シヴァの日常~猫娘との出会い・下②
1
どんよりと暗く、重い雲。時折り閃く雷光と轟く雷鳴。幾分涼しくなってきた風が、雨が近いことを教えてくれた――。
光学迷彩で姿を隠しながらパワーアシスト機能を全開にし、時速九〇キロもの速度で駆けつけてみれば、女性と男性が向かい合っているのが見えた。
彼我の距離はあと五十メートルそこらと遠いが、網膜投影型のスコープの補助によって姿を捉えることができる。確認できたのは、女が一人に男が五人。全員が武装をしているように見える。ただし、依然として敵性を示す赤マーカーの数は五。中立は一。位置関係からして黄マーカーが女性だろう。
シヴァは考える。彼らの間で戦闘が行われたのかと。
(――いや)
違うだろう。自分が巻き込まれていない時点で、六つの黄マーカーの内五つだけが赤に変わることなどありえない。であれば、やはりあの男性ら五人は善良を装っていた犯罪者だと考えるべきだ。
そうシヴァが結論付けたその時、男の一人が女性を押し倒したのが見えた。
そこから予想されることは一つで、恐らくその予想は正しいのだろう。女性の悔しそうな顔を、スコープ越しに捉えたのだから。
それを見た瞬間、自分の頭の中で何かがプッツンと切れる音をシヴァは聞いた気がした。
駆られた激情に身を任せ、突進。女性に覆いかぶさる男の横っ腹を、時速九〇キロの速さのまま蹴りつけた。短い悲鳴を上げて吹き飛ぶ男。しばらく地面を転がり続け、動かなくなった。
気絶したのか、それとも死んだのか。どちらでも良かった。
人間誰しも、許せないものや嫌いなものが一つや二つはある。
シヴァのその内の一つに、性犯罪があった。
とはいえ、シヴァもいい歳をした大人である。そういったテーマのアダルト物をいくつか見たことがあったし、そういった事件を詳細に追った本も何冊か読んだこともあった。結果、アダルト物は合わなかったし、本は読了した後で気分が落ち込んだものだ。だからこそ嫌いだった。
だが、知っているのと実際に見るのとでは、天と地ほどの開きがあった。
嫌悪などという生易しいものではない。
怒りか。憎しみか。それとも別の何かか。
いずれでもあるような気がするし、いずれでもないような気がする。
身の内に渦巻くこの感情を、激情を、どう表現すればいいのかシヴァには分からない。
だからこそシヴァは、ステルスモードを解除すると蹲る女性を背中に守るように立ち、呆気に取られる男たちに向かって吼えた。
「……この、腐れ外道どもが!」
2
突然現れた闖入者たるシヴァに、味方一人がやられるのを唖然と見ていたガルティア帝国の戦士たちだったが、今の一声でハッと我に返った。
「な、なんだ手前は!」
「どっから湧いて――いや、それよりよくもスターンをやってくれたな!」
立ち返った男四人は悪口雑言を喚き散らす。
シヴァはそれらを無視しながら、M4A1アサルトライフルの銃口を男たちの足下へ向けてトリガーを引いた。
空気を裂く轟音とともに、銃弾が地面の土を抉り飛ばした。
「黙れ。そして動くな」
下っ腹に響く雷鳴とは違い、どこか乾いた印象を受ける銃声は男達を黙らせるには十分だった。
男たちはアイコンタクトを交わす。
(野郎、魔法使いかよ!)
(チッ! しかも無詠唱ときやがった。おい魔法戦士、お前の魔法でどうにかなんねえのか?)
