怒りと殺意
『ねえ、今日遊びに行っていい?』
『ごめん、今日はお父さんの義体を起動して出かけるからダメだって』
『あ、そうか。義体ってめっちゃエネルギーいるんだっけ?』
『うん、リモートワーク用に通信するだけなら樹のまんまでいいけど、たまには外に行きたいって』
『へぇ。ブレイン・シード、だっけ。大人は革新的技術って騒いでいるけど、良いことばかりじゃないんだね』
不思議な夢を見た。いつも共にある白い鴉と似た三本足の鴉が話している夢。夢の中の鴉は艶やかな黒で、木や土煉瓦を組み合わせた家々の上をゆったりと飛んでいた。
頭がはっきりしてくると、縄で縛られて床面に転がされているせいで体があちこち痛いし、暑くて喉がカラカラなのもしんどい。
『太陽の黄金果』
小さく呟いて自身と隣に転がされている不二果も回復させる。喉の渇きは少しは癒えるから、生命だけは何とか繋いでいる。
何処なのかは定かではないが、テーブルや椅子はシンプルで小綺麗なデザインのもの。元はオフィスの一室だろうか。昔のニュースで、大規模犯罪グループの捜査で警察が入った先がどこかのレンタルオフィスだったと報じられたことがある。いかにもそれらしい場所を拠点に選ぶ犯罪者なんて実際には居ないか余程バカだということだ。そして何となく見た目の印象で大丈夫だろうと思った彼も結果を見れば愚かだったと言うしかない。
「あんた、私達を治療すればS.L.F.とも繋がりが出来るのよ、有り難く治しなさいよ」
列をなす怪我人、病人の中に化学兵器の被害にあったと騒ぐ夫婦がいた。この頃には半信半疑で冷やかしに来るような連中は居なくなって、本当に長患いか酷い怪我や感染症の患者達が縋るように列をなしていた。だから化学兵器などおよそ有り得ない話を大袈裟に騒ぐ夫婦は悪目立ちした。
「はいはい、皮膚炎の方はすぐ治るよ。頭の方は広場にいる人形使いのおじさんに相談してね」
面倒なので皮膚炎は一回でさっさと治してやった。たぶん毒蛾か毛虫に刺されただけだろう。頭のほうは精神科の仕事だ。この時の㭭幡さんにはこれ以上彼らに関わるつもりはなかった。
「お兄さん、昨日は僕の友達が邪魔してすみませんでした」
その翌朝には、若い男が訪ねてきた。物腰柔らかな男で、あの傲慢さしか感じない夫婦と友達というのが腑に落ちない。
「患者ですから、お邪魔ということはないですよ」
「それにしては、頭のほうは人形使いのおじさんに相談しろって追い返したそうじゃないですか」
「あの人、本職の精神科医ですから。間違ってないと思います。どういう繋がりか知りませんけど本当にお友達でしたら適切な支援に少しでも繋がるよう、ご対応よろしくお願いします」
㭭幡さんの対応に男は苦笑いしていた。
「お兄さん良いドクターだね。ちゃんと患者に言うべきは言って、必要なところに繋げるのも大事だし。かと言って他の患者に害にならないように毅然と突っぱねることもできる」
「僕はドクターじゃない、薬剤師。善良でも無い」
いかにも誠実そうな人物に、真っ直ぐ謝罪と称賛を向けられて、㭭幡さんは後ろめたさを感じていた。医師資格を持たない、手をかざして怪しげな術で人を癒す行動は、薬剤師の本分からは完全に外れている。目先で助っていてもこの術に副作用がないと保障は出来ない。
いや、術に副作用が無くても、真っ当な医学から外れた治療は何人もの人々から真っ当な医学への信頼を奪っている。それは彼らから正しい医療へのアクセス、ひいては将来の健康を奪うのと同義で、それでも不二果を探している。これが後ろめたくなくて何だというのか。
「そう言う噂も立つかもしれません。ですが、一途にお一人の方を探しておられる。心から尊敬します」
「ああ、そっちも噂になってたの。いや、噂になってないと困るからいいけど」
「九重不二果、僕は彼女を知っています」
その言葉に衝撃を受けた。㭭幡さんは不二果の名前は敢えて出さずに探していた。その方が偽の情報は見抜きやすい。ハッタリで適当な名前を挙げて話してみて、それに乗っかるようなら信用ならない。単に見かけただけなら名前は分からないと正直に答えてくれればいい。
それをフルネームで正確に答えられたからと、一も二もなく飛びついた挙句このざまだ。笑えないのに笑えてくる。
ガチャリと音を立てて扉が開いた。ボスが呼んでる、と乱暴に立たせて連れて行こうとした若者に抵抗して少し踏みとどまったらいきなり殴られた。頭に直撃することだけは避けてすぐに治した。
