どんな星よりも輝く
北方の朝は早い。
霜の残る地面を踏みしめ、荷馬車が倉庫前に並ぶ。
――北辰商会。
粗削りだった看板は、いつの間にか二枚目が必要になっていた。
「透歌様、羊毛の新規契約が三件です!」
若い職員が駆け込んでくる。透歌は帳簿から顔を上げる。
「品質検査は?」
「基準達成。去年より繊維が細いです」
「良いわ。価格は据え置き。利益率を上げすぎないで」
「え?」
「長く続くほうが価値がある」
即答。迷いがない。
*
蜂蜜の増産は予想以上の成果を出していた。
巣箱は倍に増え、春の花蜜は例年の1.7倍。
干し芋は保存食として軍需にも流れ始める。
羊毛は北方独自の“寒冷地加工”を施し、耐久性が向上。
数字はまだ王都の十分の一にも満たない。
だが、伸び率は異様だった。
「王都商工会が価格調整をかけてきました」
宵が報告書を置く。
「蜂蜜の買い取り価格を下げて、北辰を潰す気だな」
透歌は静かに読み進める。
「……予想通り」
「どうする?」
「下げない」
即答。
「利益を削る?」
「削らない」
透歌は顔を上げる。その端正な顔と薄桃色の唇には笑みが浮かんでいた。
「備蓄基金を回す」
宵の目が細まる。
「もう使うのか」
「使うために作ったのよ」
北辰商会は、設立と同時に利益の一部を“冬期備蓄基金”に積み立てていた。価格変動に耐えるための緩衝材。
「王都は“圧”で動く。でも北辰は“持久”で動く」
透歌は窓の外を見る。黒髪が風に揺れ、まるで一枚の絵のような美しさを放っていた。
「焦らない」
*
数日後。
市場に蜂蜜の小瓶が並ぶ。その横には、小さな木札。
――北辰保証印。
品質と価格の安定を保証する印。養蜂家が笑っている。
「今年は余裕がある。娘を学校にやれそうだ」
干し芋の少年は、今や立派な露店主だ。
「透歌様!新しい味、試して!」
蜂蜜と胡桃を混ぜた新商品。透歌は一口食べ、目を細める。
「これ、王都で売れるわ。とっても美味しいもの」
少年が目を輝かせる。
「ほんと?」
「ええ。でも北方価格でね」
周囲に笑いが広がる。それはもう“様子見”の空気ではなかった。
信頼。
それが、ゆっくりと積み上がっている。
*
王都。
「……何故だ」
千隼は報告書を握りしめる。北方経由の取引量、前年比2.4倍。
価格安定指数、王都より高い。
「価格を下げても揺らがない」
「備蓄基金の存在が確認されました」
部下が言う。
「三年分の耐久資金」
千隼は目を閉じる。透歌らしい。あの合理的で冷酷な女は短期で勝つ気はない。
“潰れない形”を先に作る。
「……躍進、か」
それは爆発ではない。浸食だ。
気づけば依存度が減り、 気づけば北辰経由のほうが安定している。
*
北方。
夕日が倉庫を染め、宵が隣に立つ。
「躍進、だな」
「まだ序章よ?」
透歌は帳簿を閉じる。
「大丈夫か?」
「何が?」
「これだけ伸びれば、王都は本気を出す」
透歌は少し考え、微笑む。宵の頬に細い指先をちょん、と置いた。
「本気を出させるために、ここまで来たの」
「挑発か」
「健全な競争よ」
風が吹く。看板が揺れる。
北辰商会はもう“実験”ではない。“選択肢”になり始めている。
「宵」
「ん?」
「私、断罪されたとき、全部終わったと思った。あの時はまだどこかで公爵令嬢でいたいと思ってたのかもね」
「……」
「でも違ったわ。終わったのは、依存の時代」
宵は静かに笑う。
「次は?」
透歌は北の空を見上げる。
「王都と正面から、対等に話す」
その目に宿るのは復讐ではない。自立。
北辰は、もう小さな星ではない。北の空に、確かに存在を刻み始めていた。
「透歌」
「何?」
宵はその白くて細い手にそっと口吻を落とした。
「へっ……、」
透歌の顔がどんどん紅く染まる。夕日に照らされた瞳はいつにも増してきらきらと輝く一等星の燦めきを持っていた。
冷酷?合理的?そんなことも全て置いて。
夕日に照らされるのは一人の恋する少女だった。