(無茶言うな。無詠唱相手に詠唱付きが敵うもんかよ。それに、純粋な魔法使い相手に短絡的な行動は無謀に過ぎる)
話を振られた魔法戦士が仲間の提案を即座に切り捨てた。シヴァの銃撃を無詠唱魔法だと思ったのだ。
(分かった。今は向こうの言うとおりにして機会を窺おう……下手に出てりゃあ、いくら無詠唱の使い手といえど、どこかで隙を見せるはずだからな)
素早くアイコンタクトを交わし終えると、シヴァの言うとおりに口を噤み、抵抗の意思がないことを示すように両手を下げた。表向きは。
男たちが黙ったのを見て、シヴァは口を開く。
「二度は言わないから良く聞け。貴様らがやろうとしていた事は男として恥ずべきことだ。土下座……と言っても通じんか。武器を捨てて額を地面にこすり付けて彼女に謝罪し、命乞いをしろ」
男たちの眉がピクリと動く。ガルティア帝国の者にとって、差別の対象である獣人族に頭を下げることほど屈辱的なことはないからだ。それを見て取ったシヴァはさらに続ける。
「それが嫌だというのであれば、刃向かうのもお前らの勝手だ。だが、その場合は命はないものと思え。そして刃向かった後での命乞いは聞き入れないと知れ。最後に言っておく……俺はTUEEEぞ」
TUEEEのくだりをわざと崩して言うと、男たちに選択を迫った。
「――では選べ。地べたに這いつくばって命を乞うのか、命を捨てて刃を向けるのか。どちらだ」
再びサッとアイコンタクトを取る男たち。ここを反撃の時と決めたのだ。
「……わぁったよ、旦那。死ぬのはご免だ。このとおり、頭を下げるから勘弁してくれ」
言って、男たちは武器を落とし、次いで膝を落とした。しかし、整然とではなく、それぞれが微妙にタイミングをずらして、だ。
無論、わざとである。タイミングをずらされれば、それだけ個々の動作を把握されにくくなり、監視の目も行き届きにくくなる。
それは結果――
「隙に繋がるってなあ!」
一人の男が落とした剣を素早く拾い、魔力を足に纏わせて大地を蹴る。地面が抉れる。クラウチングスタートさながらのキック力。
魔力を纏った脚力は、人間離れした加速をもたらした。【ステップ】と呼ばれるスキルである。
「――っ、危ない!」
それまで無言で見守っていたミアがシヴァに警告を促した。彼女もまた、シヴァの事を純粋な魔法使いだと思い違いをしていたのだ。
ステップによる不意をついた強襲は、魔法使いにとって鬼門だ。距離が離れていれば対処のしようもあるかもしれないが、シヴァと男の距離は三メートルと離れていない。しかも、他の三人も追従の動きを見せていた。だからこその警告であったのだが――
迫り来る男の姿にシヴァは動じることなく、むしろ冷たい目で迎え入れた。
「……馬鹿が」
呟き、PZ5のホームメニューを呼び出す。
途端、世界が止まった。
雷鳴も、雷光も、迫る男も、何もかもが。
その中にあって、シヴァは【ゲーム】の項目の中から、一つのタイトルを選んだ。
世界が動き出す。
同時に、シヴァの姿も変わっていた。
無骨なプロテクトアーマーは無くなり、体のラインにフィットしたメタリカルな光沢を持つボディ・アーマーを装着。
顔には幾つかのラインが走っている。目の縁には赤い隈取が。口の両端には、下にさがるようにして黒い隈取が。見ようによっては、歌舞伎めいた化粧にも見える。
右手に持つ得物は、アサルトライフルに代わり鍔のない日本刀が握られていた。
サンダーマン――それがシヴァが選んだゲームのタイトルである。
WGⅢに出てくるキャラであり、ゲームのタイトルにもなっているサンダーマンをコードネームを持つ、雷を主人公にしたスピンオフ作品。
雷は自身の体の九割以上をサイボーグ化しており、そのため人間離れした身体能力を持っている。WGシリーズの主人公とは違い、雷は銃器を一切使わない。彼が扱うのは日本刀とレーザーブレード。一応飛び道具としてクナイも扱う。
つまり、今のシヴァも半サイボーグであり、メタリックなボディ・アーマーそのものが、彼の体なのである。
誰もがシヴァの変貌に驚き、目を見開いた。
(コイツ、魔法戦士だったのか!)
