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肉食獣は勝てない

「ねぇぇぇーー!!! 桜音! 聞いてよぉぉ!」

「ちょっとちょっと、どうしたの透歌!? そんなにボロボロ涙目になっちゃって!」


五月中旬の放課後。私はノール・アムルーの片隅で、みっともなくも泣きついていた。


ちょうどお昼頃、桜音から「新作のタルトの試作ができたから食べに来ない?」とメッセージをもらい、楽しみにしていたのだ。しかし、そのウキウキした気分を粉々に打ち砕く、あまりにもショックな出来事が下校時に起こってしまった。


原因は、明確だった。

***

「ねぇ、よいくん。これ、ちょっと重くて持てないから、持ってくれない?」


そう言って、上目遣いでゆるやかに、いかにも庇護欲をそそるような可愛らしい微笑みを浮かべるのは、同じクラスの珠瀬藍瑠たませあいる


色素の薄いふわふわとした髪の毛に、それに合わせたような儚げな淡い色の瞳。抜けるように白い肌に、縦幅がしっかりあるぱっちりとした目。小さな丸い形をした唇は、喋るたびに小動物のように小さく動く。女子の平均よりも少し低めな身長を計算尽くで活かしている、いわゆる王道かわいい系の女の子だ。


「ねぇー、宵くん。このまま一緒に帰らない? 駅前に新しいカフェができたんだって!」

「あ、いや、今日はちょっと予定が……」

「別にいいじゃ~ん、減るもんじゃないし! ほら、れっちご~!」


そんな風に、彼女はいつもいつも、私の大切な幼馴染であり特別な存在である楼來宵くくるよいにくっつき、有無を言わさず連れ去っていってしまうのだ。


それだけなら、まだ良い。私だって、前世からの記憶を持つ身。千年の時を越えて培った心の余裕を持ってすれば、クラスメイトとの付き合いとして笑顔で許す器量くらいはある。


だが、許せないのはその後だ。


藍瑠はいつも、宵を強引に連れ去る瞬間に、私のほうへ向かってくるりと振り返る。そして、こちらにだけ見える角度で、勝ち誇ったような、歪んだ笑みを浮かべてみせるのだ。


まるで、『楼來宵は私に気があるのよ。あんたなんか eye 中にないの』と、全身で言いたげな顔をしてこちらを蔑んでくる。あの見下すような瞳を思い出すだけで、私の心はドロドロとした黒い感情で満たされてしまう。

***

「それが、もう本当に嫌なのよ……!」

「……おっけぃ、状況は完全に把握した。私は今すぐ霧さんと霞さんに連絡して、未遙を助っ人に借りてきて、あいつを竹刀でボコボコにしたらいいんだね?」


「物騒な物理手段に訴えようとしないで!」


今世での未遙と桜音は、熱心に剣道部へ所属している。二人とも県内でも指折りの実力者で、何度か試合を見に行ったことがあるけれど、その迫力は凄まじかった。普段の気のいい彼女たちからは想像もつかないほど、面を被った二人は凛々しくて格好良かった。けれど、その戦闘力をプライベートの愚痴の解決に使おうとしないでほしい。


「だって……藍瑠って本当に可愛いじゃない。私なんかじゃ、どう足掻いたって負けちゃう……」


前世でどれほど深く結ばれていたからといって、必ず今世でも同じように結ばれるとは限らないだろう。魂が変わらなくても、時代が変われば好みだって変わる。


前世のあの時代なら、私の容姿もそれなりに受け入れられたかもしれない。けれど、現代における男子高校生の人気は、絶対に藍瑠のような守ってあげたくなるタイプに集中するはずだ。


それに比べて、今の私はといえば。


烏の濡れ羽色のような、融通の利かない黒々としたストレートヘア。切れ込みの鋭い涼しい目元に、女子にしては比較的高い背丈。可愛げなんて、どこを探しても見当たらない。


「えー? 私は透歌の方が断然、私のタイプだけどな〜。シュッとしてて綺麗だし」

「桜音のタイプになってどうするのよ。私が意識してほしいのはそこじゃないの」

「で? 肝心の宵はどんな感じなわけ?」


桜音が、焼き上がったばかりのタルトを器用に切り分けながら聞いてくる。

運ばれてきたのは『苺と蜂蜜のタルト』。

『ノール・アムルー』の完全新作らしい。


真っ赤な苺がこれでもかと敷き詰められ、その上から黄金色の蜂蜜がとろりと輝いている。見た目は文句なしに最高にかわいい。今の、傷つき疲れ果てた私の心には、過剰なほどの糖分が必要不可欠だった。


