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私だけを見つめていて

「いくよーー!!」


透歌のその叫び声を合図に、中庭の特設ステージのボルテージが一気に跳ね上がった。地鳴りりのような大歓声。カウントダウンの光。そして――。


ドンッ!! と、お腹の底にズシんと響くような、力強い音が空気を震わせた。桜音が満面の笑みで振り下ろした、ドラムのカウント音だ。それに合わせるようにして、軽快で、けれどどこか切なさを孕んだアップテンポなメロディがスピーカーから流れ出す。


うねるようなベースライン。疾走感を煽るギター。星の瞬きを思わせるキーボードの旋律。それは、高校の文化祭のクオリティとは到底思えないほど、本格的で、圧倒的なバンドサウンドだった。


透歌は、ぐっと深く息を吸い込んだ。その一瞬。激しく明滅する色とりどりの照明の向こう側に、客席の景色が鮮明に見えた。視界を埋め尽くす大勢の観客。腕組みをしてニヤニヤしている先生。


ビデオカメラを構える保護者。ペンライトを振って叫んでいる他クラスの生徒たち。そして。最前列の特等席で、午前中と同じ濃紺の袴姿のまま、微動だにせずステージを見つめている宵。


彼が、その涼やかな瞳でじっとこちらを見つめている。その姿が、透歌の視界にしっかりと入った、まさにその瞬間だった。不思議なくらい。本当に、嘘みたいに、胸を焦がしていた極限の緊張が、綺麗さっぱりと消え去っていくのが分かった。


(……待たせてごめんね、宵)


心の中でそう呟きながら、透歌はマイクを口元に寄せ、歌い始めた。その瞬間、中庭を包んでいた喧騒が、まるで魔法にかけられたかのように一瞬で静まり返った。


誰もが、言葉を失った。透歌の口から溢れ出たのは、どこまでも透き通るような歌声だった。高く、天に昇るように美しく。柔らかく、聴く者の心を包み込むように。


けれど、決してブレることのない、確固たる芯のある、強くて優しい歌声。会場のざわめきが完全に止まる。その場にいる全員が、肌を震わせるその旋律に圧倒され、ただ一つの感情を抱いていた。


(……上手い。なんて、綺麗な歌声なんだ)


ただそれだけだった。余計な言葉はいらない。音程がどうだとか、技術がどうだとか、そんな次元ではない。


歌声そのものが、まっすぐに、聴く者の魂の奥深くまで届いていたのだ。イントロが終わり、歌のテンポがさらに上がっていく。透歌の周囲で、同じクラスの4人の女子たちが、息の合った華麗なダンスを披露し始めた。


透歌も、その動きに合わせるようにして、身体を揺らし、ステップを踏む。最初は、左右の区別すらつかなくて、ぎこちなかったステップ。何週間も、放課後の体育館で、足がもつれそうになりながら練習した。時にはステップを間違えて、桜音に「透歌、そこ逆!」と笑われて。


時には藍瑠に証拠動画を撮られて、「消しなさい!」と追いかけ回して。自分のあまりのポンコツぶりに、情けなくて泣きそうになりながら、それでも必死に覚えた。


その、泥臭くて、けれど何よりも愛おしい努力の全部が。今。このステージの上で、完璧な形になって結実していた。くるり、と透歌がターンを決める。


衣装の浅黄色と夜空色の裾が、空中に綺麗な円を描いてふわりと舞った。散りばめられた桜色の模様が、スポットライトの眩しい光を受けて、まるで夜桜が夜空に舞い散るようにキラキラと輝く。揺れる、艶やかな長い黒髪。そのあまりの美しさに、客席から一拍遅れて、割れんばかりの歓声が沸き起こった。


「かわいい……っ!!」

「小紫さん、マジで半端ないって!!」

「やばい、国が救えるレベルのビジュアルだろこれ……っ!」


透歌は歌い続ける。不思議なことに、歌えば歌うほど、胸の奥から熱いものが込み上げてきて、だんだんと楽しくなってきた。気付けば、透歌はカメラに向かって、自然と満面の笑顔を浮かべていた。


作った営業スマイルではない。心からの、弾けるような笑顔だ。ただ、自分の歌で、目の前にいる大好きな人たちを楽しませるために、歌う。ただそれだけのこと。それが、これほどまでに心が躍り、世界が輝いて見えるほど楽しいことだなんて、今世の透歌は初めて知ったのだ。


ズドン、とドラムの音が力強く響き、曲を支える。ふと後ろを振り返ると、桜音がスティックを大きく振り回しながら、満面の笑みでドラムを叩いていた。


本当に、心の底から楽しそうだ。彼女はやっぱり、こういうステージの上が、みんなを引っ張っていく場所が、前世からずっと大好きなのだろう。桜音のその笑顔につられて、透歌もさらに深く笑った。その瞬間、客席の男子たちから、悲鳴にも似た大歓声が上がる。


