辞令
太基はあと数日で大阪を離れる予定だと知らされ、これまでになく忙しく走り回っていた。何故かジョーの知り合いだというチャイナタウンの住人が訪ねてくることもあったし、南波さんも殆ど毎朝のように教会に来る。
「山があれだけ荒れると確かに鹿や熊は居なくなります。そのぶん、奈良では町にまで鹿や熊が出てます」
「そこで植林、はやっぱりやらないとダメってことだよねえ」
「松が一番良いかな、ただ植えたそばから誰かが抜いていきそうなんだよね」
「うーん、街路樹や公園の樹があった場所、なんとか使えませんか? 出来れば実が成るような。浜松だとヤマモモが案外たくさんあって」
「太基君、桑とかどうや?」
桑もまた、荒地に比較的強いといわれる。実が成るから勝手に伐られてしまう可能性は低い。
太基の生活力と伊丹さんの知識、ジョーさんとその背後にあるチャイナタウンの影響力、文里がコツコツと書き溜めたノートの情報、それらを纏める南波さんの構想力。全て合わさって、大阪の街を変える機運が小さな教会の小さなテーブルで今着実に育っている。
「蚕の餌にもなるからな。太基君も伊勢で蛹食ったやろ」
「食べました! でも伊勢で桑とか見なかったんですけど」
「養蚕やっとるのは愛知やで。ま、あそこは自動織機から始まった超有名な自動車会社のお膝元。会社の記念館に昔の織機が残っとる、戻る途中に見てきたらええやん。ま、そういう事情もあってお伊勢さんにも絹糸を奉納したり細々と養蚕続けとったのが、外から何も入らんようになったら一気に皆やり始めたんやと。あれ無かったら今頃もっと布の調達に困ってたやろ」
桑の苗も必要なら行ってくる、などという伊丹さん。実際には一ヶ所にじっとしていられず、口実を見つけて旅に出たいだけである。
「それと『玖村篤子』か『鬼窪篤子』どっちか分からんけどおばあちゃんのことも探さなあかんのやろ」
祖母の消息も未だ掴めない。奈良で尋ね歩く暇が無かったことが悔やまれる。伊勢にしても、何日も居た割には何も手掛かりが無かった。
「そう焦るなや。ワシもさりげなく探しとく。南波さんなんか市役所の人やし、大阪に来たら間違いなく分かるって」
伊丹さんにバシバシ痛いほど背中を叩かれ、南波さんは乾いた笑いを漏らしながら古びた手帳に太基から聞いた情報を書き込んでいる。この南波という男、実は大阪中を走り回っている、かなり忙しい人である。それは太基も薄々気付いていたが、頼れる人は頼るほうが良いと紫珠乃に言い含められているので黙って頼ることにした。
『妾の情報にもかからんのお』
天照大神もこっそり呟いた。
この女神、今しがた来客があったことにもお構いなしだった。このところ㭭幡さんがずっと能力を使って患者を診ているせいで、最近は退屈していないそうで何よりだ。
『あ』
「今度は何?」
『あのバカ、どこぞのチンピラに捕まったわ』
ひゅ、と背筋が寒くなった。
つい脳裏に蘇った、伊勢神宮で手酷く殴られてボロボロになっていた姿は直視しがたいものだった。
「やばいって、あの人どうみても喧嘩出来ないでしょ!」
『回復するから平気じゃろ』
「回復するそばからやられちゃう! それに頭とか一回で死ぬような怪我だったらどうすんだよ!」
急に血相を変えて小声で呟き始めた太基を、伊丹さんと南波さんの二人が訝しげに見ている。
『この前、随分高い建物でこのオッサンと話した時に見下ろしたあの緑の濃かった窓、あれも大麻が殆どじゃったしのう、悪い奴なぞ珍しくもないわ』
「それ早く言ってよ!!」
『何じゃ、気付かんかったのか』
「だってあの部屋暗かったじゃん!」
「あの、南波さん。市役所の窓から見える建物の中、緑の植物がぎっしり見える暗い所、そのうちにもう一度見に行って良いですか?」
「何とかなるけど、どうして?」
「あれ大麻かも」
「「は、はぁ!?」」
「アカンやろー!さっさと捕まえたる」
「伊丹さん待って! それホンマやったらバックは十中八九ヤバいやつ!」
「じゃ、どないすんねん」
「僕ら一介の市役所職員とか教会員じゃ無理! とりあえず双眼鏡でも探して確認!」
