆友達募集中:見た見た! あれってやっぱりそういうコト……!?
▽へらへら:だろうね。場所、時刻、影響、どれを考えても昨日のぼくたちの行動と繋がってるもんねww
「笑ってる場合じゃないよおおぉ……」
今僕は、いつもよりも深く毛布を被りながらベッドの中で呻いていた。
薄暗い毛布の中で仮想ディスプレイだけが怪しく光る。僕はその画面をタップしておそるおそる今朝配信されたニュースをもう一度読み直していた。
『イラークの森でアンデッド系の魔物を発見。魔王の残党か?』
発見時刻は昨日の深夜頃だという。狼形のアンデッド系の魔物がイラークの森から出てきて、それを酒場から帰宅途中の冒険者たちが発見して討伐したのだという。
イラークの森は僕たちが昨日冒険オフ会をした森だ。深夜といえば僕たちが森から逃げ帰ってから数時間後。
その場所、その時間で、すでに存在しないはずのアンデッド系の魔物が闊歩していた。
アンデッド系の魔物はユシンが魔王を倒してこの世界から絶滅した。はず。
「でも、まさか、昨日のが……いやいやいや! そんなわけない! 実際昨日僕たちがいたときはなにもなかったわけだし! なにか音がしたとかなにかが出てきたとか襲われたりとかそんなことは全然なかった! 絶対なかった! だから僕たちはなにもやってない!」
ニュース記事に薄ーく開けた目を戻す。そこには魔物専門家だとかいう人の見解が載っていた。
『新たなアンデッドは現界には出てこられないはずなんですけどね。考え得る可能性としては魔王の残党であったか、また魔の境界が破られたかでしょうね』
「魔の境界を……破る……」
もし、もしも、あの石板が魔界とこの世界の境界だったのだとしたら……?
「あああああああっ! うそうそうそうそ! 絶対嘘だ! この人が知らないだけで実はアンデッド系の魔物なんて普通に森にいるんだよそうだよそうだと言ってくれよおおおおおおおおっ!」
僕は世界を救う勇者になるどころか、世界を混沌に叩き落とす失態をしていたっていうのか?
布団の中でびちびちと飛び跳ねる。それからまたそおっとディスプレイを覗くが、画面の文字はやっぱり変わらなかった。
涙目になりつつディスプレイを操作して画面をセカンドギルドのグループチャットへと戻す。
▽へらへら:あれ本気でマズイやつだったかも〜。
▽勇者N:でもあのときクリスタルは別になんの反応の変化もなかったんでしょ!? それなら別に偶然タイミングが合っただけだって!
▽へらへら:うーん、まあそうなんだけどねぇ。ただあそこで嫌な気配がしていたのは事実だからねぇ。
▽勇者N:いや、なんで他人事なの!
▽Kura☆友達募集中:へらへらちゃん冷静〜☆☆
▽天才魔術師黒猫:落ち着けよ勇者N。とりあえず、もう一回行ってみようぜ。もしあれが原因なら石板を元に戻せばいいんじゃね?
▽勇者N:それだ! 石板を閉めてしれっとしてればバレない!! よし、今夜もう一度同じ時間に同じ場所で集合しよう!
▽天才魔術師黒猫:あ、俺今夜用事あるから無理。
▽勇者N:言い出しっぺが逃げるなあああああ!
一生分のため息を今日で吐き切ってしまったんじゃないかとさえ思う。
気持ちを奮い立たせるように顔を上げる。ほんの一日前には幻想的に感じていた青と赤の混じり合った空が、今ではおどろおどろしく見えていた。
なんだかあれからずっとみぞおちのあたりが重い。
「お待たせいたしました」
視線を空から下ろすと、そこには昨日と変わらない様子で街外れに立つエラの姿があった。いつも以上にしんと静まり返った街の端で、流れるような桃色の髪をふわりとなびかせ微笑んでいる。穏やかな微笑みに思わず少しだけ気持ちが安らぐ。
「今日もまた一番乗りですね。ニト君はこう見えて意外と真面目ですもんね」
「意外とは余計だけどね」
エラが僕のことをそんな風に評価していたとは。ちょっと照れくさくて思わず顔を逸らしてしまった。
「ふふっ。それにしてもなんだかおかしなことになってしまいましたね。けれどこれも私の責任でもあります。それに私は祈祷師です。アンデッド系の弱点である祈祷術が使える私が必ず……」
エラの言葉が途切れる。なんだ?
