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アイドル

「ということで! 我が1年2組の文化祭での出し物は、満場一致で『和風メイド喫茶』に決定しました!」


学級委員の男子が高らかに宣言し、教壇の机をパンと叩いた。


晩秋の風が吹き込む教室の黒板には、お化け屋敷、演劇、巨大迷路といった定番の候補がずらりと並んでいる。その中で、最終投票の末に生き残った『和風メイド喫茶』と、おまけのように書かれた『有志ライブステージ』の文字にだけ、太い赤チョークで二重丸がつけられていた。


「そして学校側から各クラス2人ずつライブステージに出演していただく方はくじできめますね」


学級委員が誇らしげに掲げたのは、段ボールで作られたお手製のくじ引き箱だ。


クラス中が「まじかよ」「絶対に引きたくないわ」とザワつくなか、私の席の横からカサリと音がした。見れば、親友の桜音がノートの切れ端で作った手紙をこちらに回してきている。


教壇で目を光らせている担任の「コアラ」こと米荒先生に見つからないよう、私は机の下で慎重にその紙を開いた。


透歌とうか、ライブやりたい? 楼來ろうらいさんに見られたら絶対にニヤニヤされそう~♡』


私は手紙の余白に、ボールペンが紙を突き破らんばかりの筆圧で『絶対やだ。人前で歌って踊るなんて、正気の沙汰じゃないわ』と書き殴り、突き返すように桜音の机へ滑らせた。


本当に、絶対に嫌だ。私は目立ちたくないのだ。今世こそは、どこにでもいる平凡な女子高生として、平穏無事な青春を謳歌すると心に誓っているのだから。


「それでは、出席番号の一番前から順番にくじを引いていってください!」


クラスメイトたちが緊張した面持ちで、次々と段ボール箱に手を突っ込んでいく。


丸のついたクジを引いたら、その瞬間に公開処刑が確定する。けれど、クラスの人数は総勢四十人。そのうち、当たりは、たったの二つ。つまり二十分の一。


そんな天文学的な確率、引くわけがない。そもそも私は前世で散々苦労したのだから、神様だって今世くらいは私に味方してくれるはず――。


「……あ」


自分の番が来て、箱の底から引き抜いた小さな紙切れ。


そこには、私のささやかな願いを無慈悲に引き裂くように、赤ペンでこれでもかと大きく綺麗な『〇』が描かれていた。


「うおおお! 小紫こむらさき当選! 」


クラスの男子がそんな声を上げるなか、私は自分の手元にある「〇」を凝視したまま、魂が口から抜け出ていくような感覚を味わっていた。

***

「桜音! 私、絶対に嫌よ! 歌いながら踊るなんて、そんなアイドルの真似事みたいなこと!」

「まあまあ、透歌、落ち着いて。ほら、深呼吸、ヒッヒッフー」

「それは妊婦さんの呼吸法でしょ! 落ち着いていられるわけがないわ!」


放課後。


ホームルームが終わった教室は、早くも文化祭モードへと突入していた。


廊下には巨大な段ボールが積み上げられ、机の上には色とり切りの模造紙やペンキの缶が並んでいる。クラスメイトたちは、文化祭という非日常のイベントを前に、誰もがやたらと浮足立っていた。