瞬時に装備を変えたシヴァを見て【ステップ】で迫る男も目を見開いて驚愕したが、今さら止まることはできない。加えて、もはや必殺の間合いに入っていた。どのような装備であろうと、魔法戦士ごときに対処できるわけがないと思ったのだ。
男が剣を突き出そうとしたところで、シヴァが日本刀を持つ右手を動かした。
瞬間――世界が緩慢になった。否、シヴァにのみ、そう見えただけだ。
超加速。
それが、体といわず脳の一部までもが半サイボーグと化した雷の身体能力だからこそ為しえる技であった。ゲーム内においても、敵を切りつけるときは三秒間だけスローモーションとなり、その間、好きなように切り刻めるようになるのだ。
その速度は、ゆうに音速に達する。だからこその、サンダーマン。
今のシヴァもまさしく同じ状態だった。
緩慢な世界の中、シヴァは一歩も動かずに右手だけを無造作に振るう。そして――三秒。
世界が動きを取り戻す。
と同時に、男の体に無数の赤い線が走るやいなや、線に沿って体がバラバラになったではないか!
空中に花開いた血と肉の花弁。
実にそれは、世にもおぞましい花であった。
それだけではない。音速で腕を振るった結果、シヴァを中心にして前方に衝撃波が吹き荒れたのだ。
衝撃波そのものに大した威力はないが、空中に咲いた血と肉片の花を散らし、男の仲間たちに被せるのと踏鞴を踏ませるには十分であり、その心に恐怖を刻み込むには十分すぎた。
「ひっ、ひいぃぃいい!」
モロに血と肉片を被った男の一人が、悲鳴を上げながら腰を抜かした。他の二人は腰こそ抜かさなかったが、両膝は恐怖に震えていた。
音速を超える動きなど、誰一人として追えるはずも無く。ここにいる全員からしてみれば、シヴァはたったの一振りで【ステップ】で踏み込んだ戦士を切り刻んだように見えたであろう。
「言ったはずだぞ、俺はTUEEEってな」
初めての人殺しであったにも関わらず、シヴァの心は乱れていなかった。
それもそのはず。これまで散々、人型の魔物であるゴブリンを狩ってきたのだ。その数は今や三桁にのぼる。現在のシヴァにとって、ゴブリンを殺すのも人を殺すのも、もはや同じ感覚でしかなかった。
だから躊躇わない。
ましてや、相手は女性を平然と襲う輩であるのだから、躊躇う必要はどこにもない。
シヴァは腰を抜かした男を冷たく見下ろし――足を踏み出す。次の瞬間には、男の目の前に移動していた。遅れてやってくる衝撃波。瞬間移動めいた高速移動。
「待ってく――!!」
言い終わる前に、男の体が細切れとなって花と開き、続く衝撃波によって散らされた。
あっという間に仲間二人が殺され、生きて残るは早くも二人だけとなった。
まるで悪夢だと、男たちは思った。
これが悪夢であるのなら、目の前のこの得体の知れない男は悪魔なのだろうか。ああ、なるほど。自分の考えに納得してしまう。
俺たちは悪魔に出会ってしまったのだと。
冥府より生まれた悪魔に、どうしてただの人である自分たちが敵おうか。だからこそ、男たちは今度こそ必死になって命乞いをした。
「わ、悪かった! ちょいとした出来心だったんだ!」
「だから頼む、後生だから助けてくれ!!」
だが、男たちの必死の助命も虚しく――
「忘れたのか? 俺はこうも言ったはずだ。刃向かった後での命乞いは聞き入れないと」
修羅と化したシヴァには届かず、
「――分かったのなら、潔く死ね」
またも高速移動で懐に入られた男の耳元で死刑宣告を告げられた。
「う、うああああああああああああああ!!!!――――あ!?」
逃げ出そうとした男は、背中を向けた瞬間、細切れとなって吹き飛んだ。
「萎えろ萎えろよ! 為す術なく! 『ファイネス』!」
仲間が殺される僅かな時間を利用して、魔法戦士が魔法をシヴァへと放つ。
「あ、ああ……」
ミアの顔に絶望が浮かぶ。
その呪文はミアの体から力を奪ったものと同じであったからだ。魔法の不意打ちは、抵抗を難しくする。
「は、ははは! 余裕を見せるからこうなるんだよ、馬鹿が!」