そこでハッとする。そうだ、あのニュースではアンデッド系の魔物がイラークの森から出てきたって……!
「エラッ!」
勢いよく振り返る。そこにエラはいない。
「よぉーどうかしたか?」
「トーカ! やっぱり用事があるっていうのは嘘だったか! じゃなくてついさっきまでここにエラがいたんだ! だけどちょっと目を離した隙に姿を消してしまって……! くっ……僕がついていながら……!」
「おいおい、落ち着けよ。エラだろ? なら心配いらないだろ」
「君って奴は! 確かにエラは祈祷師だ! ユシンのパーティーに選ばれるほどの実力者だ! だけどもしアンデッドに襲われたんだとしたら……! もういい! 僕ひとりで……!」
「いやいやいや、ちげーって。エラならたぶんトイレだろ」
「…………トイレ」
「トイレ」
トイレ。
「……じゃあいっか」
「おう」
エラにはくれぐれもおなかを大事にしてもらいたいと切に願う。
妙な沈黙に包まれた僕とトーカの間に、もう一つ声が割って入る。
「待たせたな」
声の方を向くと、そこにはクラネがいた。いた、けど。
「クラネ……どうしたの、それ……?」
昨日までは軽装備で動きやすそうな格好をしていたクラネが今日は重装備で現れた。
どのくらい重装備かというと、体の隙間という隙間を鎧で埋め尽くし、それはもう重力に負けそうなほどだった。声と僅かに上げられたヘルメットのバイザーから見える透き通った意志の強そうな瞳からクラネだと推測できた僕を誰か褒めてほしい。
「どうしたもこうしたもないだろう。アンデッドがいるんだぞ。魔王配下の魔物かもしれないんだぞ。用心するに越したことはないだろう」
「そっか、昨日はちょっとした探索くらいの気持ちだったもんね。僕もそうだよ。クラネはもともと大剣持ちだしね……でもその装備はさすがに多すぎない……?」
クラネは僕と話しているだけでグラグラと左右に揺れている。そのまま振動を強めて土に埋まっていきそうな勢いだ。
「いやいやいや、さすがにビビリすぎだろ」
トーカがクラネの姿を見てこらえきれず吹き出した。クラネがものすごい剣幕でトーカに詰め寄る。
「ビビってなどいない! そういう貴様こそなんだそのトランクは!」
「な、なんでもいいだろ!? おいこら! 勝手に開けんな!!」
クラネがグラグラと不安定に体を左右させながら器用にトーカの手から皮トランクひったくり留め具を開け放つ。その中には大量の魔導書が入っていた。
「ふんっ貴様の方がよっぽどビビリではないか!」
「俺は勉強熱心で用心深いだけなの! もしあれが呪いや罠だとしたら専門外だから調べないとわかんねぇの!!」
トーカとクラネがいがみ合う中、僕はふたりを呆然として見つめていた。
僕はただいても立ってもいられず早く来ただけだ。けれどふたりはこの先になにかあるかもしれないと思って思いつく限り万全の(かどうかは少し怪しい気もするが)準備をしてきたんだ。
「みんなすごいな……」
ただ慌てふためくだけで危機感が一番足りないのは僕なのかもしれない。
鬱蒼とした森に目を向ける。僕たちの行く先を映すかのようにその森は深い闇の中に沈んで真っ暗にしか見えなかった。
「ふぅ、お待たせいたしました。この浄化魔法、少し時間がかかるのが難点でして……あら? みなさんどうされたのですか?」
素敵な笑顔を振りまきながら、心なしかスッキリとした表情のエラが軽い足取りで現れた。
