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白いパンと温かい朝

第二章始まりです!いつも読んでいただいている皆様に感謝です!

北方の朝は早い。


 まだ薄青い空の下、透歌は一人、屋敷の廊下を歩いていた。王都にいた頃なら、侍女が起こしに来る時間だ。


 けれど今は違う。自分で起き、自分で歩く。それが妙に心地よかった。


「……寒」


 吐いた息が白い。ふと、灯りの漏れる部屋が目に入る。台所だ。


 透歌はそっと覗き込む。


 ——そこにいたのは宵だった。


 袖をまくり、真剣な顔で鍋を覗き込んでいる。


「……何してるの?」


 声をかけると、宵がびくりと肩を揺らした。


「起きてたのか」


「あなたこそ」


「パンを焼いてみようと思って」


「“みようと思って”?」


 透歌は近づく。台の上には、やや歪な生地の塊。宵は咳払いをした。


「料理は……あまり得意じゃない」


「知ってる」


「でも、ここは王都じゃない。使用人も最小限だ。俺たちもできることはやった方がいい」


 透歌は腕を組む。


「それで、どうしてパン?」


「昨日、領民の子どもが言ってた。最近は白いパンを見てないって」


 透歌の動きが止まる。


「……聞いてたの」


「聞こえた」


 少しだけ気まずそうに、宵が視線を逸らす。


「だから、試しに」


 透歌はしばらく黙っていた。それから、ふっと笑う。


「粉の配合、違うわよ」


「え」


「水が多い」


「……なるほど」


「貸して」


 透歌は袖を上げ、生地に触れる。冷たい。やわらかい。


「前世で、何度か作ったことあるの」


「令嬢が?」


「前世は普通の人間だったのよ」


 宵はじっと彼女を見る。


「そうだったな」


 二人で並んで、生地をこねる。手と手が、何度か触れた。最初は偶然。次は、わざとじゃないふり。


「……透歌」


「なに」


「こういう時間、悪くないな」


 透歌は少しだけ目を伏せる。


「ええ。悪役令嬢には、なかったものね」


「もう言うなよ、それ」


 宵の声はやわらかい。


「俺は最初から、あの呼び名が嫌いだった」


「……どうして?」


「透歌は、誰かを陥れて笑う人間じゃない」


 こねる手が止まる。朝の光が、窓から差し込む。


「……ありがとう」


 小さな声だった。やがて、形の整った生地が並ぶ。焼き上がる香りが、台所に広がる。


「……できた」


「上出来」


 透歌は一つちぎって口に入れる。ふわふわした口当たりと香ばしい香り。豪華な食事ではない。何年かぶりの温かい「味」。


「……おいしい」


 宵も一口。白い頬がもきゅもきゅと動く。


「本当だ」


 どこか誇らしげだ。


「これ、子どもたちに持っていこう」


「うん」


 二人は籠にパンを入れ、外へ出る。朝日が昇る。領地の空は広い。


 丘の下では、農夫たちが作業を始めている。子どもたちがこちらに気づき、駆け寄ってきた。


「透歌さまー!」


 その呼び方に、透歌は一瞬だけ戸惑い、でも笑った。


「おはよう。今日は差し入れよ」


 パンを渡すと、子どもたちの目が輝く。


「白いパンだ!」


「すごい!」


 宵はその様子を、静かに見ていた。ただ、慈愛に満ちた柔らかな太陽のような表情で。


「……どう?」


 透歌が小声で聞く。


「うん。ここには、強制力はいらないな」


 誰かに見られている感覚もない。イベントも、選択肢もない。ただ、朝があって、笑顔がある。子どもが透歌の裾を引く。


「また作ってくれる?」


 透歌は少し考えて、言った。


「うん。でも次は一緒に作る?」


「ほんと!?」


「ええ。秘密の特訓よ」


 子どもたちが歓声を上げる。宵が小さく笑う。

「先生になるのか」


「悪くないでしょ?」


「似合ってる」


 透歌は顔を背ける。


「……そういうの、さらっと言わないで」


「本音だよ」


 風が吹く。桜の名残の花弁が、ひらりと舞った。透歌はその一枚を手に取る。


「ねえ、宵」


「なに」


「私、ここでちゃんと幸せになれるかな」


 宵は少し考え、それから真っ直ぐに答えた。


「なるよ。俺がする」


 透歌は驚いた顔をして、そして笑った。


「自信家」


「透歌が隣にいるなら、なんでもできる気がする」


 朝日が二人を照らす。物語の舞台裏ではなく。選択肢の外側でもなくただの、北の丘で。


 二人は並んで歩き出す。


 再生は、大きな改革からではない。

 こんな、あたたかい朝から始まるのかもしれない。

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