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降る星の記憶──北辰の望遠鏡

「じゃ、ばいばい。桜音、未遥。また明日」


「また明日ー!」


「あしたー!」


ノール・アムルーの外まで送ってもらって私達は家へと向かった。


「宵の家、この辺なのね。案外近い」


「ああ。高校入学を期に駅の近くに引っ越したんだ」


もうすぐ時計は六時。もうそこに一番星が瞬き始めていた。影を踏んで夜に紛れて、まだ帰りたくない帰り道。


「本当、良かった。また会えて」


「うん。本当に」


千年ぶりの好きな人。変わらない声と容姿。本当に懐かしい。


「今世も、一緒よ」


「当たり前だ」


そう言って笑う宵は本当に綺麗で格好良かった。


「ねえ、覚えてる?あのこと」


「どのこと?」


「宵が望遠鏡作った話」


***

北辰商会がようやく商いの形を整え始めたばかりの、騒がしくも希望に満ちた創生期のことだった。


ある厳しい冬の日。宵は突然、普段使っている工房に閉じこもった。


北方において、宵の技術力は抜きん出ていた。彼が工房に籠もる時は、決まって北方の未来を左右する重要な発明が生まれる時だ。透歌は期待と、そして少しの心配を抱いて扉を叩いた。


「宵、何を作っているの?」


隙間から覗き込むと、机の上には見たこともない形状の硝子片と、複雑な紋様が刻まれた金属筒が転がっていた。宵は振り返りもせず、煤けた手で何かを磨き続けている。


「……秘密だ」


「秘密? 珍しいわね、私にまで隠し事なんて」


「完成したら見せる。それまでは入るな」


「怪しいわね、何か爆発するようなものでも作っているのかしら」


「怪しくない」


「いいえ、絶対怪しいわ」


そんな軽口を叩きながらも、宵の瞳の奥にある真剣な熱に、透歌はそれ以上踏み込むことができなかった。


結局、宵はそれから三日間、ほとんど部屋から出てこなかった。


運ばれてくる食事にはほとんど手を付けず、睡眠すら削っているようだった。三日目の夜、さすがに心配になった透歌が合鍵を使って工房の扉を開けたとき、目に飛び込んできたのは、床一面に散乱した設計図と、机に突っ伏して深い眠りに落ちている宵の姿だった。


「……ほんとにもう、無理ばかりして」


透歌は呆れ混じりのため息をつきながら、そっと彼に近づいた。


普段は冷静沈着で、隙のない完璧な男。けれど、何かに没頭すると周囲が見えなくなる。その無防備な寝顔、インクで汚れた指先、乱れた黒髪。


(まるで、子どもみたい)


透歌は慈しむような微笑みを浮かべ、自分の羽織を彼に掛けようとした。その時、机の中央に鎮座する「それ」に目が止まった。


細長く、鈍い光を放つ金属の筒。端には丁寧に磨き上げられた硝子が嵌め込まれている。


「……これ、は」


透歌の脳裏に、前世の記憶が鮮烈に蘇った。それはこの世界にはまだ存在しないはずの、遠くの天体を覗き見るための道具――天体観測用の望遠鏡だった。


「勝手に見るなと言っただろう……」


掠れた声がして、宵が顔を上げた。


「起きてたの?」


「……今起きた」


「嘘ね、羽織を掛ける前から気付いていたでしょう?」


「半分、正解だ」


宵は重い体を起こし、気恥ずかしそうに視線を逸らした。

透歌は、机の上の望遠鏡を壊れ物を扱うように指先で触れた。


「これ、あなたが作ったの? この技術だけで?」


「ああ。レンズの曲率を合わせるのに苦労したがな」


「どうしてまた、急にこんなものを……」


その問いに、宵はしばらく沈黙した。窓の外では、北方の冬特有の刺すような寒気が白い雪を降らせている。


「お前が」


宵の声は低く、けれど確かな響きを持って透歌の鼓膜に届いた。


「……星を見たいって、言っていただろ」


透歌は、息が止まるかと思った。


それは、数ヶ月前の何気ない独り言だった。連日の政務に追われ、書類の山と格闘していた夜。ふと窓の外の夜空を見上げて呟いた言葉。


『北の空って、本当に綺麗ね。……あんなに遠くにある光が、もっと近くで見られたらいいのに』


自分でも忘れていたような些細な願望。それを、彼は一言一句逃さず覚えていたのだ。


「忘れるわけないだろ。お前が零す言葉を」


宵は立ち上がり、望遠鏡を手に取った。


「それに……お前、ずっと働いてばかりいただろ。北方の民のため、未来のため。自分の時間はすべて削って」


「それは、私の役目だから」


「分かっている。だが、せめて」


宵は言葉を探すように間を置き、まっすぐに透歌を見つめた。


「空を見上げるくらいの時間は、作れ。……俺が作る。そのための時間を、お前に」


透歌は、言葉を失った。


あの頃、彼女は確かに限界だった。誰も飢えさせず、誰にも侮られない国を作るために。自分の心など二の次で走り続けていた。


そんな自分を、本当の意味で見守り、救おうとしていたのは、世界でただ一人、目の前の男だけだったのだ。


「外、行くか。最高の観測場所を見つけてある」


宵に促され、二人は深夜の丘へと向かった。

雪を踏み締める音だけが響く静寂の中、丘の頂上で宵が望遠鏡の角度を調整する。


「……見えるか?」


透歌がそっとレンズを覗き込む。


その瞬間、彼女の視界に宇宙が溢れ出した。

肉眼では点にしか見えなかった光が、輝きを増して迫ってくる。宝石を散りばめたような星々、銀河の渦、漆黒の闇に浮かぶ無数の命の光。


「……っ、すごい」


思わず涙が溢れそうになった。


「こんなに近くに、あんなに綺麗な光があったのね」


隣に立つ宵は、誇るわけでもなく、ただ静かに満足げな表情を浮かべていた。


「これ、北方初の……いえ、この世界初の天体観測機器じゃないかしら。歴史に残るわよ、宵」


「別に、歴史なんてどうでもいい」


「じゃあ、何のために三日も徹夜してこれを作ったの?」


悪戯っぽく尋ねる透歌に、宵は星空から彼女へと視線を移し、静かに答えた。


「お前に……お前一人に、見せたかった。それだけだ」


***

「……あの時からよね」


現代の街角で、透歌がぽつりと呟いた。


「何がだ」


「私が、完全に宵を好きになったのは」


宵が足を止めた。街灯に照らされた彼の耳が、わずかに赤くなっている。


「……『完全に』? それまでは違ったのか

「ええ。それまでも特別だったけれど、あの夜、あの星空を見た時に思ったの。この人の隣にいるためなら、どんな未来でも歩いていけるって」


透歌は愛おしげに彼の腕に手を添えた。


「今世でも、作ってくれるかしら? あの時みたいな、素敵な望遠鏡」


宵は少しだけ考え、それから千年前よりもずっと深く、優しい微笑みを浮かべた。


「ああ。今の時代の技術と、俺の知識を合わせれば……もっといいものを作れる。お前に、もっと広い世界を見せてやる」


見上げた空には、あの日と同じ星が瞬いている。


千年の時を越え、場所も形も変わっても。

二人を照らす光だけは、決して変わることはなかった。

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