「笑った!! 今、小紫さんが笑ったぞ!!」「やばい、尊すぎて心臓が止まる……っ!」「かわいい! 画面録画させてくれ!!」


男子たちが狂喜乱舞し、女子たちも負けじと声を張り上げる。


「透歌ちゃーーん!! 最高ーー!!」

「世界一可愛いよーー!!」


そんなお祭り騒ぎの熱狂のなかで、宵だけは、ただ一人静かだった。彼は周囲の騒ぎに流されることなく、ゆっくりと、けれど力強く拍手をしながら、ただ透歌の姿を見つめていた。ステージの中央。眩いスポットライトに照らされ、輝いている透歌。


昔。あの極寒の北方で、誰よりも重い責任をその小さな背中に背負っていた少女。自分の幸せなど二の次で、必死に世界を書き換えた。


そんな彼女が。今、何にも縛られることなく、ただの普通の女子高生として、高校の文化祭で楽しそうに歌っている。その姿が。宵にとっては、どうしようもなく愛おしく、誇らしかった。そして、曲はいよいよ大サビへと突入する。


ステージの照明が一気に最高潮の明るさになり、星屑のような光が中庭を満たした。一緒に踊っていた4人のダンサーが、申し合わせたように左右へと大きく広がっていく。


ステージの中央に残されたのは、透歌、ただ一人。完全なる、センター。誰もが、その配置に納得していた。異論を挟む者など、この会場に一人もいなかった。なぜなら、その世界の中心こそが、小紫透歌という少女に、一番似合う場所だと誰もが本能で理解していたからだ。


透歌は、前世から今世へ、千年の時を超えて、透歌の前に再び現れてくれた愛しい人へ、視線をまっすぐに向けた。


客席の宵の瞳を見つめながら、透歌はこの曲に込められた、透歌の心そのものである歌詞を、魂を込めて歌い上げる。


「──世界で一番のお姫様がね、海の真ん中で、待っててあげるって言ってるの。


幾千の光線を飛び越えて、捕まえにきてよ。

もう離れないで。


わたしだけを見つめていて────!」


高音が、どこまでも綺麗に、秋の澄んだ青空へと伸びていく。透歌の歌声と、透歌の想いのすべてが、中庭を飛び越えて、宵の胸へとまっすぐに突き刺さる。


最後のフレーズを歌いきると同時に、楽器の音がピタリと止まった。訪れる、一瞬の静寂。一秒。二秒。三秒。


次の瞬間。黎明高校の中庭が、文字通りドカンと揺れた。地鳴りのような、割れんばかりの大拍手。鼓膜が破れんばかりの歓声、そして興奮した生徒たちの悲鳴。


「すごすぎるだろこれえええ!!」

「透歌ーー!! 最高だったよーー!!」

「アンコール!! アンコール!!」


透歌は、マイクを持ったまま目を丸くした。まさか。ただのクジ引きで当たって、嫌々始めたようなライブステージで、こんなにも温かく、熱烈な反応が返ってくるなんて、想像すらしていなかった。


隣を見れば、ダンスを踊りきったクラスメイトたちが、息を荒くしながらも最高の笑顔で透歌を讃えてくれている。


後ろでは、桜音がドラムスティックを天高く掲げて、誇らしげに胸を張っていた。透歌も、込み上げる愛おしさに耐えかねて、つられて顔を綻ばせる。


そして。透歌はもう一度、客席のあの場所を見た。そこには、変わらずにこちらを見つめる宵がいた。視線が、しっかりと交差する。ほんの少しだけ。


本当に、周りには気付かれないくらいほんの少しだけ、宵が、優しく、愛おしそうに笑った。それは。北方の地で、透歌を見守ってくれていた時と、何一つ変わらない、あたたかい笑顔だった。透歌の胸の奥が、ぎゅっと熱くなるのを感じた。


文化祭。


この、くだらなくて愛おしい高校生活。かけがえのない、大切な友達。そして、今ここで歌った、透歌の想い。全部。全部。千年の時を超えて、諦めずに、ここまで歩いてきたからこそ、見ることができた最高の景色だ。


透歌はマイクを両手で握りしめ、客席に向かって、そして透歌の大切な人に向かって、深く、深く一礼した。鳴り止まない盛大な拍手と、色とりどりの光の余韻の中で。


小紫透歌の人生で一番眩しくて、一番忘れられない文化祭ライブが、最高の盛り上がりとともに、美しく幕を閉じたのだった。

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