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『東方仙影譚』第四十五話

何話で終わるのだろう

 俺はルクスの手を力任せに振り払うと、感覚の戻らない足を引きずるようにして、棚の物陰から、そして妹紅の立ち尽くす和室から、弾かれたように再び外の廊下へと飛び出した。

 竹林のひんやりとした朝の空気が、父さんに殴られて熱を持った右頬を冷たく撫でていく。俺は走りながら、自分の腕の中に抱きしめていた、ルクスの深緑色の大きなマントを、自分の頭から羽織った。

 マントを着て、深くフードを被り、視界を極限まで狭くする。涙まみれの情けない顔も、激しい過呼吸の息遣いも、全部このマントの暗闇の中に閉じ込める。

 

 俺は迷いの竹林をがむしゃらに駆け抜け、そのまま【人間の里】へと向かった。

 ルクスに追いつかれる前に、早く行かねば。あいつにだけは、俺のこの心臓の激しい鼓動が全部筒抜けになっている。あいつのあのニオイに包まれたら、今度こそ俺の頑ななプライドは完全にへし折れてしまう。それだけは、絶対に嫌なんだ……!

 俺はフードの奥で必死に歯を食いしばり、大勢の人間たちがひしめき合う、里の賑やかな雑踏の光の中へと、マントを翻して滑り込んだ。

 

 人混みに紛れれば、いくら魂が繋がっていようと俺を見失うはずだ。そう思った、まさにその瞬間だった。

 

 里の大通りのど真ん中、行き交う人々の視線を浴びながら、そこにぽつんと立ち尽くしている『巨大な異形』の姿が、俺の狭いフードの視界に飛び込んできた。

 ふさふさのアカギツネの顔に、深緑色のドラゴンの翼と尻尾。軍帽を深く被り、深緑色のマントを揺らしている。

 

 里に行くと、そこにはいつもの、見慣れた姿のルクスが立っていた。

 

 なんで。なんでこうも簡単に、俺の先へと回り込んでやがるんだ。

 人間の姿に化けることすら忘れて、里の人間たちに怪物だと指を差される危険もかえりみず、ただ俺を追いかけるためだけに、全力でここに立ってやがる。

「面倒だなぁ」

 俺の口から、自分でも驚くほどに感情の消え失せた、乾いた掠れ声が漏れ出た。

 ルクスは、軍帽の下の紅い瞳を悲しそうに揺らしながら、俺の前でその大きな上体をゆっくりと屈めて、懇願するように魂の底を震わせた。

『主……戻ろう?』

 ――ドガァァァンッ!!!!

「っ……!!」

 俺はルクスの言葉を最後まで聞くことなく、そのふさふさのアカギツネの顔面目がけて、自分の小さな拳を思いっきり全力で殴り飛ばした。

 子供の、だけど魔力が乗りに乗りまくった、おそろしく重い物理の一撃。大きなルクスの巨体が、里の土の上に派手にひっくり返る。

 

 久しぶりだ。

 自分の拳が、相手の肉体を殴りつける、この生々しい激痛の感触。

 俺はそのまま、倒れ込んだルクスの巨大な胴体の上に馬乗りになると、狂ったように両拳を振り上げ、奴の顔を何度も、何度も、無我夢中で殴り続けた。

 バシィィィン!!! バキッ!!! ドガッ!!!

 自分の拳の皮が破れ、熱い血がにじむ。

 だけど、俺の頭の中はもう完全に真っ白で、実の父親から受けた暴力の恐怖も、出来損ないという呪いも、全部目の前の相棒にぶちまけるように、ただ衝動のままに腕を振り下ろすことしかできなかった。

 

 この感覚は、一生忘れないだろう。

 

 拳に伝わる、いつも俺を癒やしてくれていたルクスのあの香ばしくて温かいふさふさな毛並みの感触。

 そして、それ以上に――俺がどんなに殴りつけても、魔王としての最強の魔力の盾を展開することすら一切せず、ただ俺の怒りと悲しみの全てをその身に受けるために、静かに目を閉じて『抵抗するのをやめた』ルクスの、圧倒的なまでのその無言の優しさ。

「……ッ、あ、ぁ……っ!!」

 ルクスが抵抗するのをやめたら、俺は急に自分のやっていることの恐ろしさに気づき、殴るのをパッとやめた。

 

 ハァ、ハァ、と激しく息を荒らしながら、俺は傷だらけの拳を抱え、馬乗りになっていたルクスの身体から転がるように飛び降りると、奴の顔を見ることもできないまま、フードを深く被り直して、再び里の雑踏のどこかへとがむしゃらに走って逃げ出すのだった。

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