「宵は……」


私はフォークを持ったまま、不満を隠そうともせずに少し唇を尖らせる。


「……宵自身は、別に悪くないのよ。そこは認めざるを得ないわ」

「ほう」

「藍瑠に距離を詰められたときも、ちゃんと困った顔をして、やんわり断ろうとはしてるし」

「ほうほう、なるほどねぇ」

「でも、とにかく藍瑠の押しが強すぎるの。断る隙を与えないっていうか……」

「あー、押しが強い肉食猛進タイプかぁ〜。宵みたいな、根が真面目で優しいタイプは押し切られちゃうやつだね」


桜音は納得したように、セットの紅茶を上品に一口飲みながら深く頷く。


「でもさ、透歌」

「なに」

「それ、完全にただの嫉妬じゃん」


ピキ、と私の頭の中で何かが凍りつく音がした。

透歌、完全停止。


「…………」

「…………」

「……し、嫉妬ではないわ。これは純粋な、幼馴染としての懸念と不快感よ」

「いや、どう見てもジェラシーだよ」

「違うわ」

「めちゃくちゃに嫉妬だよ。顔に『私の宵を盗るな』って書いてあるもん」


私は反論するのを諦め、抗議の代わりに静かにタルトを口に運んだ。

サクッとした生地に、甘酸っぱい苺と濃厚な蜂蜜の香りが広がる。


甘い。


そして、自分の器の小ささが悔しい。

でも、悔しいくらいに美味しい。


「だって……」


ごくりと飲み込んでから、私はぽつり、と弱音を吐き出した。


「宵、無駄に顔がいいじゃない」

「それはそう。あいつの顔面偏差値は国宝級だからね」


桜音、一ミリの迷いもなく即答。


「しかも、自分がどれだけモテるか、周りを狂わせているかってことに無自覚なのが一番腹立つのよ」

「わかる、無自覚天然タラシほどタチの悪いものはないよね」

「誰にでも均等に優しいし」

「わかるわかる」

「おまけに勉強も運動もできて頭がいいし」

「うんうん。好きってことか」


ボロが出た。

私はハッと気がついて、慌てて両手で自分の口を押さえる。

時すでに遅し。私の正面に座る桜音が、これ以上ないほど意地の悪い、にやぁっとしたニヤケ面を浮かべていた。


「べっ別にそういう意味じゃないわよ」

「へぇ〜〜〜〜? 本当にござるかぁ〜〜?」

「桜音」

「はい」

「顔がうるさい。ニヤニヤしすぎてパーツが散らかってるわよ」


その時だった。

お店の入り口にあるドアベルが鳴った。

からん、ころん、と軽やかで涼しげな音。


「いらっしゃいませー!」


桜音がアルバイトのプロの顔に戻り、反射的に元気よく顔を上げる。

しかし、入り口に立った人物を見た瞬間、彼女の笑顔がピキリと固まった。


「……え」


親友の異常な様子に釣られるようにして、私も嫌な予感を覚えながらゆっくりと入り口の方へ振り向く。

そこに立っていたのは。


端正な顔立ちを少し困惑気に歪めた、私の想い人――楼來宵。

そして、その隣で彼の腕にしがみつくようにして、満面の笑みを浮かべている――珠瀬藍瑠。


最悪のタイミングでの鉢合わせに、店内の空気が一瞬で凍りついた。


珠瀬藍瑠は、宵の制服の袖にこれ見よがしに軽く触れながら、どこか値踏みするような仕草で店内を見回していた。


「わぁ、可愛い! あ、このお店、SNSで見かけてずっと来てみたかったんだよね〜。宵くん、誘ってくれてありがと!」


まるで宵から誘ったかのような大嘘を平然と言ってのけながら、藍瑠の視線が店内を巡る。そして、奥の席に座る私――透歌と、ばっちり目が合った。


藍瑠の薄い色の唇が、弧を描く。


にこっ、と、それはまさに自分こそが狙い通りの獲物を仕留めたのだと言わんばかりの、完璧な「勝者の笑み」だった。


やってる。


これは確実に、わざとやっている。私が宵を特別に思っていることを察した上で、わざわざ私の目の前に連れてきて見せつけているのだ。


ピキ、と頭の中で何かが切れる音がして、透歌のこめかみに青筋が浮かぶ。

手元で持っていたフォークを握る手に、じわじわと尋常ではない力がこもっていく。


「……桜音」

「はい、なんでしょう、透歌様」

「今なら、あなたがさっき言っていた、未遙を借りてきて竹刀でボコすっていう提案の意味が、心の底から理解できるわ」

「でしょ? いつでも連絡するから言ってね。前衛は任せて」


一方の宵は、店内にいる透歌の姿に気づいた瞬間、その美しい夜空のような目を目一杯に見開いた。いつも冷静沈着で、何が起きても動じないあの楼來宵が、明らかに「……終わった」と言わんばかりの、絶望に染まった顔をしている。