訂正。やっぱり一番危機感足りてないのはこの人かもしれない。
僕たちは昨日と同じようにエラを先頭に森の奥深くへと入っていった。その道のりは完全に覚えていたわけではないけれど、覚えている限りでは昨日とほぼ同じだったはずだ。トーカとクラネの反応を見るに、ふたりも僕と同じ感想を持ったんだろう。
僕たち四人は昨日と同じように森の中にぽっかりと開いた広場に出ていた。
そしてこの広場の中央にあった穴を塞ぐようにして置かれていた石板を、僕たちがどかした。
はずなんだけど。
「……ない……けど、ある……」
広場の真ん中にはぽっかりと穴が空いていた。
けれどそのまわりにはやっぱり石板は見当たらない。そして穴を隠すようにして被せたはずの土や落ち葉も綺麗さっぱりと消え失せ、ぱっと見ただけで穴を確認することができるようになっていた。
この穴以外はまるで何事もなかったかのようだ。雑に木の葉が撒き散らされ地面も自然のままなだらかにでこぼこしているだけのなんの変哲もない広場。
だけどその中央、たったひとつの穴だけがとてつもない違和感を放っていた。
なるべく慎重に歩を進め広場の中央に出る。かがみ込み、そっと穴を覗く。けれどそこは真っ黒な闇が広がるばかりでなにも見えない。中がどうなっているのかもわからない。
「と、とりあえず! 手分けして探してみよう!」
「そ、そうですね!」
あたりの木の葉をどかしても、重い石板が乗っていた跡はない。試しに広場の木の葉をすべてどかす。けれどどこにも石板があった形跡は残っていなかった。
昨夜から今に至るまでこのあたりで雨は降っていない。風も弱かった。石板が自然現象で動いたとは思えない。
「道、間違えた……?」
「だとしたらあの穴はなんなんだよ……」
僕の微かな望みをトーカが無慈悲にも打ち砕いた。
「確かにここで合っています。私は何度かひとりでここに来てますので間違いはないかと……」
エラがごそごそと白いローブの中から例のクリスタルを取り出した。
それを見た僕たちは言葉を失った。
少ししてエラが口を開く。
「そんな……」
昨日この場所で見たクリスタルは、その中心に黒と紫が混在した液体を流したような模様が渦巻いていた。けれど今は中心だけじゃなくクリスタル全体が黒と紫に埋め尽くされている。
「これほど強い反応はユシンを眺めるニト君にかざしたとき以来です……本格的にまずいことになったかもしれませんね……」
「ちょっと待って、聞きたくない情報入ってたんだけど」
「ニト君のユシンに対する嫉妬心はアンデッドの反応よりも強いんですよ」
「もっと聞きたくなかった」
「しかし困りましたね。そもそも物が存在しないのであれば対処のしようがありません」
一瞬の沈黙のあと、弾かれたようにトーカが騒ぎ出す。
「ど、どどどどうすんだよ!? これじゃあ元に戻すもなにもねぇじゃねぇかよ……!」
「そうですね……とにかく無いものは仕方がありません。私が封印の術を施してみます」
「た、頼む! エラは勇者パーティーの一員だったんだろ? ってことは健康状態さえ無視すれば実力はこの国の中でもトップクラスってことだよなぁ!? だ、大丈夫だ! 絶対いけるって!!」
「……だと良いのですが」
エラが不安げな顔で長杖を握りしめる。トーカとクラネが祈るように両手を握り合わせぎゅっと目を閉じた。
そうか。トーカの言う通りエラは国内トップクラスの祈祷師だ。だけど、もし、そのエラが封印できなかったとしたら……?
