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代償と覚悟


 材料商の通知から一夜明けても、数字は変わらなかった。


 リディアは最後の在庫箱を作業台の下へ戻した。布の上の薄板と切れ端を大きさの順に置き直しても、同系統合金の列は受注の頁の必要量の線に届かない。朝から三度数えて、三度同じだった。


 ヴァルターは扉脇の棚で、空になった在庫箱を無言で重ね直している。


 作業台の端には、井戸の一件を聞いて隣村から持ち込まれた揚水器がある。先の井戸のものではない。水の戻った畑を見て、修理を頼みに来た人だ。導路に亀裂。同系統合金で継ぐ。引き渡しは四日後。


 井戸が直るまで、あの村では誰かが水を手で運び、そのぶん畑の手が減る。受注欄に書いたのは、その採算だった。


 そしてこれは、営業契約に署名してから、自分の名で果たす最初の仕事になる。果たせなければ、実績の行はここで止まる。


 扉が開き、家令が二通の返書を卓へ置いた。昨日の朝、馬で発たせた使いが持ち帰ったものだ。


「隣領の材料商と、町の市においでの行商からでございます」


 言い回しは違っても、中身は同じだ。同系統合金は商会の割当品であり、割当の外へ新規には卸せない。


 リディアは受注の頁の余白へ、断られた先を順に書いた。領内の三軒。隣領の一軒。行商。五つの名を線で消すと、印の側が見えてきた。


 材料は、商会の割当で動く。修理品は、名を伏せれば商会の新品保証が付く——断った専属契約書の条項だ。そして認証の札は、検査を通った新品にだけ結ばれる。祝宴灯の支柱で銀色に光っていた、あの札。


 割当と、保証と、認証。押す手は別々でも、三つの印は同じ導路を回って同じ手へ戻る。


 リディアは返書を重ねた。


「印の外で、使える素材を探します」


「当てが一つある」


 ヴァルターが壁の鉤から倉の鍵を外した。


「倉に、廃棄を待つ軍装具が残っている。鐙と同じ耐熱合金なら、数はまとまる」


「材料商や商会への口利きは」


「しない。爵位で開けていいのは、うちの倉だけだ」


 倉の奥には、古い軍装具が木枠ごと積まれていた。胸当て、籠手、折れた鐙。二人で手分けして、持てるだけ工房へ運ぶ。どの一片にも擦れた整備刻印は残っているが、素材の認証を示す物は付いていない。


 リディアは胸当ての縁へ指を添え、微弱な魔力を流した。


 返る響きの硬さと速さを、揚水器の導路の反響と重ねる。重なれば布の右、ずれれば左。


「右の山、十二」


 ヴァルターが選別済みの数を告げ、リディアは次の籠手へ指を移す。倉一枠ぶんの金属は、日暮れ前に二つの山へ分かれた。


 布の右の列を、必要量の線へ当てる。


 列は線を越えていた。リディアは線の内側を数え直さず、線の向こうに残った四片を数えた。予備が四片。四日あれば、継いで、調律して、確かめられる。


 台帳の新しい頁を開く。


 素材、グレン家の倉の廃棄軍装具より再生。選別、反響一致による。選別者、リディア・エルマー。


 認証の印は、どこにも置けない。置けるのは選別の基準と、自分の名前だけだった。


 リディアはインクを乾かし、選別した再生材の山を揚水器の隣へ運んだ。明日の朝から、導路を継ぐ。



 選別から三日が過ぎた朝、最後の調律が終わった。


 リディアは揚水器の導路へ微弱な魔力を流した。継いだ再生材の上を、反響が遅れも途切れもなく渡っていく。向きを変えても同じだった。工房で確かめられることは、すべて確かめた。


 受注の頁へ、修理完了、と記す。引き渡しは明日。据え付けと、井戸へつないでの実負荷の確認も明日。四日の約束に、一日残して間に合った。


 保証書は昨夜のうちに書き出してあった。修理内容の下へ、素材の行を足す。


 素材、グレン家の倉の廃棄軍装具より再生。選別、反響一致による。保証、リディア・エルマー。


 隠す書き方も、あるのかもしれない。だが、自分の名で保証する書面に、読めない行は作らない。


 扉が開き、ヴァルターが戻った。


「荷車は明朝、門へ回す。覆いを掛けておくか」


「お願いします。布の端を持っていてください」


 二人で揚水器に覆いを掛け、縄を回した。結び目を締めたところで、庭の砂利を踏む音が近づいた。家令が先に立ち、制服の男を戸口へ案内してくる。


「領の安全審査官が、お見えでございます」


 審査官は一礼し、書面を開いて示した。


「アルデン家商会より、当工房について安全審査の申請が出ています。内容は、無登録素材の使用について」


 申請の日付は昨日だった。リディアは数える。今朝届いた断りの返書は二通。どちらも領の外からだ。問い合わせは割当の網を巡って、出した先より遠くへ届く。割当から締め出された後も素材を探した工房が、受注を返上していない——申請には、それで足りる。


