Nord Amoureux
「あれー?透歌と楼來さん、知り合いなの?」
桜音がこちらにとてとてと近づいて首を傾げる。
「うん。昔からのね」
「そうなんだ!こんにちは、月影桜音です!」
桜音は、春風そのもののような元気よさでぺこりと頭を下げた。
宵は眩しそうに一瞬だけ目を細める。それから、どこか遠い記憶を慈しむような、柔らかい微笑を浮かべた。
「……楼來宵です。よろしく」
その落ち着いた声音。耳に届いた瞬間、透歌の胸の奥がちりりと熱を帯びる。懐かしいような初めてのようなそんな空気の中に溶け込んでいた。
「わあ、なんか大人っぽいね!同い年だよね?」
「一応」
「一応ってなにそれー!」
桜音がくすくすと笑い、宵が困ったように眉を下げる。
そのやり取りを見つめながら、透歌はほんの少しだけ、張り詰めていた息を吐き出した。
(……変わってない)
空気の取り方も、自然な距離の詰め方も。
「ねえ透歌、ほんとに昔からの知り合いな
の?」
桜音がいたずらっぽく目を輝かせ、透歌の耳元で小声で囁いてくる。
「うん」
「幼なじみ、とか?」
透歌は一瞬、言葉を探した。
幼なじみ。そんな平穏な言葉で片付けるには、二人の歩んできた道のりはあまりに長く、険しく、そして鮮烈すぎたから。
けれど、今のこの穏やかな光の中では、その言葉が一番相応しいようにも思えた。
透歌はふっと唇を綻ばせる。
「……そんなところね。千年前からの」
「あっはは!なにそれ!」
嘘ではない。けれど、それだけでもない。
幾千の時を巡ってようやく辿り着いた「今」という奇跡。
「へえー、いいなあ。なんかドラマみたい!」
「そうかしら」
「そうだよ!運命の再会って感じでさ!」
無邪気な桜音の言葉が、透歌の胸の湖面に小さな波紋を作る。
(再会、か……)
「じゃあさじゃあさ!せっかくだし写真撮ろうよ!入学記念!」
桜音が勢いよくスマホを取り出す。
「え、もう?」
「もうだよ!この瞬間は今しかないんだから!」
強引に二人の間に入り込む桜音に、透歌は思わず苦笑した。
「しょうがないわね」
「はい、寄って寄ってー!」
ぐい、と肩が寄せられる。
隣に立つ宵の体温が、制服越しに伝わってくる。その瞬間、不意に視線が重なった。
宵の瞳は、かつて透歌が見守り続けたあの頃と同じ、静かな深さを湛えている。
けれど、今は少しだけ違う。
かつての鋭い孤独は消え、そこには穏やかで優しい、確かな光が宿っていた。
「……透歌」
宵が、消え入るような小さな声で彼女の名前を呼ぶ。
ただそれだけのことが、奇跡のように思えて。透歌の胸の奥が、じんわりと、春の陽だまりのような温かさに満たされていく。
「撮るよー!はい、チーズ!」
カシャッ、と軽快なシャッター音が響いた。
画面の中に収まったのは、どこにでもいるような三人の高校生。
眩しそうに笑う少女と、少し照れくさそうな少年、そしてすべてを優しく受け止めるような微笑を湛えた少女。
降り注ぐ春の光、舞い散る桜。
「ねえ宵。この後ケーキ屋さん、行かない?」
「ケーキ?」
「ええ。桜音のケーキ屋さん」
***
「ねえ、桜音!どうなってるのあのふたりっ!」
「わかんない。なんか新入生代表の人なんだけど透歌の昔からの知り合い?らしくて」
ここは桜音の家のケーキ屋、『Nord Amoureux』。「恋する北欧」と名付けられたこの店はSNSでも人気で桜音の自慢のお店だ。
宵と透歌は窓際のソファ席に座りその様子を遠くのテーブルから桜音と未遥が眺める。
