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月光に触れる剣  作者: 水色蛍
黄金の搾取と禁忌の天秤
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第29話:『死神と呼ばれても』

 琥珀色の液体が満たされたシリンダーが、闇の中で微かに明滅している。

 禁忌の図書館。そこは、フェルゼンという都市がひた隠しにしてきた「不都合な真実」を標本のように並べた、静かなる墓所だった。


 シビュラが持ち込んだ携帯型の解析機が、原初の魔石から溢れ出す膨大な情報の奔流を、乾いた電子音を立てて吸い上げていく。だが、そこに記録されていたのは、整然とした歴史の叙述ではなかった。


「……これ、は……」


 アイリスの耳に届くのは、解析機を介して増幅された、数百年、あるいは数千年前の「震え」の断片。 それは、かつてこの大陸に「死」が遍く存在していた頃の、古びたフェルゼンの公文書だった。文字を読み取ることはできないアイリスだが、解析機が紡ぎ出す音声情報の波が、彼女の脳裏に生々しい情熱と、それ以上の「恐怖」を直接描き出していく。


 記録は語る。

 太古のエヴァリアにおいて、「女神の祝福」により「不死の加護」が国を包んだ。

 その奇跡に国は、人は瞳を閉じて平和を愛した。

 しかし、「無限に続く生は、いつか魂を摩耗させ、地獄へと変わる」という真実を、疑うものがいた。


 そして、その泥濘に沈む人々を唯一救えるのは、かつて王に仕えた「守護者」としての剣士の一族だけだったこと。


 彼らの振るう剣は、守るための盾ではなく、歪みきった生に慈悲深い終止符を打つための「絶対的な断絶」の行使であった。


(……処刑人、だったのですか。私たちの一族は……)


 アイリスは、自らの手にある始祖の剣の柄を、無意識のうちに強く握りしめた。

 父から教えられた「剣の作法」は、死を美しく記憶するための儀式だと思っていた。


 だが、その本質は、再生し続ける肉体の絆を断ち切り、魂を無理やりこの世から引き剥がすための、最も効率的で冷酷な「技」だったのだ。


「面白いわね、アイリス。あんたの一族は、歴史の表舞台では再生の理から逸脱し、歪みきってしまった「生」に、強制的に終止符を打つ『不死の守護者』として讃えられながら、裏では『死の運命を司る忌むべき処刑人』として、同胞からさえも恐れられ、疎まれてきた。エヴァリアが国を閉ざしたのは、不死を誇るためじゃない。……自分たちが生み出した『終わりを運ぶ者』の存在を、外の世界から隠すためだったのね。今じゃエヴァリアでもその真実や、歴史なんて語られることはないでしょうけど。」


 シビュラの声が、冷たく、愉悦を含んで響く。

 彼女にとって、この発見は最高級の「鑑定結果」に過ぎない。


「そしてギルドがこの記録を封印した理由も明白だわ。フェルゼンにとって、命は永遠に循環し、金を生み出す商品でなければならない。なのに、そこに『正しい終わり』なんて概念を持ち込まれたら、商売上がったりでしょう? だからあんたの一族は、この図書館の闇の奥に、『不吉な死神』として埋葬されたのよ」


 アイリスの心象風景に、エヴァリアの霧が立ち込める。 幼い頃、父と一緒に練習した庭の空気。父の剣筋は、いつも夜の凪のように静かで、どこか悲しげだった。


『アイリス、剣は問いだ。その一撃で何が残るのか。あるいは、何を消し去るのか……常に耳を澄ませなさい』


 あの時の父の言葉が、今のアイリスを鋭く切り裂く。

 父ももしかしたら気づいてしまったのかも知れない。

 自分たちが守っているものが、国民からは祝福として崇められながらも、その実、いつか自分たちが手にかけなければならない「歪な残骸」でしかないことを。


 けど、その懐疑心は歴史と、このエヴァリアがエヴァリアである所以を。女神様の祝福を冒涜することになる。


 そうなれば一族は、完全に歴史から姿を消すことになってしまうかも知れない。


(私は……誰を救うために旅に出たのでしょう。私が求めていた『終わりの答え』は、誰かを無に還すための、ただの技術だったというのですか?)


