体力
ダンチの前に立つみんなの視線が体に刺さってきた。
そりゃそうだ。初めてきた転校生が、やろうとしてる。
どれだけできるのか気になるのだろう。
「サジェスは鉄棒でどんなことができたのじゃ?」
しばらく鉄棒は触っていないけど、まだできるか不安だ。
「前回りとか、逆上がりとかかな」
「それをやってみたらどうじゃ? 今日は初めてだから、楽しめればいいと思うのじゃ」
それならできるかな。
「えっと⋯⋯そのままもっていいの?」
「あっ、ダンチは鉄棒より少し太いけど、同じ感じでもって大丈夫じゃ」
「は、はい!」
サジェスは、アンヌに促され、木の鉄棒——ダンチの前に立った。改めて見ると、やはり小学校の鉄棒よりも太く、表面も滑らかではない。
「じゃあ、いくね」
少し深呼吸をして、下のバーを握る。手のひらに木の質感が伝わり、少しのざらつきを感じた。アンヌや他の子たちが触った熱が残っている気がした。
「始め!」
先生の号令はなかったが、サジェスは自分の中で合図を送り、軽く跳び上がって体を浮かせた。小学校の時と同じように、体を前に傾け、回転の準備をする。
しかし、予想していたよりもバーが太いせいか、あるいは、今日の激しいトレーニングで腕の力が消耗しているせいか、体を支えるのが精一杯だった。
「ふんっ!」
なんとか体重移動の勢いをつけようと試みるが、体がバーに巻き付くように回転せず、ただぶら下がって終わってしまった。
「あれ?」
一瞬、自分が何をしようとしたのかわからなくなる。周りの視線が、さらに集中するのを感じた。
「サジェス、大丈夫なのじゃ?」
アンヌが心配そうに声をかけてくる。
「うん、ちょっと、バーが太いかな。もう一回!」
今度はもう少し強く握り、腹筋を使って体を「く」の字にする。反動をつけて前に回ろうとするが、やはり腕の力が持続せず、体がバーの下に戻ってしまう。まるで、バーがサジェスを拒んでいるかのようだ。
一度、マットに降りて、手のひらを何度も開いたり閉じたりした。手のひらが熱い。
「鉄棒と違って、少し力が必要なのじゃ。特に、今日の筋トレの後じゃと、余計じゃな」
アンヌは励ますように、サジェスの背中にそっと手を当てた。
「そうか……さっきの筋トレで、もう腕が疲れてるんだ」
抱え込みジャンプ、その場駆け足、ラーロ跳び。すべて足と体幹を使う運動だったが、体を支えるために腕にも相当な力がかかっていたのだろう。
「次は、逆上がりなのじゃ。前回りよりも、勢いがつけやすいかもしれん」
「そうだね、逆上がり……」
逆上がりは、前回りよりもコツが必要だが、一度成功すれば勢いで回れる。サジェスは再びバーを握り、少し下がって助走のスペースを作った。
「よし!」
小さく助走をつけて跳び上がり、バーに足を巻き付けるように体を振り上げる。小学校の頃はできていたはずだ。
足がバーを越え、体が逆さになる。しかし、そこから体が上に伸びない。腕が曲がり、バーに体が引きつけられ、そのまま下に落ちそうになる。
「くっ……!」
必死に体を持ち上げようとするが、まるで何トンもの重りがついているかのように、体が重い。頭に血が上り、顔が熱くなるのを感じた。
結局、そのまま回転できずに、再びマットに降り立った。体勢を崩したため、着地も少し不安定になった。
周りの生徒たちの間に、ざわめきが起こる。しかし、それは嘲笑というよりも、驚きと不安の色が濃いざわめきだった。あのアンヌの隣にいる子が、鉄棒一つできない、という驚きかもしれない。
「サジェス、足をもっと高く上げるのじゃ!」
アンヌの声が、ひときわ大きく響いた。
「足先を天に突き刺すように、上を向く! そして、お腹をバーに近づけるのじゃ!」
アンヌはバーを握り、助走なしで軽々と逆上がりをしてみせた。一瞬で体が反転し、バーの上に座るような姿勢になる。
「ほれ!」
そして、すぐに降りてサジェスの方を見た。
「あの、アンヌさん、すごすぎます……」
「そうじゃ、アンヌ様はラフェイでもトップクラスの……」
周りの生徒たちの感嘆の声は、サジェスを置いてきぼりにしている。
「アンヌ、もう一度、逆上がりを、ゆっくり見せてくれる?」
「うむ、良いのじゃ!」
アンヌは再びバーを握り、今度はゆっくりと、動作を区切りながら逆上がりを始めた。
「まず、体をバーの下で振り子のように振るのじゃ。勢いをつけるために」