二人のテーブルの上には蜂蜜のベリーパイ。
「本当に久しぶりだな」
「ええ。千年ぶりね」
紅茶の湯気がさらさらと折り重なって午後の光に溶けていく。甘い香りと、少しだけ酸味のあるベリーの匂い。
それが、どこか懐かしくて——
透歌はカップに指を添えたまま、小さく息をついた。
「……こうして座ってると、不思議ね」
「何が」
宵は視線を上げる。
「全部が、夢みたい」
透歌は微笑む。
「でも、夢じゃない」
その言葉に、宵はほんの少しだけ目を細めた。
「確認する必要があるか?」
「あるわよ」
透歌はフォークを取り、ベリーパイを一口。
さくり、と軽い音。蜂蜜のやさしい甘さと、果実の酸味がほどける。
あの頃と、おんなじ。
「……ちゃんと美味しい」
「現実だな」
「ええ、残念ながら」
「残念か?」
「少しだけ」
透歌はいたずらっぽく笑う。
その様子を、少し離れた席から。
「ねえ未遥、あれ聞いた!?」
桜音がひそひそ声で身を乗り出す。
「“千年ぶり”って言ったよね!?言ったよね今!?」
未遥は腕を組んで、じっと二人を見つめる。
「……言ってた」
「やばくない!?なにそれ!ロマン!?前世!?」
「落ち着いて」
「落ち着けないって〜!!」
「でもさ」
桜音が少しだけ声を落とす。
「なんか……変じゃない?」
未遥が視線を向ける。ふわふわした栗色の髪の毛が揺れた。
「変?」
「うん。なんていうか……」
言葉を探すように、少しだけ考えて、
「すごく自然」
未遥は一瞬黙って、それから小さく頷いた。
「……わかる」
「初対面じゃない感じ」
「それどころじゃないね」
「うん」
桜音は頬杖をついて、ふっと笑う。
「ずっと一緒にいたみたい」
窓際。透歌が外を見ている。光が、髪に落ちる。その横顔は、静かで。でも、どこかやわらかい。
「ねえ、宵」
「ん?」
「もしまた、全部やり直しになったらどうする?」
唐突な問い。でも、宵は迷わない。
「同じことをする」
「……迷いないのね」
「ない」
一拍。
「お前を選ぶ」
透歌は、少しだけ目を伏せて、それから笑った。
「そう」
小さく、でも確かに。
「じゃあ、私も同じ」
フォークを置く。紅茶に口をつける。
「何度でも、選ぶわ」
静かな時間。言葉は少ない。でも——それで足りている。
遠くの席で。
「ねえ、これ完全にそういうやつじゃない!?」
桜音が興奮気味に囁く。
「そういうやつって何」
「運命のやつ!!」
未遥は少しだけ呆れた顔をしながら、それでも、視線は外さない。
「……でも」
ぽつりと呟く。
「いいと思う」
桜音が目を丸くする。
「え、未遥がそういうこと言うの珍しくない?」
「別に」
少しだけ視線を逸らして、
「似合ってるから」
その頃。
透歌はふと、窓の外に目を向ける。風が吹く。店先の小さな木が揺れる。
(最高)
そう思う。過去でもなく、誰かに決められた未来でもなく。何千回何万回思い出した。何億回夢見たら景色が今、この瞬間。
宵が静かに言う。
「透歌」
「なに?」
「……笑ってるな」
透歌は一瞬きょとんとして、
それから、少しだけ照れたように視線を逸らした。
「悪い?」
「いや」
宵は、ほんのわずかに口元を緩める。
「いい」
窓の外。午後の光。甘い香り。静かな笑い声。
それは、物語ではない。ただの、ありふれた日常。
でも——それが一番、尊いものだった。
今世での皆の名前です!
小紫透歌
楼來宵
月影桜音
月影海之(桜音の父)
弧百合未遥
弧百合紡
星牙城蒼空
朝霧千隼
白鷺萌乃(moe)