「お、透歌さん、ライブ出るんだってね! 期待してるよ!」


「衣装、和風メイドの余りとか使うのかな? 絶対に似合うって!」


「最前列でペンライト振るから頑張ってねー!」


通りすがるクラスメイトたちから次々と飛んでくる純粋な応援が、今の私には鋭いナイフのように突き刺さる。


私は耐えかねて、自分の机にべったりと突っ伏した。


「帰りたい……。今すぐ荷物をまとめて、お家に帰ってふて寝したい……」

「まだ文化祭の準備すら始まってないよ? ほら、透歌の和服姿、私もすっごく楽しみだし。絶対に可愛いよ、うん」

「……桜音、あなた他人事だと思って楽しんでるでしょう。話をすり替えないで」


私が恨めしげに親友を睨みつけた、その時だ

った。


ガラリ、と前方の教室の扉が静かに開いた。


「布のガムテープ買ってきたぞ」

「ナイス!」

「お前のチャリ馬力無いんだよ」


低く、けれどよく通る、どこか冷ややかで厳かな声。宵が買い出しじゃんけんに負けクラスメイトの自転車に乗り近くの量販店まで買いに行ったのだ。


そしてその姿を見た瞬間、教室中の女子たちが一斉にざわつき、顔を見合わせる。


「うわ、来た」

「噂の彼氏さんじゃん」


あちこちから聞こえるヒソヒソ声を無視して、私は砂漠でオアシスを見つけた旅人のような気持ちで顔を上げた。


「宵……!」

「終わったか」

「終わってない。物理的には終わったけど、精神的には完全に終わったわ」

「そうか」


「聞いて。私、人前で歌ったことなんて一度もないのよ?」

「そうだな」

「ましてや、リズムに合わせて可愛く踊ったことなんて、天地がひっくり返ってもないの!」

「そうだな」

「なのに、三週間後に全校生徒の前でライブステージなのよ!? おかしいでしょう!?」

「そうだな」

「……ちょっと、さっきから『そうだな』しか言ってないじゃない! もっとこう、何か私を慰めるとか、気の利いた言葉はないの!?」


私が机をバンと叩いて詰め寄ると、宵はふっと視線を逸らし、ぶっきらぼうに言い放った。


「……頑張れ」

「雑すぎない!?」


私の全力のツッコミに、それまで様子を伺っていた教室のクラスメイトたちがドッと爆笑に包まれた。私の隣で、桜音にいたっては机を何度も叩きながら「お腹痛い、楼來さん最高!」と涙目になって爆笑している。


「おい、楼來」


そこへ藍瑠あいるが、呆れたように肩をすくめて歩み寄ってきた。


「女の子が落ち込んでるときは!優しく励ますの!何でそんなこともできないのよこのヒョロガリ!」

「俺は励ました。事実を言ったまでだ」

「『頑張れ』しか言ってねえだろ!」

「頑張るしかないのは事実だ」

「お前、本当に脳みそまで筋肉でできてるんじゃないか?」


藍瑠のツッコミを、宵はフンと鼻で笑って受け流す。私はそんな二人のやり取りを見ながら、本日何度目か分からない深い、深い、深いため息をついた。

***

その数日後。


放課後の視聴覚室にて、各クラスから集められた「ライブステージ組」の初顔合わせが行われた。


参加者は、他クラスの有志も含めて全部で八人。


「えーっと、まずは本番で披露する曲を決めましょう! 全員で合わせる曲と、いくつかのグループに分かれる曲、合計三曲くらいを予定しています!」


進行役の実行委員の女子が、ホワイトボードにマーカーでサラサラと予定を書き込んでいく。


私はといえば、部屋の最も日当たりが悪い隅っこの席陣取り、完全に気配を消していた。前世で培った「隠密の術」を駆使し、存在感をゼロにしていたはずだった。


はずだったのに。


「ねえ、小紫さんって、すごく華があるよね。センター、似合いそうじゃない?」


誰かがぽつりと言ったその一言が、静かな部屋に波紋のように広がった。


「あ、確かに! スタイルいいし、黒髪ロングだから和風の曲にも映えそう」

「わかる。なんていうか、顔の説得力が強いよね」

「うん、ステージ映え絶対にすると思う!」


おい、待て。話がとんでもない方向に転がっている。

私は一瞬にして全身の血の気が引き、彫刻のように固まった。


「ま、待って……。待ってください」

「ん? どうしたの、小紫さん?」

「なんで、私がセンターで歌って踊る前提で話が進んでいるのかしら……? 私、本当にただの数合わせというか、事故でクジを引いただけの人間なのだけど……」

「え?」

「え?」


周りの生徒たちは、一様に不思議そうな顔をして小首をかしげた。「え、そのビジュアルで何言ってるの?」とでも言いたげな、純粋無垢な視線が突き刺さる。


私はパニックになりかけ、助けを求めるように、この場に「マネージャー兼付き添い」として潜り込んでいた桜音を見た。


視線の先で、桜音は――満面の笑みで、力強く親指を立てている。


(この、裏切り者……!!)


