表向きのパトロン
大阪府庁の一角、例のあの日よりほんの少しだけ前に建てられたまだ新しい庁舎がある。その玄関扉の外で鈍渡隊長は部下の川端だけを伴い待ち合わせの最中だ。
「暑いっすねえ」
「言うな。余計暑くなる」
今日の彼らは軍服、つまりは彼らの制服であり仕事中と一目で判る。待ち合わせの相手が遅れている訳ではなく彼らが十五分以上早く来ているのだが、これは彼らなりの仕事の上での矜恃といったところだ。
「姐さん、ここやで」
「トモちゃん、アンタこんな場所よう迷わんと歩けるな」
待ち合わせ相手というのは牧野牧師と教会員である伊丹さんだ。鈍渡隊長達も先ほどまでの『休め』の姿勢から『気をつけ』の姿勢に改めて彼らを出迎えた。
そもそも何故こんな所にいるのかといえば、大阪府庁から直々にお呼び出しがあったからだ。どんな用件かと思えば、勝手に空き地を掘り返して糞尿を捨てている現状を是正するための協議だという。日々の水の確保に要らぬ労力を費やしている自衛官達からすれば、今まで何もしなかったくせに今更何だと言いたいところだ。
用件を伝えに来た青年にはスケジュール調整すると言ってお引き取り願い、すぐさま南波さんを捕まえて事情を聞いたのは言うまでもない。
「北地区のチャイナタウンの圧力じゃない? 代表はシュー・ユーミャンという男で、元々この辺りに不動産をそれなりに所有していた人物だ。ちなみに甥っ子も大阪にいる。炊き出しをいつも手伝ってたジョー君だよ」
「あの子か。最近見ないが」
「玖村君と空き地を掘り返して午後は川遊びするのが最近の日課だからしょうがないよ。どうしても会いたいなら朝一番に教会へどうぞ。彼らも忙しいから何でそんなことになっているかは僕が分かる範囲で説明するよ」
南波さんの説明で事情を飲み込んだ鈍渡隊長は『地域の情勢に通じた市民代表』という名目で牧野牧師を何が何でも巻き込むことにした。当然、高齢なので誰か付き添いに来るだろうが太基とジョーだけは連れて来てくれるなと釘も刺した。
まずチャイナタウン関係者であるはずのジョーがいると話がややこしくなる。太基は子供なので連れてきていいわけがない。協議というのは建前だけで、実際は『俺らのシマで勝手なことすんな』という大人の吊し上げに決まっているのだから。
「隊長、本当に教会の皆様巻き込むんですか?」
「俺達が巻き込まれたんだ。川端、あちらとしては机の上で地図を眺めて『僕らの考える最善の処理場』を考えて、仕事と食糧に困っている人間がどれだけいるかデータを誰かに集めさせて『僕らの天才的人材活用』を考えたのに、それをコケにされてお怒りなのは分かるな?」
「分かってますよ。でも穴掘りしてる子供達を彼らが捕まえることはしない。代わりに、俺達がその辺現場で止めさせないで放置しているのはけしからん、と。今回の俺達ってサンドバックですよね」
「それだけなら、もう少し早く協議するのが筋ってもんだが。チャイナタウンという外圧がよっぽど気に入らなかったらしい」
「止めるのが大変になってビビったんじゃないですか?」
「そうとも言うな。ともかく俺達の表向きのパトロンが大阪府である以上は行くしかないが」
「いつも思うんですが、表向きのパトロンって妙に引っかかる言い方は何なんですか……」
こんな話をして部下の川端も巻き込まれることが決定したのが昨夜である。最初から単独で大阪府に乗り込むつもりはなかったが、この話に巻き込むなら彼しかいないと心に決めていた。
まだ若く鈍渡隊長に階級は遠く及ばない青年である。だが自分の疑問に感じたことは必ず聞くし、言葉遣いひとつにしても良くないと感じたら遠慮なく指摘する。そういうところで信頼のおける隊員であった。
「なるほど、そちらの方々が地面に埋めれば良いと提案されたということですね?」
いかにも今理解しました、という風に話をまとめた農政課長を名乗る人間とその隣の府知事を鈍渡隊長は醒めた目で見ていた。
「そら、土に戻すしかあらへんもん」
「そのために各地にポイントを設定したのですが。周辺の方々のご迷惑も考えてですね」
「毎日クソしに20kmも歩けいうんかい」