魔法戦士が勝利を確信し、笑みを浮かべた。
「どんなに強かろうが速く動けようが、力が抜けてしまえば雑兵と変わりは、しな……い……?」
尻すぼみとなっていく言葉。それもそのはず、魔法をくらったはずのシヴァが、平然と立っているのだから。
「ば、馬鹿な!? なぜ効いていない!」
確かに不意打ちは成功したはずだ。はずだった。
ファイネスとは、簡単に言ってしまえば筋肉を弛緩させる魔法である。
対して、今のシヴァの体は雷と同じく半サイボーグと化している。筋肉を構成する物質はカーボンナノチューブであり、生身の筋肉ではない。
謂わば一から十まで理詰めで造られた科学製品。そこに魔法などという神秘が入り込む余地など一ミリたりとも存在しない。
「残念。不発だったようだぞ、魔法戦士」
馬鹿にしたような口調で言い、あえて高速移動を使わずに残り一人となった魔法戦士へとゆっくりと歩いて行く。
その恐怖はいかほどか。顔面蒼白となった男は、持ちえる限りの魔法をシヴァへと放った。
「我が敵を討ち燃やせ! 『ファイア』!」
魔法戦士の手から放たれた炎がシヴァの体に当たり、爆散。燃え広がる炎が体を舐めるも――無傷。
「我が敵を討ち凍らせ! 『アイス』!」
火属性が駄目ならば氷属性をと浴びせるも――やはり無傷。
それもそのはず。シヴァの鋼鉄の体は摂氏千二百度からマイナス百二十度まで耐えられるのだから。
シヴァがさらに近づく。
だが、魔法戦士は左手を向けたまま、それ以上の魔法を使おうとはしなかった。否。これ以上の魔法を持ち合わせていなかったのだ。残る『マナぜロス』の魔法は魔石に蓄えられた魔素を霧散させるものであり、人には効かないもの。
詰まるところ、シヴァを足止めする手立てがもうないのだ。
「どうやらネタ切れのようだな、魔法戦士?」
ついに、シヴァが足を止めた。目の前には大粒の涙を浮かべるガルティア帝国の魔法戦士。
「ま、待て待て待て待てーー! 金なら全部やる! お、女だってあんたが望みを言えば用意してやるよ!」
「用意?」
男のその言葉に不穏な響きを見出したシヴァ。だが、魔法戦士はその反応を好感触と勘違いしたのか、ぺらぺらと舌を動かす。
「その女のような獣人が好みなのか!? だ、だ、だったら幾らでも攫って来てやるよ! へへっ、獣人どもはとかく魔法抵抗値が低いからな、俺の『ファイネス』の魔法があれば攫うのなんて余裕なんだよ」
男が言うように、獣人族は軒並み魔法抵抗値が低い。だからこそミアも最初、男たちの中に魔法使いがいないと思い安堵したのだ。それは結局、男たちの獣人に近づくための偽装だったわけだが。彼らはこうやって獣人へと近づいては魔法で弱らせ、好きなようにいたぶってきたのだ。
暴行、殺人、強姦、人身売買。その犯罪は多岐に渡る。だが、彼らに罪の意識は一欠けらも存在しない。ガルティア帝国人にとって、獣人族とは何をしても許される下等な存在なのだから。
「だからさ、命だけは助――」
「クズが!」
シヴァが叫ぶのと同時に、魔法戦士の男の頭は切り刻まれて散華した。
3
(こ、この人すごい! ううん、凄いなんてもんじゃない! 凄すぎるよ!! いやもう最高! 最強! 世界一! ええっと、ええっと、他には――)
五人もの戦士をまさしく瞬殺してみせたシヴァに、ミアは興奮しながら内心であらん限りの賛辞を送った。
従来より獣人とは強者に憧れ、惹かれる傾向があるのだ。そういった理由から、ミアのシヴァを見る目は熱い。
頭を失った男の体が血を噴きながら地面に倒れるのを見届けると、シヴァはミアの元へと足を向けた。
その途中、地面に転がる物を見つけた。
「――ん? これは魔石仕掛けの置物、か?」
あの女性のものだろうか。
そう思い、金属製の猫――チャムを拾い上げて、女性の前へ。
そこで初めて、シヴァは目の前の女性が獣人だと知った。どうやらかなり頭に血が昇っていたらしい。
しかも改めて見てみれば、かなりの美人だ。
獣人を見るのは初めてではないが、これほどまでに美しい獣人は見たことがなかった。ほぅっと息を呑む。
