爵位を賭けた負荷試験
◇
王都西門の保守回廊には、二つの図面が広げられていた。
片方は増設前の旧図面。もう片方は、隅にアルデン家商会の認証印が並ぶ全面交換後の図面だった。
王都の審査担当が、認証印のある方を指で押さえた。
「アルデン家の交換案を説明してください」
ユリウスが図面を引き寄せた。
「現状の変換環と主導路も残しません。旧核石から防壁板までを認証済みの新品へ替え、四区画を一式で組み直します」
リディアは増設前の旧図面に残る細い線を指した。
「この線は」
「増設前からある保守用の迂回導路です」
保守担当が答えた。
「今の主導路を止めたまま、防壁板を一枚ずつ点検するための経路でした。増設後は封じています」
現状は、古い建物へ玄関から四つの部屋へ伸びる太い廊下を足した形だ。元の裏廊下は封じられたが、壊されてはいない。全面交換案は、建物ごと新しくする。
審査担当は図面の間へ診断許可書を置いた。
「許可するのは診断用の弱出力までです。防壁板が展開する強さへは上げないでください。今日の診断で核石の記憶残存を示せなければ、全面交換案を採用します」
ユリウスは全面交換後の図面に手を置いた。
「主導路から反響が返らない。複数の区画でも反響の途切れが確認されている。機能を記憶していた核石が死んだと見るのが、安全上もっとも妥当です」
彼の説明に誤魔化しはなかった。記憶を失った核石は直せない。主導路から何も返らないなら、動かない古い設備を残すより、認証済みの新品へ替える方が安全だ。
ただし、本当に何も返っていないなら、という条件が付く。
リディアは西門の点検蓋を開けた。
石壁の奥に、黒ずんだ旧核石が固定されている。その外周には、図面どおり銀色の新式変換環が増設され、そこから太い主導路が四つの区画へ分かれていた。
旧図面の裏廊下に当たる細い導路も、全区画の背を走っている。封はされているが、切断はされていない。最初の点検用の枝だけは、防壁板一枚へ切り分けられる。区画ごとの点検端子も壁際に残っていた。
リディアは主導路の入口へ指を添えた。
「流します」
審査担当が記録係へ合図する。
微弱な魔力が核石へ入った。入口から新式変換環を巡り、四つの枝へ分かれていく。
指先へ戻るはずの反響は、ない。
強さを変えず、もう一度だけ流す。やはり主導路の入口は静かなままだった。
ユリウスが診断許可書を指した。
「同じ結果です。これ以上は、動かない核石へ負荷を足すだけでしょう。停止を求めます」
公共設備を前にすれば、正しい要求だった。返らない反響へ、直せるはずだという希望だけを重ねることはできない。
リディアは主導路から指を離した。
「点検端子を確かめます。出力は上げません」
審査担当がうなずいた。
第一の端子へ、同じ弱さで流す。
すぐには何も返らない。指を離そうとしたところで、遅い反響が一つ戻った。
第二の端子では、もっと早い。第三では、押し返す向きが逆だった。第四の端子へ流している間に、第一からの遅い戻りがもう一度指先へ触れた。
一つずつなら、消えていない。
リディアは主導路へ戻り、今度は流さずに、枝から帰る反響だけを待った。早い戻りと遅い戻りが入口で重なる。一方が押すとき、もう一方が同じ強さで引く。
指先では、差し引きがゼロになる。
「反響が無いのではありません」
リディアは点検端子を順に示した。
「区画ごとには返っています。戻る時刻と向きがずれて、主導路では打ち消し合っている。複数の断線があるなら、核石が死んでいなくても、入口では無反響に見えます」
ユリウスは旧図面を見た。
「枝に残る反響が、核石の機能記憶から返ったものだという証明にはならない。断線した導路に残った揺れかもしれない。まして、旧式の経路で公共設備を動かす根拠にはならない」
「はい。全体を動かす根拠にはなりません」
リディアは迂回導路の線を指で追った。新式変換環も四区画の主導路も通らず、最初の点検用の枝だけを防壁板一枚へ切り分けられる。
「だから、この迂回導路を使います。主導路から切り分けた一枚だけに、同じ弱出力を通す。核石に機能の記憶が残っていれば、その一枚は応答します。残っていなければ、点きません」
「迂回導路の安全は認証されていない」
「防壁を展開する出力には上げません。一枚の応答だけを見ます」
ユリウスが、診断許可書の記録欄を指で叩いた。
「結果だけでなく、申請者の名も残していただきたい。一枚も応答しなければ、誰の診断が復旧を遅らせたか分からなくなる」
審査担当が記録欄を確かめた。
「申請者名と成否は、ともに記録します」
ユリウスがリディアを見た。
「エルマーの名で、試すと?」
リディアは指先を迂回導路の線から動かさなかった。
「はい。お願いします」
審査担当は、主導路の記録と四つの点検端子の記録を読み比べた。
「アルデン家側の停止要求は妥当です。しかし、核石の記憶喪失も確定していない」
彼は保守担当へ向き直った。
「迂回導路を開けてください。主導路から一枚を切り分け、弱出力のまま応答だけを確認します」
点検蓋の奥で、古い封印金具が外された。
全面交換案を止める証拠は、まだない。試せるのは、西門の防壁板のうち、ただ一枚だった。
◇
