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お姫様

後日譚編は少し投稿頻度が不規則になっています。

朝目が覚めて真っ先に宵のことが思い浮かぶ。カレンダーには小さく『宵、10時』と書いてありぱっと見それは何を表しているのかわからない。


『今度の日曜、どこか行かないか。せっかくだし』


現世で初めて宵とどこかに遊びに行く。前世では無かった物ややりたいこともたっくさんあってわくわくする。


「準備……しますか」


***

「ららら、ら──ららら」


前世の前世……昔すぎて殆ど覚えていないけど。小紫透歌としてより前、ゲームの世界に転生する前の人生で聞いたことのある曲。


たどたどしいピアノの音が頭に残っているけれどどんな曲だったのかどんな歌だったのかは憶えていない。


そんな百年より前の記憶に思いをはせながら朝ご飯を作る。今日はパンの気分かな。


バターを適当にたっぷりと塗ってからトースターに入れて焼く。紅茶は前世の趣味というか名残というかで良い物を飲む習慣が残っている。


脚に黒猫がゆるりと巻き付いてくる。今世では猫を飼っている。名前は某有名映画に習ってジジ。


「ジジ、どいて。準備するんだから」


前日から考えていた服に袖を通す。ピンクのスカートに黒いニット。ジジはお揃いだと思ったのか余計に巻き付いてくる。


髪の毛を緩く巻きハーフアップを片方に集めてお団子にする。結び目の所に桜音からもらった花の髪飾りをつけた。


鏡の前で、くるりと一回転する。ふわりと広がった裾が、きれいに円を描いて落ちる。


「……うん、完璧」


鏡の中の自分に向かって、小さく胸を張った。


前世の服は、すべて“立場”の象徴だった。北に出てからはそうでもないけどそれでもまとわされる色には派閥の意味があり、金の刺繍や宝石の数には政治的な序列が宿る。


誰にどう見られるか、どこの家と繋がっているか、自国にどんな利益をもたらすか。そんな息の詰まることばかりを考えて、鎧のようにドレスを着ていた。


でも、今は違う。


世界を救う義務もない。王族としての責任もない。


「好きな服を着て、好きな自分でいる。これがどれだけ幸せなことか、あなたにはわからないでしょ」


ベッドの上で丸くなっていた猫のジジが、怪訝そうに「にゃあ」と鳴いた。


透歌はくすくすと笑いながら、ドレッサーの上に置いてあったスマートフォンを手に取る。


画面のデジタル時計は、九時二十分を示していた。


約束の時間は十時。駅までは歩いて十分。……うん、早すぎる。完璧に準備が終わりすぎている。


だけど、じっとしていられない。心臓が朝からずっと、少し高い位置で跳ねているみたいだ。


メッセージ画面を開いて、文字を入力してみる。


『おはよう。もう起きてる?』


……いや、なんだか押し付けがましい。消去。


『今、準備終わったよ。楽しみだね』


……これじゃあ、まるで私が遠足を心待ちにしている子供みたいじゃない。却下。消去。


「……もう、なによこれ」


付き合っているわけじゃない。でも、ただの友達でもない。


千年越しの再会を果たした、世界で唯一無二の相手への“適切な朝の挨拶”なんて、どのマナー書にも載っていなかった。 


結局、ぐるぐると悩んだ末に、一番愛想のない言葉を選んだ。


『今から出る』 


それだけ送って、画面を伏せる。

すぐに電子音が鳴った。数秒も経っていな

い。


『俺も』 


画面に表示された、たった二文字の返信。

それだけなのに、胸の奥がじんわりと熱くなる。


「……単純。私、本当に単純」

自分で自分に呆れながら、小さなバッグを肩にかけた。



駅までの道のり、春の空気は驚くほどやわらかかった。


青空から零れる光が街路樹の若葉を透かし、アスファルトの上にきらきらとした斑点模様を作っている。


すれ違う人々はみんな、穏やかな休日の顔をしていた。


今日の目的は、ただ出かけること。


誰かの陰謀を暴く必要もなければ、命を懸けて戦う必要もない。断罪の舞台に立つこともない。


ただ、好きな人と遊びに行くだけ。


「……それだけなのに。なんでこんなに緊張しなきゃいけないのよ」


小さく深呼吸をする。それでも、胸の鼓動はちっとも静まってくれなかった。


駅前に到着すると、改札の少し手前に、すでに宵の姿があった。


黒のオーバーサイズパーカーに、首元から覗く白いシャツ。黒のスリムなパンツ。


なんてことのない、ひどくラフでカジュアルな格好だ。それなのに、街の風景の中でそこだけが不自然なほど鮮明に見えた。


一言で言って、顔が良すぎる。


通りすがりの中学生や女子高生が、あからさまに視線を送りながら通り過ぎていく。


「……なんか、おもしろくない」


小さな独占欲のようなものが胸を掠めて、透歌は少しだけ歩調を早めた。


