第六十四話 あなたの仕事を、一番大切なものに
翌日の昼、クラウスが工房に来た。
珍しかった。クラウスが工房に来ることは、あまりない。来た時は何か用がある時だ。
「贈答品を決めた」
「……何にしますか」
「お前が染めた布を使う」
工房の中が、静かになった。
「この国の最上位に届けるものに」とクラウスは続けた。「グラウエンの染色師の仕事を使う。それが——この令を撤回させる最も確かな方法だ」
「……」
政治的な意味は分かった。国王への贈答品に、グラウエンの染色を使う。令が撤回されていない土地の色が、国王の手元に届く。贈答品として届けることで、グラウエンの染色の存在を最高位の人物に示す。法的な上申と合わせれば、圧力になる。
でも、それだけではない気がした。
「あなたは」とイレーネは言った。「わたしの仕事を、信頼しているのですね」
クラウスが少し動いた。
「戦略として有効だ」
「それだけですか」
「……」
沈黙があった。「それだけでは、ない」という沈黙だった。
「この人はいつも、行動で言う」という確信が来た。言葉にしないのではなく、行動が先に来る人だ。工房の費用を領の経費に入れたのも、上着を肩に置いたのも、「この土地の色は、この土地のものだ」と宣言したのも——全部が、言葉の前に行動だった。
「一番大切なものに」という言葉を、心の中でゆっくり繰り返した。
「何を染めますか」とイレーネは聞いた。「指定はありますか」
「あなたが選んでいい」とクラウスは言った。
「……わたしが」
「グラウエンの染色師が選ぶ布、と言う意味だ。わたしには選ぶ基準がない」
「分かりました」
クラウスが工房の中を見た。布が並んでいる。染料の桶が並んでいる。乾燥台に仕上がった色がある。
視線がイレーネに戻った。
「疲れているか」
「……え」
「顔が疲れている」
「少し、眠れていなかっただけです。最近色々と——」
「無理をするな」とクラウスは言った。「最良の仕事ができる時に染めればいい。国王への贈答品だ。焦る必要はない」
「……」
「焦って作ったものを届けても、意味がない」
その言葉は実用的な説明だ。でも実用的な説明が、深い配慮として届いた。疲れに気づいた。言った。焦るなと言った。
「……ありがとうございます」
「あとはヨハンと決めてくれ」とクラウスは言って、工房を出た。
夜、布を選んでいた。
どの布を使うか、どの色を染めるか。桶の前に座りながら、候補を並べた。
ふと気づいた。
「クラウスは——この仕事の何を信頼しているのか、聞いたことがない」
技術か、結果か、この土地への影響か——何を見て「信頼している」と感じているのか。
「聞いてみたい」という気持ちが、静かに来た。
次話も更新されます。引き続きよろしくお願いします。