アンヌの体が前後に揺れる。
「次に、足を揃え、一気に上に持ち上げる。この時、足先が天を突くように!」
アンヌの足が、一直線に空を向いた。
「そして、体をバーに引き寄せ、お腹をバーの上に乗せる!」
流れるような動作。まるで、体が鉄棒に吸い寄せられるようだ。
「ありがとう、アンヌ」
サジェスは、アンヌの動作を脳裏に焼き付けた。ポイントは「足先を天に向けること」と「お腹をバーに引き寄せること」だ。
「今度こそ!」
三度目の挑戦。
バーを握り、小さく助走。体を浮かせ、振り子のように勢いをつける。
「せーの!」
足を揃え、思い切り上に蹴り上げた。アンヌの教え通り、足先が天を突き刺す。全身の筋肉を使い、腹筋に力を込めてバーに体を巻き付けようと試みた。
体が逆さまになり、今度こそ!と思った瞬間、足がバーを越えた。しかし、またしても腕の力が足りない。回転の勢いはついたものの、体を支えきれず、体がバーの下で「くの字」になり、そのまま背中から落ちそうになった。
「うわっ!」
反射的に腕の力で耐えようとするが、もう限界だ。
その時、後ろから「ピシッ」と、何かが木を打つような音がした。
「いかん!」
アンヌが叫ぶと同時に、サジェスの背中のあたりが、ふわりと温かいものに包まれた気がした。
体がバーから落ちることはなく、バーの下で逆さまの状態で静止している。
「腕を離していいのじゃ!」
アンヌの声に、サジェスは恐る恐る手を離し、マットに降り立った。
「今の……?」
驚いて後ろを振り返ると、アンヌが、サジェスが落ちそうになったまさにその場所で、小さな光る羽をパタパタさせている。アンヌの羽は、彼女が先ほど見せた演技の時よりも、さらに鮮明にサジェスの目に映った。
「ふぅ……落ちるところじゃった。怪我をしたら大変じゃ」
アンヌはサジェスから一歩離れると、羽をそっと引っ込めた。
「アンヌ、今、魔法で……?」
「うむ。少しだけ、身体強化の魔法を使ったのじゃ。鉄棒で怪我をするのは、天使学ではみっともないからのう」
アンヌは、照れ隠しをするように、少し頬を膨らませていた。
周りの生徒たちは、一瞬の出来事に言葉を失っているようだったが、先生が口を開いた。
「アンヌ、ナイスフォローだ。しかし、サジェス。今日は、もう無理に難しい技に挑戦しなくてもいい。簡単なぶら下がりや、スイングで、ダンチに慣れることから始めよう」
「は、はい!」
先生の言葉に、サジェスは安堵すると同時に、自分の不甲斐なさを感じた。アンヌは、転校生の自分を心配して、ルールを破って(たぶん)魔法を使ったのだ。
「サジェス、気にすることはないのじゃ。誰でも最初はできん。ワシも、このダンチは苦手じゃった」
「アンヌが苦手……? まさか」
サジェスの顔に疑問符が浮かぶ。
「ラフェイに来る前はな! ワシは、剣術ばかりの訓練で、こういう運動は全くできんかったのじゃ!」
アンヌは、少し自慢げに胸を張った。
「そうなんだ……」
アンヌにも、苦手な時期があった。その話を聞けただけで、サジェスは少し気が楽になった。
「じゃあ、次はスイングをしてみるのじゃ。足を揃えて、ブランコのように振るだけじゃ」
「うん!」
サジェスは、もう一度バーを握り、今度は技ではなく、ただ体を揺らすことに集中した。
体を前後に揺らす。ただそれだけの動作だが、疲れた体で体重をコントロールするのは意外と難しい。しかし、少しずつ、体がダンチの太さ、重さに慣れていくのを感じた。
「いいぞ、サジェス! その調子で!」
アンヌの声が、心地よいリズムのように聞こえる。
「交代!」
しばらくスイングを続けたところで、先生の声がかかった。
「はぁ……はぁ……」
マットに降り立つと、腕がパンパンになっていた。
「サジェス、お疲れ様なのじゃ。後半は平均台じゃな」
「うん、ありがとう、アンヌ。助けてくれて」
サジェスは心からの感謝をアンヌに伝えた。
「気にすることはないのじゃ。友達なのじゃから!」
アンヌは、にっこりと微笑んだ。
「次は、平均台だね」
平均台のグループに移動する。平均台は、カワンの家にあったものよりも、幅が広く、高さも低いようだ。
「平均台は、ラフェイでは『渡り橋』と言うのじゃ。天使学は、高いところを飛ぶだけではなく、細いところを渡る訓練も必要なのじゃ」
アンヌが小声で解説してくれた。