「いくら殴っても堪えるわけないだろう。彼女に水を。僕はそれまで動かない」
チッ、と舌打ちをして若者達は不二果に水を飲ませた。それだけ見届けたらひとまずはそれで良しとして、㭭幡さんは大人しくボスとやらの前に引き立てられていった。
歩かされた距離は僅かなもので、入った部屋もどこかのオフィスの応接室といった雰囲気だった。目の前には一人の男がどっかりとソファに座っている。歳の頃は四十代半ばだろう。体格はいい。つまりはこの男、このご時世に食い物にも水にも困っていないということだ。後ろの棚にはこれ見よがしに酒瓶まで入っている。開け放たれた窓から風が吹き込み、先ほどの閉めきられた部屋とは違って過ごしやすい。彼方に赤茶けた色の山々が良く見えた。
「まあ座れや。これもビジネスやで、まずは話聞いてもらわんとな」
男は口の端だけで笑みを作って、手近な椅子を顎でしゃくって示した。㭭幡さんが大人しく座るのを男は満足そうに眺めた。
「なあ兄さん、大阪城公園の名物って何や知っとるか?」
「さあ、近くに天満宮があって、梅の名所だっていうことくらいしか」
「ようわかっとるやんけ。春先は観光名所、今時期はウチの会社でウダツの上がらん奴が梅の実を根こそぎ捥いでどっか売り飛ばしよるらしい。ただなあ、梅の実売るにも、蛾に刺された痕を治すのにも一々勝手に会社の名前出す阿呆はどっかで教育せなあかんやろ? せやから若いのに追いかけさせたんや」
「S.L.F、と本人達は言ってましたが。貴方が社長?」
「アイツらやっぱ名前出しとったんかい。俺か? 俺は社長じゃねえよ。そういう神輿は別の奴がやればええ」
神輿は別、ということは実質的な権力者はこの男なのだ。会社とやらの規模は不明だが、少なくともこの一帯ではそういうことだ。
「それに別に会社経営しとるのも一部だけの話や。なあ兄さん、単に同志を集めるだけでも、戦争するでも、何かでっかいことには銭がいるんや。いや、今やと銭っちゅうわけにもいかんけどな、要は人間タダ働きさせるんは無理や。ちゃんと仕事してもろうて対価を渡すシステムが必要なんや」
「分かるけど、戦争っていうのは不穏だね」
「クックック、それがなあ、この日本どうにかするにはディープステートとやらと戦争せなあかんらしいで。それも、旧日本政府と自衛隊がグルになっとるから、そいつらと戦争や。大っぴらに抵抗勢力として集まると人工地震で一網打尽にされるから、会社として全国展開しながら人集めるんやて」
「それは、僕なんかが知っていい真実なんですかねえ?」
「別にええやろ、もうあっちこっちで喋っとる奴がおるし、そのお陰で真面目に働く奴も来るしな。巨悪を倒すためならボランティアでもいいっちゅう奴もおる。やりがいが報酬になる。おめでたい話やな」
巨悪を倒す、のくだりは完全に鼻で笑っていた。おそらくディープステートのような巨悪など、この男も信じていない。多分、それを信じて働く人間を踏み台にして好き勝手できるからここにいるだけだろう。
「そうですか。その話と僕や彼女がこちらにご招待された理由がどう繋がるのかも興味深いです。聞かせていただいても?」
出来るだけにこやかに、敵対する意思は無いと示すことにする。ディープステートも人工地震も昔ネットの一部を騒がせた陰謀論をそのまま持ってきただけの馬鹿馬鹿しい代物だが、わざわざ指摘してやるほど㭭幡さんは愚かではなかった。
「あ? お前の彼女は知らねえよ。母親がアカンねん。どっかで拾ってきた大麻と変な蜂蜜をばら撒いたんや。しかもアホほど安くしよって。俺らのシマで商売するなら、仁義守ってもらわんとな。俺らをコケにしたツケは身体張ってでも何でも取り立てる。あの母親はどうしようもないが、娘はええ女やしな」
下卑た笑みを浮かべる男を見れば、不二果が何をされたか聞かずとも判ってしまった。
「ええ女が何人もおって、ちょっと意識飛ばしてパーティーで楽しむ、それだけでも人はいくらでも集まる。せやけど、女使い捨てても先が続かん。福利厚生は大事やなって時に兄ちゃんの噂が聞こえてきてな。なあ兄ちゃん、あんな埋立地の片隅におらんでもええやんか。その力を上手く使えばクソみたいな世の中でも何でも思い通りになる。なあ、兄ちゃんも男やろ?」
ニタァ、と更に男が笑う。
何でも治せる奇跡の力。それをほんの僅かに発動させると男の古傷の痕と抱える病が判った。暴飲暴食を繰り返しているのは明白だったし、性病も幾つか抱えている。
㭭幡さんの頭はとうに怒りと殺意で沸騰しそうだった。




