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『東方仙影譚』第三十六話

仙…?

「……家出」

 俺が死んだ魚のような真顔でそう告げた瞬間、リビングの空気は、これまで体験したことのないレベルのおそろしく気まずい沈黙に支配された。

 床の上で輝夜にガバガバな十字固めを極められていた妹紅は、一瞬にして痛みを忘れたように「失礼しました許してください」と光の速さで敬語になって全面降伏し、隣のルクスにいたっては『なにも聞いてない……』と白目を剥いて完全に石化している。

 おいお前ら、十二歳の少女のリアルな過去を聞いた途端に、触れちゃいけないものを見たような目で一斉に目を逸らすんじゃない。

 そんな中、妹紅の足を極めたままの姿勢でドヤ顔をしていたニートのお姫様(輝夜)が、おもむろにその手をパッと離すと、まるで親戚の面倒見の良いお姉ちゃんのような、おそろしく優しい笑顔を浮かべて俺の前に歩み寄ってきた。

「なるほど、家出ね……。苦労したのねぇ仙。でも安心して頂戴、私は千年以上ニートをやっている『実家に帰らない(帰れない)家出の絶対的な大先輩』よ! 悩んだら私を人生の先輩として大いに見習いなさい!」

「一番見習っちゃいけないゴミ人間じゃねぇか!!!」

 俺はパイプ椅子からガバッと身を乗り出し、光の速さでツッコミを叩き込んだ。おい輝夜!!! お前のは家出っていうか、ただ実家(月)から地球へ島流しにされた挙句、千年以上にわたって永遠亭の奥底でゲームを引き籠もりプレイしている本物のガチニートだろ! 俺にそんな破滅的な人生設計を伝授しようとするな!

 すると、床からよっこらしょと起き上がった妹紅が、自分の服の畳のゴミをパッパと払いながら、これまた今まで見せたことのないような、おそろしく包容力にあふれた慈愛の目で俺の頭を優しく撫でてきた。

「12歳で家出か……色々あったんだな。よしよし、お姉ちゃんが今から美味い焼き鳥でもおごってやるから元気出しな」

「急に親戚のババァみたいな距離感の詰め方してくんじゃねぇよ!!!」

 俺は妹紅の手をパシッと振り払いながら叫んだ。

 千年だの億年だの生きている長寿まみれの幻想郷の連中からすれば、十二歳の俺なんてただの生まれたての赤ん坊みたいなもんなのだろう。だからって、急にお姉ちゃん面をして甘やかそうとしてくるな、ウザ可愛いわ。

 だけど、頭を撫でられた手の温もりが、なんだか妙に記憶の奥底をチクチクと刺激して――俺は目を逸らしながら、お茶をすすってポツリと本音を漏らした。

「……なんか、何年振りだろ? ……悪くねぇわ……」

「あ、ガチの複雑な家庭……?」

 妹紅が、おそろしく引いた顔でリアルに同情するような声を漏らした。おい妹紅!!! そんなガチで神妙なトーンで「あ、触れちゃいけないガチの闇のやつだこれ……」みたいな顔で俺を見つめるんじゃねぇよ! 笑えよ! いつものヤンキー口調で突っ込んでくれよ、変な空気になっちゃったじゃねぇか!

 そんな重たすぎるリビングの空気を察知して、俺のすぐ後ろで直立していたデカいモフモフ――望月ルクスが、軍帽をパタパタさせながら、おそろしく澄んだ低音の魔王ボイスでそっと話しかけてきた。

あるじ、我輩のこと、吸う?』

 ルクスが自分の大きなふさふさの腹(極上のキメラ吸いスポット)を、これ以上ないほど健気に差し出してくる。

「いいの?」

『やっぱやめときます』

 おい相棒!!! 自分から「癒やしてやるぞ」みたいなポーズで提案してきたくせに、俺が家出少女のガチの暗い目で『いいの?』って見上げた途端に、恐怖を感じて秒速で前言撤回するんじゃねぇよ!

 170センチオーバーの巨大な魔王のくせに、リアルな心の闇にビビってシュンと耳を寝かせてマントに引き籠もるな!

 そんな俺たちの、温度差が限界突破しているグダグダな主従のやり取りを横目で見ていた霧雨魔理沙が、おもむろに食卓からガタッと立ち上がった。

 金髪の魔法使いは、ほうきを肩に担ぎ直すと、これ以上ないほどカラッとした満面の笑みで、俺の手首をガシッと力強く掴んだ。

「よし、仙家うち来い」

「え? ちょ、ま、待て? おーい?」

 魔理沙は俺の腕を掴んだまま、一ミリの躊躇ちゅうちょもなく、ずるずるとリビングの引き戸に向かって俺を引きずり回して連行し始めた。

 おい魔法使い!!! 家出の過去を聞いて気まずくなったからって、気分転換に自分の家(魔法の森の霧雨魔法店)へ強引に拉致しようとするな!

 俺は必死に床を蹴りながら、食卓に残された永遠亭の住人たちに向かって救難信号をあげた。

「え、妹紅なんで棒立ち? 輝夜も? ちょ、おい? もこたん? たす、え?」

 だが、床の上でお互いに関節を破壊し合っていたはずのもこかぐの二人は、まるで見事な彫刻のように綺麗に直立不動のまま、俺が魔理沙にズルズルと引きずられて部屋から出荷されていく光景を、ただ無言で静かに見送っていた。

 おい不法侵入女子コンビ!!! さっきまで急にお姉ちゃん面して『よしよし』って頭撫でてた優しさはどこへ行ったんだよ! 魔理沙がガチの拉致犯として俺を部屋から連れ出しているんだから、誰か一人くらい「待て泥棒!」って格好よく助けに入ってくれよ!

 朝一番から不法侵入に脅かされ、魔王を撃退し、自分の家出の過去が暴かれた直後に、空気の読めない魔法使いに魔法の森へと強引に出荷される。

 俺と望月ルクスの、幻想郷での居候生活数日目の朝は、やっぱりタイトル以上の大渋滞と拉致と共に、永遠亭のグダグダな日常を強制終了させられ、ついに初めての外へのお出かけを迎えるのだった。

仙、骨は拾うからな、安心しろ

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