目で猛烈に抗議する私に、桜音は口パクで『私、ドラムやるから!』と告げてきた。


「裏方じゃないのよ! あなたがドラム叩いてどうするのよ!」

「えへへ、バンド編成の曲もあるって言うからさー。私、実はドラム叩けるんだよね。特等席で透歌のこと応援してるから!」

「許さないわよ、絶対に……!」


会議が終わる頃には、私の『センター』というポジションは、コンクリートで固められたかのように強固なものになっていた。

***

その日の帰り道。


私の足取りは、鉛でも引きずっているかのように重かった。すっかり夕暮れに染まった通学路を、宵と二人で並んで歩く。


「……逃げたい。今からでも遅くないから、熱でも出して文化祭をまるごとサボりたい」

「逃げるな」


隣を歩く宵が、前を見据えたまま淡々と言う。


「簡単に言うわね。あなたがステージの真ん中で踊るわけじゃないでしょう?」

「実際、どうにかなるだろ」

「根拠は?」

「透歌だからだ」


宵は一瞬の迷いもなく、即答した。

私は少しだけ言葉を失い、黙って彼の横顔を見つめた。夕焼けの赤い光が、宵の整った輪郭を男らしく、けれどどこか優しく照らし出している。


「それ……何の根拠にもなってないわよ」

「なる」


再びの即答。


宵は立ち止まり、私の方をまっすぐに見つめてきた。その瞳には、冗談やからかいの色など微塵もなかった。


「お前は忘れているかもしれないが、前世で国一つを立て直した聖女だぞ。そんな奴が、たかが高校の文化祭のステージごときで負けるわけがない」

「……ちょっと、比較対象の規模がおかしいわよ。国と文化祭よ?」

「同じだ。人が集まり、それを取りまとめる。お前の得意分野だろ」

「そうかもしれないけど……。それとこれとは話が別よ」


けれど。


宵のその、あまりにも馬鹿げた、けれど絶対的な信頼が込められた言葉を聞いているうちに、不思議と肩の力が少しだけ抜けていくのが分かった。


私は小さく息を吐き出し、視線を地面に落としながら、ずっと気になっていたことを口にした。


「……ねえ、宵。あなた、私の歌を、聴いたことある?」

「あるぞ」

「え?」


予想外の返答に、私は跳ねるように顔を上げた。


「いつよ? 今世では一度もあなたの前で歌ったことなんてないはずだけど……」

「昔だ。前世の、北方の街で行われた収穫祭の時」


宵の言葉に、私の脳裏に古い記憶の断片がよみがえる。


確かにあった。酷寒の地での戦争が終わり、復興の兆しが見え始めた頃の収穫祭。あの時、信じられないほど質の悪いエールを飲んで泥酔した桜音の父に無理やり腕を引っ張られ、お祭りの広場の即席ステージへと上げられた記憶が。


「待って。嘘でしょう」


嫌な予感が背筋を駆け抜ける。


「それ……まさか、覚えてるの?」

「覚えている。お前は嫌がっていたが、いざ曲が始まると、誰よりも堂々と歌っていた」

「忘れなさい! 今すぐその記憶を脳内からデリートして!」

「無理だな。かなり鮮明に残っている」

「今すぐよ! 命令です!」

「嫌だ。……上手かったぞ、お前の歌」


宵はふっと、本当に愛おしそうな、滅多に見せない柔らかい笑みを浮かべた。


私はその笑顔の破壊力と、羞恥心のあまり、両手で顔を覆ってその場にしゃがみ込みそうになった。最悪だ。私の黒歴史を、この男はバッチリ記憶していたなんて。


しかし、宵は私の頭に、そっと大きな手を乗せた。乱暴に撫でるわけではなく、ただそこに置いて安心させるような、優しい手つきだった。


「大丈夫だ、透歌」

「……何がよ」

「お前は自分が思っているよりもずっと、人を惹きつける力がある。前世でも、今世でもな」


私が指の隙間から顔を上げると、宵は静かに、けれど確信に満ちた声で言った。


「だから、腹を括って、楽しんでこい」


夕日が、二人の影を長く、長く路面に伸ばしていく。

文化祭本番まで、あと三週間。


小紫透歌の望む『平穏な高校生活』は、こうして音を立てて、着実に終わりへと向かっていった――。

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