スラリと引き締まった体躯に健康的な小麦色の肌。整った顔立ちとさらさらとした銀髪はボブカット。
(耳から察するに、猫人族か。写真にでも撮ってオタルに見せれば歓喜しそうだな)
オタルとは、シヴァの友人の渾名であり、彼は自他共に認めるオタクであった。
それはさておき。いつまでも不躾に見ているのは失礼だろうと思い、女性に声をかけることにした。
「おい、大丈夫だったか? どこか怪我をしているのなら治すが……おい?」
「…………」
シヴァが声を掛けるも返事が無い。ミアはいまだに旅立ったままであった。
「もしかして聞こえてないのか? おい、もしもし、もしもーし!」
「…………はっ!?」
目の前で手を振られ、ようやく我に返ったミア。
「大丈夫か?」
「あ、うん。まだ、魔法が効いてて、上手く力が入らないけど、だいたい大丈、夫」
「いやいや。全然大丈夫じゃないだろう、それは」
魔法のせいで呂律が怪しいミアに、シヴァは「ちょっと待て」と言うと、再びPZ5のホームメニューを呼び出した。今度はEFⅩⅥ装備へと変更。
またもや瞬時に装備を変えたシヴァに瞠目するミア。そんな彼女にシヴァは一本の瓶を渡した。
「これ、は?」
「エリクサーだ」
「えり、くさー?」
聞いたこともない名前に首を傾げるミア。
「ポーションの一種だと思えばいい。それを飲めば、あんたに掛かっている魔法も解けるはずだ」
瀕死の時はエリクサー。MPが尽きたらエリクサー。困ったことがあったらとにかくエリクサー。マジ万能薬。それがEFⅩⅥにおけるエリクサーのキャッチコピーだった。
事実、エリクサーは万能薬だった。HP・MP全回復に加え、あらゆるバッドステータスの快復効果もあるのだから。
「そん、な高価なもの、貰ってもいい、の?」
「構わない。まだ山ほどあるからな」
この世界において、魔法を解呪できる薬はそれなりに値が張る物だ。少なくとも、こんな簡単に他人に上げるようなものではない。
だというのに、この見知らぬ男性は構わないと言う。ミアからすれば信じられない思いだった。
(まあ、これが本当に解呪の効果があるかは分からないけどね)
とはいえ、ここまできてこの男性が自分を騙す意味はないだろう。どうこうしたいのであれば、力が抜けている今こそが絶好の機会であるし、先ほど見せられた実力を思えば、例え自分が万全の状態であっても一秒と抵抗できないだろうから。
ミアのあずかり知らぬことではあるが、エリクサーが購入できるようになるゲーム後半において、この万能薬はポーション代わりになるほど湯水の如く消費される。なので、大半のプレイヤーはポーション系や治療薬の類を殆ど持たなくなるのだ。シヴァもそんな一人であった。まあ、彼の場合はゲーマーであるがゆえのコンプリート魂を発揮して、全アイテムを最低十個は持っているのだが。
ともかく、現在シヴァのインベントリにはエリクサーがまだ855個もあった。なので、シヴァも気軽に渡す。たとえ数が少なくなったとしても、一度日本に戻り、ゲーム内で買えば良いだけの話。
そんな事情を知らないミアは、半信半疑とばかりにエリクサーの瓶を眺めていたのだが――
(まあ、騙されるのなら騙されるでいっか。ダウン系の魔法は一時的なものだって聞くし、それなら放っといても治るしね)
そう結論付けた。獣人族の欠点に、魔法抵抗値が低いことのほか、難しく考えるのが苦手というのものがある。言い方を変えれば楽天的、悪い言い方をすれば能天気である。
そ、それにほら。とミアは上目遣いでチラリとシヴァを見やる。
(こんな圧倒的に強い人になら、少しくらいめちゃくちゃにされてもイイかな~……なんてねっ)
脳内でどういう妄想をしたのか、ミアの顔が一気に赤くなった。
「……本当に大丈夫か?」
心配そうに覗き込んでくるシヴァに、またもハッと我に返るミア。
「だだっ、大丈夫、大丈夫」
ミアはエリクサーの瓶の蓋を開けると、誤魔化すようにして、グビリグビリと一気に呷った。
意外なほどの爽やかな味が、喉を落ちていく。