ここでは、生徒たちがそれぞれ、渡り橋の上を歩いたり、ターンしたり、ジャンプしたりしている。
「アンヌ様、お願いします!」
ここでもまた、アンヌに注目が集まった。
「任せるのじゃ!」
アンヌは、平均台の上に乗ると、まるで地上を歩くように、スッと背筋を伸ばして歩き出した。そして、平均台の中央で、片足を上げ、両手を広げて静止した。まるで、絵画のような美しさだ。
「わあ……」
アンヌはそのまま、平均台の上で片足立ちの姿勢から、ゆっくりと体を反転させるターンを披露した。まったく揺れない。
最後に、平均台の上で小さなジャンプを二回した後、軽やかに着地した。
「素晴らしい!」 「流石です、アンヌ様!」
割れんばかりの拍手が、再び鳴り響いた。
「次は、サジェスちゃん、どうぞ!」
平均台のそばにいた子が、優しく声をかけてくれた。
「は、はい!」
ダンチでの失敗を頭の片隅に追いやり、サジェスは平均台の前に立った。
「平均台は、歩くことからのスタートで良いのじゃ」
アンヌの助言通り、サジェスはバーの上にゆっくりと足を乗せた。
足の裏に、木の感触が伝わる。幅は広いものの、やはり上を歩くのは少し緊張する。
サジェスは、両手を広げてバランスを取りながら、一歩一歩、慎重に前へと進んだ。
ゆっくりと、平均台の端まで歩き終えると、安堵のため息が出た。
「上出来じゃ、サジェス!」
アンヌが拍手をしてくれる。
「じゃあ、次はターンをしてみるのじゃ。片足を上げて、ゆっくりと、軸足の上で体を反転させるのじゃ」
「うん」
再び平均台に乗り、真ん中まで歩く。
片足をそっと上げ、軸足に体重をかける。そして、体をゆっくりと回転させようとした。
しかし、ダンチでの疲労に加え、平均台の緊張が体を硬くさせていたのだろう。体がグラリと揺れた。
「あっ!」
バランスを崩したサジェスは、平均台から落ちる寸前で、両手を広げて耐える。何とか踏みとどまったが、体はガクガクと震えていた。
「もう一度、落ち着いて。手は羽を広げるように、大きく広げるのじゃ!」
アンヌの指導が飛んでくる。
深呼吸をして、再び挑戦。今度は、手を使って、必死にバランスを取る。
なんとか、ゆっくりと体を半分回転させることができた。なんとか成功だ。
「やった!」
「素晴らしいのじゃ、サジェス! 一回で成功するとは!」
アンヌが自分のことのように喜んでくれる。
「よし、授業終わり!」
先生の声が響き渡り、生徒たちは一斉に立ち上がった。
「きっつ……」
サジェスは、全身の筋肉が悲鳴を上げているのを感じながら、マットにへたり込んだ。
「サジェス、お疲れ様なのじゃ。今日は、ワシがマッサージをしてやるのじゃ!」
アンヌがそう言うと、サジェスの足に手を当て、そっとマッサージを始めた。手のひらから、ほんのり温かい光が漏れている。
「あ……なんか、痛みが引いていく」
「ふふん! これも、天使学の癒やしの魔法なのじゃ!」
アンヌは誇らしげに笑った。
「ありがとう、アンヌ」
サジェスは、アンヌの優しさに心から感謝した。天使学はきついけれど、アンヌがいるから頑張れる。そう思った。
「次の授業は2セットだからな! 覚悟しておけ!」
先生の声が、体育館に響き渡る。
「……うん、心の準備、しておく」
サジェスは、小さくつぶやいた。
天使学の補強と実技は、予想以上に体力を消耗するものだった。アンヌの助けと励ましがなければ、初日で心が折れていたかもしれない。
サジェスは、アンヌの癒やしの魔法で少し楽になった足を引きずりながら、次の授業へと向かう準備を始めた。
「サジェス、お茶でも飲むのじゃ。次は座学じゃな。頭を休めるのじゃ」
アンヌが、魔法で水を作り出し、サジェスに渡してくれた。
「ありがとう、アンヌ。座学なら少しは安心かな」
サジェスは、ひんやりと冷たい水を飲み干した。
「次は、何の授業なの?」
「うむ。次は『光と影の歴史』じゃな。天使と魔族の古き戦いの物語じゃ」
アンヌは、少し真面目な顔になって答えた。
「歴史……ラフェイの歴史だよね」
「そうじゃ。知っておくべきことなのじゃ」
サジェスは、天使の歴史を学ぶことへの好奇心と、先ほどの激しい運動の余韻で、胸が高鳴るのを感じた。
「ねえ、アンヌ。その『光と影の歴史』について、少しだけ、どんな内容か教えてくれる?」