「透歌」


絞り出すような宵の声に、私はこれ以上ないほどの笑みを返した。


「こんにちは、宵。奇遇ね」


笑顔。ただし、目の奥は一ミリも笑っていない。逆に底冷えするような怖さがある笑顔だ。


「わぁ、驚いた! 小紫さんもいたんだ、偶然だね〜!」


藍瑠が、わざとらしくパチパチと瞬きをしながら、本当に楽しそうに声を弾ませる。


「ちょうど良かったぁ。私、今から宵くんと一緒にここで一息つこうと思って寄ったんだぁ。ね、宵くん?」


「そう。それは素敵な偶然ね」


透歌は、にこにこと微笑みを絶やさない。笑顔が綺麗であればあるほど、周囲に放たれるプレッシャーは増していく。


宵が焦ったように「違う、これは……」と何か弁明をしようと口を開いた、その瞬間。

藍瑠がそれを遮るように、ぐいっと宵の腕を自分の方へと引き寄せ、さらに距離を詰めた。


「ねぇねぇ、宵くん。あっちの窓際の席空いてるよ? 隣同士で座ろ〜?」


みしり、と不穏な音が響く。

透歌の手の中で、頑丈なはずのステンレス製の高級フォークが目に見えて湾曲し始めていた。


「っ、透歌!? 待って待って!? 落ち着いて、銀食器が曲がってる!! お店の備品が物理的に破壊されてるから!!」


桜音が本気で焦って、私の両手を取りにきてフォークを優しく没収する。 


「……宵」


フォークを奪われた私は、ただ静かに、冷徹極まりないトーンで彼の名前を呼んだ。


「なんだ」

「説明を、求めます」

「連れてこられた」


一瞬の迷いもなく、宵は即答した。あまりのスピード感に、藍瑠が隣でむっと膨れる。


「え〜? なぁにそれ、ひどくない? 私が無理やり連れてきたみたいじゃん!」

「事実だろ。俺は断った」

「でも、最終的に断りきらないで一緒に歩いてくれたじゃん。優しくしてくれたじゃん!」

「押し切られただけだ。お前の歩調が妙に早かったから、周囲の目を気にして合わせるしかなかった」

「それって、私に嫌われたくないから合わせてくれたってことだよね? つまり……それって私に脈ありってことだよね!?」


確信犯的な藍瑠のセリフが店内に響き渡ったその瞬間。


店内の空気が、ぴきっと完全に凍りついた。初夏の爽やかな風が吹き込んでいたはずの空間が、一瞬にして極寒の冬へと変貌する。

透歌は、ふっとにっこり笑った。


とても綺麗に。完璧に。非の打ち所がないほど優雅な微笑み。


だが、その笑顔を見た瞬間、宵の背筋にゾクリと震えが走った。宵は知っている。これ、前世で一国の最高権力者として冷徹に頭脳を駆使し王都震え上がらせていた、あの伝説の『北方統治モード』の透歌だ。


「珠瀬さん」

「なぁに?」


藍瑠もそのただならぬ覇気に少し気圧されながらも、負けじと上目遣いで応じる。


「勘違いをするのは個人の自由だけれど」


透歌は、手元に残された紅茶のカップをそっと持ち上げ、一口だけ優雅に口に含んだ。

ソーサーにカップを戻す音すら立てず、静かに、しかし絶対的な威厳を持って言葉を紡ぐ。


「宵は、わたくしのなので」


凛とした声が店内に響き、完全な沈黙が訪れた。


「ぶっ!!」


正面で一部始終を見ていた桜音が、耐えきれずに紅茶を吹き出した。もしここに未遥がいたら、間違いなくあまりの衝撃に天を仰いで気絶していただろう。 

マウントをとっていたはずの藍瑠も、完全に言葉を失って固まっている。


「……え」


そして。

この店内で、今一番あり得ないほど固まっていたのは、他でもない宵自身だった。


「…………」


いつもクールで、感情を滅多に表に出さない宵の耳が、見たこともないくらい真っ赤に染まっている。完全に思考がフリーズしたように、直立不動のまま本当に固まってしまっていた。


当の透歌はといえば、その言葉を口にしてから、数秒遅れて自分の発言の意味を脳内で理解した。


(――って、ちょっと待って!? わたくしのって何!? 私、今なんて言った!?)


一瞬にして心臓が火を噴いたようにバクバクと暴れ出し、顔がカッと熱くなる。恥ずかしさで今すぐ床をぶち抜いて地球の裏側まで逃げ出したい。でも、ここで動揺を見せたら『北方統治モード』が台無しになる。もう引き返せない。私は必死でポーカーフェイスを維持した。


藍瑠が、信じられないものを見る目で、透歌と宵の二人を交互に見つめる。


「……え、嘘。小紫さん、宵くんと……付き合ってるの?」


緊迫した沈黙。

透歌は心臓を激しく脈打たせながら、すがるような思いで宵を見た。


宵もまた、赤くなった耳のまま、じっと透歌を見つめ返す。


視線が交錯する、永遠のようにも思える数秒の後。

宵が、一度深く息を吸い、静かに口を開いた。


「――あぁ。その認識でいい」

「っっっ!!?」


今度は透歌が、完全に脳内爆発を起こした。

その認識でいいって何!? 肯定した!? 付き合ってるって認めちゃったの!!?

それまで必死に笑いを堪えていた桜音が、ついに限界を迎えて激しく机を叩きながら爆笑し始める。


「あははははは! 待って、無理!! なにこれ青春すぎる!!! ごちそうさまです!!!」


凍りついていた洋菓子店の空気は、一瞬にして甘酸っぱすぎるピンク色の熱気に包まれるのだった。

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