「台帳と保証書を、ご覧になりますか」


 リディアは工房台帳と保証書を作業台へ開いた。隠して通る話ではなく、隠す書き方もしていない。


 審査官は保証書の素材の行を指でなぞり、最後まで読んだ。


「出どころも、選別の方法も明記されています。ですが、この再生材に現行の登録認証はありません」


「ありません。あるのは選別の基準と、私の名前だけです」


「では、手続き上そのように扱います」


 審査官は次の書面を出した。


「登録認証のない素材を用いた修理の営業は、確認され次第、停止となる規則です。確認された場合に備えて、命令書を持参しています」


 そして読み上げた。


「本日をもって、当工房の営業を停止します。扉には封印札を貼ります。停止中に許される作業は、審査担当が指定する限定診断と公開試験に限られます。解除には、公的な設備で素材の適合性を証明していただく必要があります」


「腕は、見ないのですね」


「見ません。登録の有無だけです」


 ヴァルターが一歩前へ出て、書面へ目を落とした。手は剣帯から離れたままだった。


 リディアは保証書から指を離し、その袖口へ一度だけ触れた。すぐに、指を台帳へ戻す。


「受注済みの品はどうなる」


「引き渡しも、営業に含まれます。停止の間は、できません」


 明日、と書いた台帳の行は、そのままの字で残っている。修理は終わり、材料も足りた。日付が、残った。


「依頼主には私から話す。水を運ぶ人手のことも、村と相談する」


 ヴァルターが言い、審査官はうなずいて、検体を収める小箱を卓上へ置いた。


「同じ手続きとして、使用素材の検体をお預かりします。王都の審査担当へ送り、適合性の審査にかけます」


 リディアは再生材の予備の四片から一片を選び、小箱へ収めた。それから台帳を開き直し、井戸の試験の頁を出す。試験の日付、安全弁が開いた回数、反響が重なった位置、つなぎ直した後の経過。


「この工房が、どう選んで、どう確かめるかの記録です。選別の基準と一緒に、写しを検体へ付けてください」


「適合性の判定は、王都の設備で行います。審査資料としては、受理します」


 審査官は写しを待って小箱を封じ、宛先を書いた。王都、の文字が上になる。


 扉に封印札が貼られた。領の公印は、まだ糊で濡れて光っていた。


 公印のある札が扉を閉じ、公印のない再生材と自分の署名の写しが、箱の中で王都へ向かう。


 同じ朝に、扉は閉じられ、箱は発った。


 その夜、居間の卓には仮の帳面が置かれた。


 封印の前に書き写せたのは、受注の頁の最後の行までだ。修理完了、引き渡しは明日。果たせなくなった日付が、灯りの下で乾いていく。


「台帳の行は、そのままでいい。直す日付が変わるだけだ」


 ヴァルターが向かいに座った。


「明日、依頼主と村へは私が話す。停止はうちの側の事情だと言う」


 それから、少しだけ間を置いた。


「もう一つ、話がある。悪評はこの家に付いている。あなたの腕に付いたのではない。別の土地でなら、立て直せる。……解消の書面は、いつでも書く」


「お断りします」


 数えるより先に、声が出ていた。


「工房の責任は、私の名で受けました。途中で名前だけ持って降りることはしません」


 ヴァルターはそれ以上言わなかった。仮の帳面を挟んで、灯りが一つ揺れた。


 リディアは書き写した最後の行の下へ、明日の日付を書き足した。


 断ってから、リディアは自分の速さに気づいた。損得を、まだ数えていない。別の土地で立て直す道と、封印の続くこの家に残る道と、どちらの帳尻が合うのか、見てもいない。


 彼の理屈が合っていないことにも、遅れて気づいた。停止が付いたのは工房の名義で、名義は自分の名だ。土地を変えても、名は付いてくる。数字に細かい人が、合わない理屈を口にした。その意味までは、探さなかった。


 見なくても答えが決まっていた理由も、探しても出てこなかった。


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