途端、ミアの頭から足のつま先までを、不思議な感覚がスーッと走り抜けていくではないか。
それはまるで、憑き物が落ちるかのような、本当に不思議な感覚。
「あ、あれ?」
気が付けば、抜けていた力が戻っていることに、ミアは気付いた。試しに両の手の平を握ったり開いたりと何度か繰り返してみる。うん、問題ない。
「本当に治った!?」
そればかりか、なんだか体調も良い。まるでこれまでの旅の疲れが抜けたかのようだと、ミアは両手を上げて無邪気に喜んだ。
が、反対に仏頂面になっている人物がいた。シヴァである。
「……ほう。その物言いだと俺が騙すとでも思っていたようだな」
ピタリと動きを止めて、恐る恐るシヴァを見るミア。
「ソ、ソンナコトナイヨオ?」
見事な棒読みであった。目も逸らしている。大根役者にも程がある、そんな演技だった。
そんなミアが面白く、シヴァはしばらくジト目で見ていたのだが、堪えきれずにプッと噴き出してしまった。
「冗談だ。気にするな」
「怒ってない?」
「ないない。それよりもこのネコ型のスタチュー、あんたのか?」
言って、持っていた魔石仕掛けの猫を見せる。
「ああ、チャム!」
シヴァはやっぱりかと手渡した。嬉しそうに受け取ったミアだったが、すぐにその表情が曇る。未だ動き出す様子を見せない相棒に不安になったのだ。
「……やっぱまだ動かないかー。そもそも『マナゼロス』って自然に効果が切れるのかな?」
「もしかして、コイツも何か魔法を?」
「うん、『マナぜロス』って魔法。対スタチュー用に使われるヤツで、魔石に溜まっている魔素を枯渇させるらしいんだけど……」
人に使用されるダウン系の魔法が自然に解けることは見聞で知っていたが、マナゼロスのことまでは詳しくないミア。最悪、魔石を交換しなければならないかもしれない。
あまり一般には知られていないが、魔石には等級というものが存在する。いわばランクだ。
冒険者ランクと同じで、最低の【Z】から始まり最高の【EX】まであり、その等級が高ければ高いほど高品質となり、比例して値段も上がっていく。
チャムに使われている魔石の等級は【K】。下から数えるよりも上から数えたほうが早いほどに、高品質だ。
そんな高価な魔石が仕込まれたスタチューを、どうしてただの一介の冒険者でしかないミアが持っているかといえば、実は彼女、猫人族の姫――などではなく、ただたんに親馬鹿な両親がかなりというか相当な無理をして、一人立ちする娘にと贈ったからだ。
そんなわけで、もしも魔石の交換となれば、大して稼ぎのないミアには無理であった。だからこそ、治ってもらわないと困る。
「よほど大切なんだな」
「うん、そうだねえ。いないと困るかな」
主に道案内の問題で。もちろん愛着もあるが、彼女は自身も認める相当な方向音痴なのだ。チャムがいなければまともに旅も出来ない。……そのチャムも、なぜかまともにナビができないという相当なポンコツではあったが。それでも、両親の元から独り立ちしてからこれまでの間、苦楽を分かち合いながら一緒に旅をしてきた相棒なのだ。
「……本当にいなくなったら困るよ、チャム」
そっと背中を撫でるミア。その手つきは慈愛に満ちていた。
「魔石の魔素が枯渇しているんだったな」
「へっ? ああ、うん。そうだよ」
魔石とは、放って置いても勝手に空気中に漂う魔素を取り込む、いわば一種の永久機関だ。
であるはずなのに、
(チャムの魔力はいまだゼロのまま、か)
シヴァが『コンフィグ』の魔法で見たチャムのステータス欄のMPは0/1000だった。以外にもMP量が多い。流石は【K】等級の魔石といったところか。
他に気になるところがあるとすれば、これであろう。
名前:チャム(魔枯)
名前の隣にある、(魔枯)という表示。EFシリーズでは、毒などのバッドステータスは名前の横に表示されていた。であれば、これもバッドステータスを表しているのだろう。(魔枯)という表示はゲーム内で見た事はないが、現状から察するにチャムが掛けられたという『マナぜロス』とかいう魔法と見て間違いないだろう。
