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観測者は覚えている

晩夏。


空は高く、風は穏やかだった。


だからこそ。


その出来事は、あまりにも唐突だった。


放課後。校舎裏の石畳。

萌乃に「話がある」と呼び止められ、透歌は立ち止まった。


宵は一歩後ろ。


観測者として、距離を保つ。


「透歌様……私、本当にどうしたらいいか分からなくて……」


萌乃は涙を浮かべている。


震える肩。


弱い声。


いつもの構図。


透歌は答えない。


責めない。

ただ、聞く。


――選ばない。


その瞬間。


背後で小さな足音が重なった。偶然を装った衝突。


(えっ………)


強い衝撃。


「……っ」


視界が揺れる。石畳の縁。硬い角。


透歌の身体がバランスを崩す。


スローモーションのように、世界が歪む。


宵の瞳が見開かれる。


「透歌様!」


間に合わない。


鈍い音が鳴った。頭部が石に打ち付けられる。


乾いた衝撃音が、やけに鮮明に響いた。


(い………)


透歌の身体が、動かなくなる。


静寂。


数秒遅れて、萌乃の悲鳴。


「きゃああっ!」


わざとらしいほどの声。


「転んで……! 透歌様が急に……!」


宵は、萌乃を無視しすぐに透歌のそばに膝をついた。


呼吸はある。


だが、意識はない。


額のあたりから血が滲む。

白い石に、赤が広がる。


宵の指先が、そっと透歌の髪に触れる。


震えない。


声も荒げない。


だが。


空気が、変わる。

冷たい。


凍るように。


「誰が、押しましたか」


低い声。


萌乃が一歩後ずさる。


「ち、違います……! 私は何も……!」


周囲にいた数人の生徒がざわつく。


「後ろからぶつかった子が……」 「え、でも偶然じゃ……」


宵は立ち上がる。


ゆっくりと、萌乃を見る。


その視線に感情はない。


ただ、確定。


「偶然ではありません」


「な、なんでそんなこと……!」


萌乃の声が裏返る。

宵は冷静に告げる。


「透歌様は、足を止めていました。あなたの正面に」


淡々と。怒気をはらんだ低い声はあたりを支配する。


「背後からの衝撃でなければ、あの角度では倒れません」


萌乃の顔色が変わる。


「私、触ってもいません……!」


「ええ」


宵は肯定する。


「あなたは」


一瞬の沈黙。


「直接は」


萌乃の瞳が揺れる。


背後で、さきほどぶつかった生徒が青ざめている。


あの生徒は白鷺家の分家の家の生徒だ。


誘導。


計算。


“事故”を装う構図。


世界は守る。

萌乃を、守る。


だが。


透歌は、動かない。


血が石を染める。


宵は再び膝をつき、透歌を抱き上げた。

その動作は、驚くほど丁寧だった。


「救急を。命の危険があります」


誰かが走る。


萌乃は立ち尽くす。


「そんなつもりじゃ……」


言い訳。


涙。


だが、宵はもう見ない。


彼の視線は、透歌だけに向いている。


静かに。

低く。

誰にも聞こえない声で。


「……許さない」


それは怒号ではない。

爆発でもない。


凍りつくような、確定の感情。


観測者は、感情を挟まないはずだった。


だが今。


彼の胸にあるのは、明確な怒り。


数人の医師と教師が近づく。


世界は再び“事故”として処理しようとする。

偶然。


不運。


誰のせいでもない。


だが。


宵は覚えている。

足音の間。

萌乃の位置。


背後の生徒との距離。


全て、観測済み。


担架に乗せられる透歌。


血に濡れた肌が、白く見える。

宵はその手を、静かに握った。


「透歌様」


返事はない。


呼吸だけが、微かに続いている。

千隼が駆けつける。


「何があった!?」


萌乃が泣き崩れる。


「事故で……!」


千隼は宵を見る。


「本当に事故なのか?」


問い。


宵は、ゆっくりと視線を上げる。

その目は、静かすぎるほど静かだった。


「――いいえ」


短い否定。


千隼の表情が変わる。

だが、それ以上は言わない。


今は、透歌が優先。

救急車の扉が閉まる。


サイレンが遠ざかる。

夕焼けが、血の色に似ていた。


宵は動かない。

風が吹く。


静かな怒りが、胸の奥で凍りついている。

透歌が目を覚ましたとき。


世界は、少し変わっているだろう。

そして。


萌乃も。


もう、ただの“かわいそうなヒロイン”ではいられない。


観測者は、覚えている。

すべてを。

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