「俺達に出動命令くれれば楽でいいんだがな」
「「!?!?」」
いつの間にか玄関の前に鈍渡さんが部下と共に立っている。実は天照大神が話し始めたあたりに足音も立てずに入ってきていたのだが、太基のほかには誰も気付いていなかった。
「双眼鏡くらいは標準装備なんでな。綺麗に見下ろせる位置なら最高だ。ついでにちょいと昔の知り合いから有り難ーいタレコミがあってだな。火事の火元が分かったんで消火活動と行きたい所なんだが?」
「はいはい。文民統制の原則を順守いただき恐悦至極にございます」
南波さんが誰にも止める間も無くボロボロの聖歌集を一冊取ってサラサラと何かを書き始めた。
「ほい、辞令」
「助かる。実は別の辞令もあったが……市民に脅威が及んでいる状況への対応をのほうが先だと、これで言い訳が出来るわけだ。あー、浜松からお越しの皆様がたも本件が終わるまでお待ちいただきますよう。一日本国民として御協力のほど宜しくお願いします。さ、行くぞ川端」
何故か噴き出しそうな顔をした部下を引き連れて、鈍渡さんは一陣の風のように消えていった。
「あーあーあー、僕の知らない辞令ってもしかして府知事? やだなぁ、もう」
「府知事?」
「たぶん。あのね、言っとくけど今みたいに自衛隊のほうから来るって普通あり得ないの。本来なら全ての活動において国の承認が必要。西日本は東京都と分断されちゃってるから活動承認は事実上の無期限延期だけど」
いつの日か東西繋がった時には委細漏らさず報告し、事後承認してもらう必要がある。現状は災害派遣の手続きに従い、都道府県など自治体が要請を出している。そして大阪府は近畿一帯の部隊への災害派遣を取りまとめていると言っていい状況に置かれていた。おかげで府の業務はパンク寸前、ということになっている。
府内については市区町村単位で優先順位を検討、調整するくらいには権限が委譲されていたので南波さん達が実務の大半を引き受けている。
つまり、南波さんが知らない自衛隊への指示は権限の割に仕事量の少ない府知事の指示とみて間違いない。
「ま、あの言い方だとまるで君達に逃げろと言ってるみたいだけどさ。何かやらかした?」
「さあ? ジョーさんと無許可で街中の地面を掘り起こしたことくらいしか」
「それなら『浜松からお越しの皆様』とはならないよ。うーん、もしかして際限無く人が入ってくるから、とうとう強制的に排除しようとしてるとか? アイツならやりかねないな」
「今の府知事ってどんな人なんですか」
「業務効率のためなら他人は安く使い潰せば良いって感じのクズ野郎。自分では『成果主義、能力主義で政治改革を実行する人間は他と違うから敵を作りやすいのですよ』とか言ってた。ナルシストも追加だな」
南波さんはすぐジョーさんに日本に来た時のビザを探して持っておくようアドバイスしていた。
「紫珠乃さん、文里さん、今の話聞こえてました?」
「勿論。ちょっと予定を早めて帰ったほうがいいわね」
「そうしましょう。でも一カ所だけどうしても行きたい場所があるので、そこだけ行ってきます。今日中には戻るので」
「いいわよ。私も無事な種芋仕分けてしまいたいから」
予定を大幅に超過して、伊勢では五月と思えない暑さに見舞われ、随分と駄目になってしまったらしい。それでも多少涼しい場所さえ確保できれば秋の始めに植えられる。当然、そんな時期まで大阪に居られないから牧野先生はじめ教会に託していく。
いつか良い知らせが届けばそれで良い。市役所でも何でも頼れるものは頼って色んなところに繋がって今日まで残ってきた教会の人達なら、きっと大丈夫だろう。
『一人で行くんかの?』
「仕方ないじゃん」
天照大神の指し示すまま、西に向けて少し走った。向かった先は一見何の変哲もないビルだった。
『一番上じゃ。ナントカと煙は上に昇るらしいの』
胸元の御守り、金色の葡萄のチャームを軽く握りながら、息を整えた。少し落ち着きを取り戻したら何とかなりそうな気がしてくる。
太基は一人、素晴らしい速度で階段を駆け上がっていった。