迂回導路の封印金具が外された。壁際の手動遮断器は、ヴァルターの手の届く位置にある。保守担当が床を横切る白墨線の外へ下がり、線の内側にはヴァルターとリディアが残った。
「合図はリディアが出す」
リディアは点検用の防壁板一枚につながる端子を開いた。四区画の主導路は閉じたままにする。迂回導路だけを核石とつなぎ、新式変換環の外側を通る経路を一本作った。
新式変換環は外していない。主導路へ流さないことで、今回の経路から切り分けただけだ。
ヴァルターが遮断器へ手を置く。
「いつでも止められる」
審査担当とユリウスが、退避線の外から見ている。
リディアは迂回導路へ指を添えた。
「流します」
工房で扱うよりも弱い魔力を、核石へ送る。
主導路では消えた反響が、今度は細い導路を一方向へ進んだ。継ぎ目を越え、点検端子を通り、防壁板へ届く。
石壁にはめ込まれた一枚の縁が、淡い青に光った。
全面展開の光ではない。門を覆う膜も生まれない。それでも、核石に記憶された防壁の形が、一枚だけ光として返っている。
指先へ戻る反響も途切れなかった。
「核石の記憶は残っています」
審査担当が記録係へ告げた。
「弱出力。迂回導路。防壁板一枚が応答。核石の機能記憶残存を確認」
全面交換の図面へ傾いていた記録板に、初めて修理可能という行が加わった。
ユリウスは点灯した一枚と、暗いままの残りを見比べた。
「一枚が点いたことは認めます。しかし、四区画を同時に動かしたときの安全とは別です。主導路で反響が途切れる箇所も、反響が消える原因も直っていない。この状態を修理可能と呼んで稼働へ戻すことには反対します」
「私も、稼働へ戻せるとは言っていません」
一枚の光で分かったのは、核石が死んでいないことだけだ。
リディアは主導路の図へ戻った。
「枝ごとの反響は、戻る時刻も向きも違います。弱出力では入口で打ち消し合って、最初にどこから逆流するか読めません」
銀色の新式変換環を示す。
「この環を通ったあとの反響も混ざっています。ただし、環が原因なのか、複数の断線が原因なのかは、今の出力では決められません」
「決めるには」
審査担当が尋ねた。
「区画ごとに負荷を上げます。どの段階で、どの枝から反響が逆流するかを追う。実負荷試験が必要です」
ユリウスが即座に答えた。
「西門は試験台ではない。故障箇所も分からない設備へ実負荷をかけるなら、損害を誰が負うのか先に決めるべきだ」
その反対も正しかった。一枚が点いたからといって、全区画へ負荷を広げてよい理由にはならない。
審査担当は書類の束を閉じ、保証書だけを青い光の前へ置いた。
「試験の間は西門を閉じます。区画ごとに遮断役を置き、再生材の検体も同時に調べる」
保証書をヴァルターの前まで滑らせる。
「署名しなければ、試験はここで終わりです」
西門を安全な状態へ戻せなければ、ヴァルターは爵位を返上し、領地収入を復旧へ差し入れる。再生材が適合しなければ、リディアは営業資格を失う。
ヴァルターはまだ筆を取らず、審査担当へ顔を上げた。
「明日は退避線を門外まで広げてくれ。手動遮断は区画ごとに一人置く。保守倉に旧式の防護板が残っているなら、点検して遮断器の前へ出してほしい」
審査担当が保守担当を呼んだ。
「その手順で準備を」
「承知しました」
保守担当が離れてから、ヴァルターはリディアを見た。
「核石の記憶が残っている。その診断は変わらないか」
「変わりません」
「主導路へ逆流が出たら、故障箇所を読み切る前でも止めるか」
淡い青の縁は、まだ石壁に残っている。リディアはその一枚ではなく、暗い四区画を見た。
「止めます。読み直すのは、そのあとです」
ヴァルターが筆を取った。
ユリウスが、青く光る一枚を示した。
「その一枚に、爵位と領地の収入を賭けるのですか」
「一枚の光にではない」
ヴァルターは保証欄へ名を書いた。
「彼女は故障箇所を読み切る前に止める。私はその合図で遮断する。そこまでが私の判断だ」
ヴァルターが筆を置く。
審査担当は署名を照合し、公印欄へ王都の印を押した。赤い印影が、爵位返上の一行と領地収入の一行にまたがる。
保証書は受理された。
リディアは紙の上の行を数えた。西門を安全な状態へ戻せなければ、爵位の返上。領地収入の差し入れ。勝って戻るのは、封の解けた工房と、覆るかどうか分からない古い裁定が一つ。
家が失いうるものと、家が得るものの帳尻が、どこで合うのか見えなかった。
審査担当と保守担当が離れた場所で、リディアは小さく尋ねた。
「なぜ、そこまで賭けるのですか」
「……私の判断だ」
ヴァルターは口を閉じ、明かりの落ちた四区画へ目を戻した。
雪辱、という言葉をリディアは棚から下ろした。砦の裁定を覆す機会に、この人は残っている全部を張った。そう並べれば、帳尻は合う。合ったことにして、リディアは明日の試験の手順へ頭を戻した。
「公開実負荷試験は、明朝、西門閉鎖後に開始します」
リディアは迂回導路へ流していた魔力を止めた。
防壁板一枚の青い光が消える。
記録板には、核石の機能記憶残存。卓上には、ヴァルターの署名と王都の公印が並ぶ保証書。
翌朝は、この一枚ではなく、暗いままの全区画へ負荷を上げる。




