第31話 暗殺者
序
大陸南西に位置する通商連合国ブリタイ。
その東部にある商業都市ディンク――
八月に入ってもなお、日々の最高気温を記録更新していく暑さだが、その日の夜は一日中降り続く、ざあざあ降りの雨のおかげで幾分と過ごしやすかった。
雨に濡れる人々の雑踏が足元の水たまりをパシャパシャと弾き。しとどに濡れて水鏡と化した石畳が、夜の街の灯りを柔らかく照り返す。
終業間際の男性社会人が雨に打たれながら帰るのを嫌って、同僚にどこか寄ってくかと誘い。あるところでは、店の軒先で雨宿りしていた仕事帰りの複数の女性(OL)が夕飯代わりにスイーツ食べてこうよと笑顔で相談中。
その脇を家庭持ちのパパさん(冒険者)がマントのフードを被って愛しの妻と娘の待つわが家へと一目散に走り去り。
はたまた別のところでは、今日は外食だと傘を差して歩く家族の先頭を、お気に入りの傘を回しながらスキップと水たまりを踏んで上機嫌に進んでいくのを、路面ニアーツから微笑まし気に眺める老夫婦。
雨が降ろうと降らなかろうと、ディンクの街には活気が満ち満ちていた。
それはここ、繁華街も変わらない。どの店も満員御礼で、笑顔の客に笑顔で対応する店員。そこかしこで店先から漂うおいしそうな匂いに惹かれてお店を覗き見る歩行者。席が空いていれば匂いと空腹に耐えかねて入っていく人も多い。
そんな賑やかな繁華街の一角に、高級店が立ち並ぶ通りがある。賑やかは賑やかでも、この通りにはどこか品があった。店を覗き見る通行人はおらず、店内で馬鹿騒ぎする客もいない。
そんな通りに軒を連ねる高級店の一つ。
シックな装いでまとめられた店内。小規模の楽団がバラードを中心とした演奏を奏でる中、豪奢なシャンデリアに照らさられた十五ほどの席はすべて埋まり、どの客も料理に舌鼓を打っていた。
落ち着いた雰囲気の中、奥の席では身なりの良い二人の男が向かい合わせに座り、互いに小さな声を交わしあっていた。密談である。
はじめは穏やかに始まった囁きも、時を追うごとに険を増していき、終いには物別れに終わった。
片方の男が、話が違う! とテーブルに拳を叩きつけながら席を立ち、店を後にした。
一瞬の静寂、演奏も止まる。
店中の非難めいた視線を受けてなお、残された男は平然と食事を続ける。そんな姿に次第に視線が散り、会話が戻り、演奏が再開された。
一時間ほどで食事を終え、食後のワインまで楽しんだ男は、グラスをテーブルに置きながら、とある席へと顔を向ける。
その視線の先にいたのは、四十代と思しき中年男性。自身のテーブルに数冊の本を置き、ワインに舌鼓を打っている模様。……と、そこで中年男性が男の視線に気づいた。
「……」
密談をしていた男が首を横に振ってみせる。それを受けて、中年男性が頷き。
おもむろに一冊の本を手元に寄せて。
最後の頁の角を持って――パラララと高速でめくっていった。
1
同時刻、密談の途中で席を立った男――ライードは、自身の館の廊下を不機嫌を表すように大股で歩いていた。
(くそ男が! 足元を見おってからに!)
先ほどの密談の内容を思い出し、怒りで顔が赤らむ。それを運悪く見た女中が短い悲鳴を上げるも、ライードにぎょろりと睨まれて押し黙る。
ふんと鼻を鳴らしながらたどり着いた自分の部屋。その扉を乱暴に開く。ずかずかと中を進むと、服に皺ができるのも構わずにベッドへと身を投げ出した。
スプリングをふんだんに使った厚みのあるマットレスがライードを優しく受け止め、絹のシーツが波打つ。ベッドに横たわったライードは肺腑にたまった苛立ちを吐き出すように深呼吸。……だが上手くいかない。今も沸々と怒りが湧いてくる。
(こちらの提示した金額で大人しくあの絵を渡せば良いものを! 何が三千万ギランだ! 初めに提示した額の十倍じゃないか! くそっ、この俺をコケにしやがって! 俺を誰だと思ってる! アルクイッド商会の会長だぞ!?)