「女神様ねえ…深い信仰心は歴史さえ隠してしまう。ま、私が信じるものなんて自分自身で精一杯だけどさ」


 アイリスの掌が、じっとりと汗ばむ。 視覚のない世界で、彼女を支えていたのは「正しいことのために剣を振るう」という一族の矜持だった。だが、その拠り所が今、音を立てて崩れ落ちていく。


「……さあ、アイリス。おセンチな回想に浸っている暇はないわよ。私の目的は、これですべて果たされたわ」


 シビュラは少年の手を乱暴に引き、入り口の方へと歩き出す。アイリスは立ち尽くしたまま、己の剣が放つ「静寂」の音を聴いていた。それは、救済の調べか。それとも、すべてを破壊する断絶の呪いか。


 アイリスは渦の様に荒れる頭を整理できないまま、重い足取りでシビュラの後を追う。腕の中で震える少年の、あまりにもか細い拍動だけが、今の彼女にとって唯一、嘘のない「現実」だった。


 迷路のような配管の間を抜け、巨大な金属の門——「禁忌の図書館」への入り口まで戻った時、アイリスの僅かに残っていた感覚が、前方の異変を捉えた。


(……空気が、澱んでいる)


 それは、湿気や埃のせいではない。何十人もの人間が放つ、どろりとした欲望と、冷徹な殺意。そして、それらを束ねる「不遜な意志」の重圧だった。


「……ようやくお出ましかな。フェルゼンの誇り高き『内臓』へ、勝手に入り込んだ泥棒猫諸君」


 門の向こう側、最深処理層の広大な空間を魔石ランプの光が白々しく照らし出していた。 中央に立つのは、執政官メンデス。

 その傍らには、ギルドの重鎮であるアルベルトや、眉間に深い皺を刻んだ老人たちが数人、厳重な警備兵を従えて並んでいる。


 メンデスの視線はシビュラが抱える少年や、盗み出した魔石チップには向いていなかった。 彼のぎらついた瞳は、ただ一点——アイリスが携える、あの銀の剣に注がれている。


「エヴァリアの脱走者……いや、『終わらせる一族』の末裔と言った方が正しいか。まさか伝説の中の死神が、これほど若く、《《やはり盲目》》の娘だとはな」


 メンデスの声には、嘲笑と、それを上回る隠しきれない「恐怖」が混じっていた。 彼らギルドにとって、この図書館の記録は単なる過去の遺物ではない。自分たちが築き上げた「不死を売るシステム」が、いかに脆く、いかに一つの「正解《死》」によって崩壊しうるかを示す、脅威の証明書だったのだ。


「その剣をここで折れば、私の黄金の帝国は永遠となる。……小娘。貴様の存在そのものが、このフェルゼンという秩序に対する最大の不法行為なのだよ」


 メンデスが手を挙げる。 ガチリ、と数十の魔石銃が撃鉄を落とす音が、反響してアイリスの耳を刺した。


「エヴァリア、霧に包まれた不死の国。神秘的じゃあないか。君は異端だよ、あの国の国民たちを侮辱しているのと等しい。平和に安寧、これ以上の贅沢を君は望むというのか」


 彼の言葉は、アイリスの心に生じたばかりの亀裂に、毒を流し込むように響いた。


 シビュラは、アイリスの隣で短く鼻を鳴らした。


「……価値を暴くのが私の仕事だけど、価値を守るために人を殺す連中に付き合う趣味はないわ。ねえアイリス、あんたがその剣で『何を消し去るのか』、そろそろ決める時じゃない?あんたがなんで国を去ってまでフラフラしているのか。覚悟はしてたんじゃないの?」


 シビュラの突き放すような、しかし力強い叱咤。 アイリスは、震える指先で剣の柄に触れた。


 メンデスの語る「安寧」の背後で、図書館の標本にされた記憶たちの悲鳴が聴こえる。この街の黄金を支えるために、切り捨てられ、加工され、終わることも許されぬまま蓄積された情報の澱。


 もし、一族の業が「歪みきった生に終止符を打つこと」であるならば。

 この欲に塗れ、命を数字に書き換える街のシステムこそが、今、最も「終わり」を必要としているのではないか。


「……私は、死神になりに来たのではありません」


 アイリスは一歩、前へ踏み出した。 銀の刃が鞘を滑る音は、地上のどんな楽器よりも澄んでおり、そして、絶対的な拒絶を孕んでいた。


「ですが、あなたの黄金が、誰かの痛みの積み重ねでできているのなら。……その重みを、私の剣で分かち合います」


 瞬間、アイリスの周囲からすべての「ノイズ」が消えた。

 彼女の放つ静寂の波が、魔石銃の駆動音を、メンデスの不快な拍動を、真っ白な虚無へと塗り替えていく。

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