ヒールの音がコツコツと響く。その音に気づいたように、宵が顔を上げた。


その瞬間。


宵の切れ長な瞳が、ほんの少しだけ大きく見開かれた。


いつも冷静で、何事にも動じない彼が、一瞬だけ息を呑んだのがわかった。


「……透歌」

「なによ。遅くなってないわよ」

「いや」


宵は数秒間、言葉を失ったように透歌を上から下まで見つめていた。


それから、ふっと視線を和らげて、信じられないほど自然に言った。


「かわいいなと思って。すごく似合ってる」

「…………は?」


透歌の思考が完全に停止した。

冗談を言っている風でも、お世辞を言っている風でもない。宵は、心底からそう思ったという顔で、まっすぐに透歌を見つめている。

無自覚。天然。最悪。


「っ、ちょっと! 急にそういうこと言わないで!」

「なんで。本当のことを言っただけだろ」

「なんでじゃないわよ! 心の準備とか、そういうものがあるでしょ!」


耳の奥が熱い。顔が絶対に真っ赤になっている。


せっかく完璧に仕上げてきたメイクも、これでは台無しだ。


宵は、そんな透歌の反応を楽しむように、口元をわずかに綻ばせた。 


「怒るなよ。でも、本当に綺麗だ」

「……もういい! 聞かない!」


透歌はぷいっと顔を隠すようにそっぽを向いた。


けれど、きつく結んだはずの口元が、どうしても緩んでしまうのを止められない。


(……ずるい。前世ではあんなに無愛想で、鉄面皮だったくせに)


世界で一番のお姫様。


なのに、今の宵のたった一言だけで、世界中のどんな宝石を贈られるよりも心が満たされてしまう。


「で、どこに行くのよ。行き先くらい決めてるんでしょうね?」


これ以上からかわれないよう、透歌は強気な口調で話題を変えた。

宵は少しだけ視線を上に向けて考え、それから短く答えた。


「水族館」

「水族館? ……あなたが?」

「嫌か?」

「嫌じゃないけど……意外すぎて。もっとこう、歴史博物館とかに行くのかと思ってたわ」

「前世で行けなかっただろ」


宵の静かな声が、春の雑踏に溶ける。


その言葉に、透歌ははっとして言葉を失った。


確かに、前世の二人には、そんな娯楽を楽しむ余裕なんて微塵もなかった。


常に死と隣り合わせで、国の命運を背負い、互いの想いを自覚することすら許されない戦いの中にいた。デートなんていう甘やかな概念は、おとぎ話の中にすら存在しなかった。


「……そっか。そうね」


透歌の胸の奥に、温かい灯火が灯る。

張り詰めていた肩の力が、すっと抜けていくのがわかった。


「じゃあ、今日は徹底的に私に付き合いなさいよね。退屈なんて絶対に許さないんだから」

「ああ。仰せのままに、お姫様」


宵がふざけた風に頭を下げた。その仕草す

ら、今の彼がやると妙に様になっていて悔しい。


電車がホームに滑り込んできて、激しい風が二人の間を吹き抜けた。


休日特有の、どこか浮足立ったざわめきが周囲を満たす。


人の波が動き出そうとしたその時、宵がふと手を伸ばした。

大きな、けれど優しく繊細な指先が、透歌の

髪に触れる。そこには、桜音からプレゼントされた、桜をモチーフにした小さな髪飾りが揺れていた。


「これ、桜音にもらったの」

「知ってる。あいつ、お前に似合うものをよく分かってるな」


宵はそう言いながら、髪飾りのすぐ隣、透歌の柔らかな髪を愛おしそうにひと房、指先で弄んだ。


「お前は、何を着ていても、何を身につけていても可愛いよ」


(……なんなの、本当に!)


心臓が限界を破って弾けそうになる。

今日の宵は、何かがおかしい。容赦がなさすぎる。


「……今日の宵、なんかずるい。反則。減点よ」

「そうか? いつも通りだろ」

「違うわよ。絶対におかしいわ」


透歌が抗議の視線を向けると、宵は満足そうに微笑んだ。

それから、ごく自然な動作で、透歌の右手を自分の大きな手で包み込んだ。


「なっ……!」

「はぐれると困るからな。ほら、行くぞ」

「子ども扱いしないでよ!」

「してない。ただ、俺から離れるな」


繋がれた手から、きつく握り返される体温が伝わってくる。


言い合いをしながらも、透歌はその手を振り払うことができなかった。


前世では、触れ合うことさえ躊躇われた関係。


千年という果てしない時間を超えて、私たちはようやく、ただの男と女として隣に立っている。


冷たい鎧のドレスを脱ぎ捨てて、私は今、私のために恋をしている。

わがままで、生意気で、あなたの一言に一喜一憂する、ただの女の子として。


「……ちゃんと、リードしなさいよね」

「任せろ」


生きている温度。優しい春の風。

千年越しにようやく叶う、私たちの「普通の恋」が、今ここから始まっていく。

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