ライード・アルクイッド。元は代々小さなお店、アルクイッド商店を経営していたのだが、ライードは自分の才覚を信じて事業を拡大。それが大当たりし、今では支店を何店舗も持つ、商会の長へと上り詰めた男である。
そんな男が、一枚の絵画に目を奪われた。場所はとある企業家のパーティー。そこに飾られていた、どことも知れぬ田舎の風景画。繊細な筆致でありながら大胆な構図。それでいて緻密な描きこみ。見る者の視線をとらえて離さない迫力があった。それもそのはず、この絵を描いたのは巨匠メンデス。一枚二百万ギラン前後で取引される人気の画家だ。
ライードはすぐさま行動した。パーティーの主催者であり、この絵の所有者でもある男へと話を持ち掛けたのだ。三百万で買い取ると。
その後、二人は数日の交渉の末、五百万である程度話がまとまった。そして今夜――つまりは先ほどの高級店で最後の大詰めとなるはずだったのだが。相手が突然値段を釣り上げてきたのだ。その値が三千万ギラン。払えない値段ではないが、あまりに法外。ふざけるなと口にすれば、ではお引き取りをと言われ。結局ご破算となって店を出てきたのが先ほどの密談の顛末だった。
(覚えてろ! クソッ、クソ! クソ! クソが!! 俺をコケにしてただで済むと思うなよ! 絶対に後悔させてやるからな!!)
憤懣やるかたないといったところだが、アルコールを摂取していたせいもあり、次第にまぶたが重くなっていく。
恨み言を呟きながら、ついには眠りについた。
ライードがいびきをかき始めたころに、異変が起こる。
彼の足につぶされていた薄手の絹毛布が独りでにスルスルと両足から抜け出したではないか。
それだけにとどまらず、薄毛布は波打ちながらライードの体の上を滑りゆく。まるで意志を持っているように。目的があるように。やがて頭まですっぽりと覆ってしまった。
ライードの口鼻にあたる部分の布が、彼の鼻息に合わせて膨らみ、すぼまる。数秒後、薄毛布が、静かに、ゆっくりと、彼の体にピッタリと張り付いた。まるで薄毛布で型をとったかのように浮き出る体のライン。
――そして唐突に、薄毛布がライードを押さえつけるように締め付けた。
突然の出来事に目を覚ますライード。鼻の穴まで薄毛布に塞がれて、うまく息ができない。慌てて毛布をはがそうとするも、押さえつけられているせいでそれもできない。辛うじて掴むも、肌触りの良い絹はするりとライードの指から逃げ出してしまう。息が苦しくなってきた。このままでは危ういと、助けを呼ぼうとするも、口を押えられて上手くいかない。それでもどうにか声を上げる。言葉にならないうめき声ではあったが、幸い届いたらしく、部屋の外で控えていた女中たちが部屋に駆け込む。
女中たちが見たのは異様な光景だった。ベッドの上で、波打つ薄毛布に押さえつけられて藻掻いている主の姿なのだから、彼女たちが呆然としたのも無理はない。
だが、苦し気に呻く声に我に返ると、慌ててベッドへと駆け寄り、主を助けるために薄毛布を引きはがそうとするも、まるでライードに吸い付いているかのように一向に剥がれない。自分たちでは無理だと悟った女中の一人が大声で助けを呼ぶ。
聞きつけた屋敷の者たちが集まるも、結果は同じ。誰も薄毛布を引きはがすことができない。なるで強力な糊で合わせたように。まるで呪いのように。
くっついて離れない。剥がせない。
目の前で苦しむ主を――救い出せない。
そうこうしている内に、ライードの動きが鈍くなっていく。呼吸は浅く、弱弱しい。そしてついには……息絶えた。
呆然とする者、恐怖に顔をひきつらせる者、泣き出す者たちがベッドを見つめる中、するりと、薄毛布がベッドから落ちた。あれ程までに引きはがすことが叶わなかった薄毛布が、いとも容易く、まるで用は済んだとばかりに。
そしてベッドの上には、恐怖で顔をゆがめたまま窒息死したライードが、ただ一人が残されたのだった。
終
所かわって、密談に用いられた高級料理店。
すでにライードの密談相手だった男の姿はない。が、合図を送っていた中年の男性はまだ店内に残っていた。
中年男は、めくり終わった本を今一度、しかし今度はゆっくりと、楽しげにめくっていく。
全頁の角には小さく絵が描かれており、連続して捲られることで、まるであたかも動いているように見えた。
その内容はこうだ。
〇と棒で表された人――棒人間が、奥のベッドに歩いていき、ベッドに横になると毛布をかぶり、zzzという擬音とともに寝入る。すると、被っていた毛布が独りでに動き出して、眠っている棒人間の頭まですっぽりと覆いかぶさると、ぎゅうぎゅうと締め付ける。
しばらくは棒人間がもがく様子が描かれているが、次第と抵抗が弱くなっていき、最後にはぱったりと動かなくなると、棒人間の死亡を示す羽の生えた天使の輪が空へ向かっていく。そして、『The End』の文字。
それはまさに、ライードの屋敷で起こった不可解な現象とまったく同じで。
あの怪奇現象がこの中年男によって引き起こされた証拠であった。