このバッドステータスのせいで、チャムの魔石は魔素を取り込めていないはずだ。
であれば、話は簡単だ。解呪すればいいだけなのだから。
エリクサーでも治るかもしれないが、さすがに液体をぶっ掛けるのはどうかと思ったので魔法を使うことにした。
シヴァは人差し指を立てて、一言。
「ディスペル」
立てた人差し指から淡い緑色の光の玉が蛍のように飛びたち、チャムの体に止まると、その光で銀色の猫を優しく包み込んだではないか。
驚くミアだったが、チャムの体を包んでいた緑の光が収まると、チャムの体がピクリと反応したのを見て、さらに驚いたものだ。
シヴァの『ディスペル』によってバッドステータスを取り除かれたことで、機能不全に陥っていた魔石が空気中の魔素を取り込み始めたのを切っ掛けに、チャムの体が再起動したのだ。
今もチャムのMPは、毎秒三づつほどの回復をシヴァに見せていた。
この分であれば、六分もすれば全快するはずだとシヴァは満足げに頷いた。
「うん、上手くいったな。これはオマケだ――『グレイス・マナ』」
シヴァの体から純白の光が立ち上ったかと思えば、チャムの体に吸い込まれていった。
その光景に三度驚くミア。しかして次の瞬間――
「みゅ?」
何事もなかったかのように立ち上がるチャムを見て、もはやミアは驚きを通り越して放心状態であった。
解呪の魔法は、まあ分かる。だが、今しがた見せた『グレイス・マナ』たる魔法はなんなのか。どうやれば魔素が枯渇して動けないはずのチャムが動けるというのか。疑問は尽きない。だからミアは、獣人族特有の能天気さに任せて単刀直入に訊ねた。
「えっと……なにをやったの?」
「ん? いやなに、自分のMP――魔素を分け与えたんだよ」
『グレイス・マナ』とは、もちろんこの世界の魔法ではない。EFⅩⅥに出てくる魔法であり、自身のMPを指定した味方に分け与えることができる支援魔法だ。本来ならば【白魔導師】の魔法であるが、全ジョブのスキルや魔法を扱うことができる【勇者】のジョブであるシヴァなので、問題なかった。
現にチャムのステータス欄のMPは1000/1000と全快している。
だからといって、そんなことを聞かされても理解できないのはこの世界の住人だ。
「マナをわけあたえた?」
何を言っているんだろう、この男は。魔素を分け与える魔法など、聞いた事もない。いや、軽戦士でしかない自分が知っていないだけかもしれないが、あり得ない! 何があり得ないかといえば、仮にそんな魔法があったとしても、魔素は魔法使いや戦士に関わらず、切り札とも言えるものだ。
何故かといえば、魔法はいうに及ばず、戦士たちが使うスキルも魔素を消費するからだ。そんな大切な魔素を、たかが魔石仕掛けの置物に分け与えるなんて! いくら愛着があるとはいえ、ミアですら自分の魔素をチャムに分け与えることには抵抗があるだろう。
それほどのことを、この男はしてみせたのだ。
ミアの胸が、痛いくらいに締め付けられる。
(どれだけ格好イイの、この人!)
一人の猫人族の少女が、恋に落ちた瞬間であった。
やはりミアのあずかり知らぬことであるが、シヴァの総MP量は八千万オーバーである。しかもとある装備品によって、毎秒五百ほど回復もする。なので、たかだか千ほどを分け与えたところで痛くも痒くもないのであった。
「あ、えっと、そう言えば名乗りとお礼がまだだったね。私は見ての通り猫人族のミア。危ないところを助けてくれてありがと。それであなたは? よければ名前を教えてくれる?」
「シヴァだ。お礼は確かに受け取った。よろしく、ミア」
右手を差し出すシヴァ。
「ええ、こちらこそよろしく、シヴァ」
差し出された手を取るミア。「よろしく」の言葉に色々な意味を込めて。
その時、ミアの肩に飛び乗ったチャムが「みゅう!」と声を上げた。
「チャムもよろしくだって」
「そうか。よろしくな、チャム」
ミアの手を放し、チャムの頭を撫でたあと、二人で笑い合った。