「いきます――封印!!」
エラの握る長杖の先に神々しい光が生まれ、やがて光が杖の先を飛び出し直線的な光の結界となって穴を囲んでいく。それから一段と激しく輝き――光は穴の闇へと吸い込まれていった。
「……どうなったの……?」
思わずこぼれ出た言葉にエラが冷静に今の状況を説明してくれた。
「祈祷術は自体は成功しました。しかしなにも起きませんでした。やはりあの石板でなければ蓋としての役割を果たせないのかもしれませんね……」
「エラ、もう一回やってみないか!? 何回か重ね掛けすれば……!」
クラネの言葉にエラは静かに首を振った。
「やってはみます……が、今の様子だと効果は期待できそうにありませんね……」
そしてその言葉の通りになった。エラは何度も何度も祈祷術を放ったが、穴に変化が起こることはなかった。
「と、とりあえず他になにかあの石板の代わりになりそうなもので蓋をしよう!! 祈祷術がだめなら物理だ!」
僕の掛け声を合図に全員が大きな石や落ち葉、土を一斉に穴の上へと投入する。
「えっ……?」
しかしそれらはすべてぽっかりと空いた闇の中へと吸い込まれていってしまった。エラの祈祷術と同じように。
暗いからとか深すぎて底が見えないとかいうレベルじゃない。落ちた音もなにもしない。本当にすべてが吸い込まれるように消えた。
この穴はきっと――底がないんだ。
「そんな……」
「な、なんだよ、これ……」
「私もこんなものは初めて見ました……」
「アタシもだ……」
すべてを吸込む穴を前に、僕たちはただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
「お、おおおおいニト! お前本当はどこかに石板を隠してんじゃないだろうなぁ!?」
「なっなに言うんだよ!? 僕が僕の首絞めるようなことするわけないだろ! もし僕がいたずらで石板を隠してこんなことになったのなら、ひとりでこっそり直しに走るに決まってるだろ! そういうみんなはどうなんだよ!? 僕のことをからかってるんじゃないのか!?」
「ア、アタシはしてないぞ!!」
「俺でもねぇよ!」
「もちろん私も違いますよ!? これ以上自分にマイナスの評判をつけるわけないじゃないですか!」
全員が全員の顔を黙って見回していた。その視線は責めるものではなくむしろなにかにすがりたいという懇願のこもった視線だった。
だけどいくら待っても誰もいたずらだと白状しなかった。ここで誰かが「バレたかぁ〜」と言ってくれたら僕はとてもとても救われたんだけど。
どうしようもない重たい空気が場に漂い始めたとき、トーカがハッとして口を開いた。
「そ、そうだ! なにもないっことは夢だったんじゃねぇか!? 罠で幻を見せられてたとか! それならクリスタルの反応も納得できるだろ!?」
「た、確かにそれもそうですね! 私の嫌な気配はきっとそれだったんです!」
「なるほど!! 幻ならアタシの攻撃がまったく効かなかったことにも納得がいくな!」
「よし! 帰ろう!! 僕たちはなにもしていない!!」
どうしようもない現実を前に、僕たちは思考を放棄した。
「あれは夢だったんだ!!」
僕の宣言に全員が力強く頷いた。
救いを求めていた僕たちは全員でトーカの希望的観測に全力で乗っかった。それがどれほど楽観的で無理のある説明かということはみんなわかっていたけれど、それには気がついていないことにした。
その時だった。背後の森の奥でなにかが動く気配がした。来た道に視線を向けていた僕たちが一斉に振り向く。
そこにいたのは、クマのような形をした、けれどその被毛は全身闇のように黒く、まるで泥のように肉とともにどろりと土に滴っていた。
「ア、アンデッド……!?」
叫び、腰の剣を手にしようとして――僕は自分の手が震えていることに気がついた。
僕はユシンが魔王討伐に旅立ったあの日から、一切の実践訓練をしていない。もちろんひとりでできることはやった。筋トレも素振りも型も何度も何度も繰り返した。けれどひとり引きこもっていた僕にできるのは狭い部屋で控えめに剣を振ることだけだ。本格的な対人、対魔物戦闘訓練はもう二年以上していない。
その僕に、できるのか?
もう一度戦うことなんて、魔物の中でも上位に位置する魔王配下のアンデッドを倒すことなんて、本当にできるのか。
その事実に気がついたとき、僕はすでに踵を返して走り出していた。