牧野先生と伊丹さんの喋りがヒートアップしていくのを鈍渡隊長はただ見守っている。もちろん彼も現場の状況は嫌というほど知っており、南波さんの説明も川端と共有している。何なら分からない部分は炊き出しの時に壹拾家の旦那を捕まえて聴きだしもした。そういう訳で、質問に答えるだけなら鈍渡隊長だけで問題無いとはいえる。
それでも、例のあの日が来るよりずっと前から最も貧しい人々に寄り添い続けた牧師には敵わない。あの地域で誰が何に困っているのかという情報だけでなく、圧倒的な情熱、共感といった『想い』で敵わない。
「アンタら想像力が足らん! 皆、食うもんも食わんで、飲み水も毎日ギリギリなんや! この暑い中で汲み取りしたもん何十キロも運ばせる? 報酬は野菜一籠? そんなんで皆が真面目に言う通り仕事出来る思うなや」
それに、と更に彼は思考を巡らせる。
そもそもきちんと働ける体力、気力、能力がある人間は都心から離れて頭を下げてでも農村に行っている。そうすれば最低でも田んぼを広げて米を収穫できる。本来は農業用ではない土地も農地にできるよう、府の条例を制定することだけは随分と早く実施したはずだ。東京と断絶されているし、バックに付いている団体もいるから随分と強気なものである。
「はあ、仰ることは分かりました。方法については検討させてもらいます。ちょうど貴女方とは別のところで市民からのご要望も頂いていましたから」
市民のご要望、という言い回しには苦笑いするしかない。彼らの住まいはどうせ吹田か豊中、大阪駅から少し北の比較的裕福な地域だろう。シュー・ユーミャンとかいう男の拠点もその地域だから、既に彼らが何か動いているのかもしれない。
「淀川、神崎川、河口から上流域にかけてですね。全部一気には出来ませんから優先順位に関してはこちらで検討します」
「……夢洲、咲洲にも人はおるんやで」
「あのエリアにいるのは今ほとんど不法居住者です。これを機に立退きを要求します」
「なんやて!?」
「何なら最近怪しげな宗教者が居るという情報もありました。どんな病気や怪我も治すという触れ込みで、完治させて欲しければ女を連れてこいと。言いたくないですが底辺の人間の吹き溜まりになってるんです。変な宗教やってる暇があるなら不法居住から脱してマトモに働いていただかなければ。今の市民生活を少しでも向上させるには府民の総力を結集する必要があります。府民総活躍です」
「やかましい! 何が府民総活躍や! 底辺の人間の吹き溜まりなんて平気で言っておいて! あんな何もない吹きっさらしでボロいテント張ってな、そんなん誰もやりたくてやってへん!」
世間並に頑張れないとか、親や配偶者といった家族あるいは学校、職場で一度精神を壊されたとか。何かの理由で一度外に追いやられた人間が、そのまま誰にも繋がれず、居ないものとして扱われた挙句に何の喜びもなく心臓が止まらないから死んでないだけ。
目の前の府知事はそれをただ迷惑な人達の集合体としてしか見ていない。牧野牧師がそれを見逃すはずはなく、それから更に数十分ほど彼女の声が会議室に響き続けた。
その隙に鈍渡隊長は隣に座っている伊丹さんに耳打ちした。今このタイミングを逃してはならない。
「さっき府知事が変な宗教と言っていた。もしかしたら変な新興宗教じゃなくて本当の神様の遣わした預言者とか奇跡の人かもしれない、とはクリスチャンとしちゃ考えたりするか?」
「実は、そうやと信じとるとこはあんねん。いうてワシも疑い深いほうやけどな」
「疑い深いのに信じる? 何故だか教えてくれないか」
伊丹さんは少し迷った様子を見せたが、短く答えた。
「この目で見た」
その後、余計な事を言いふらすなとでも言いたげに『黙ってろ』とジェスチャーで示しながら椅子に座り直した。
鈍渡隊長に憑いている悪魔、ベルゼブブも最近やたらと宝珠の能力を使っている奴がいると溢していた。何故か夢洲から動く気配も無いらしい。ベルゼブブには何か動きがあるまで監視だけで充分と言ってある。
ベルゼブブが気づいているということは、すなわち他の悪魔達も気がついているということだ。彼らと対立する存在、天使達とてそれは同じだろう。ただし、だからといって天使達の『アバター』となっている人間、例えば壹拾家の奥さんなどが気づいているという訳ではない。
実のところ、制御下に置いている宝珠の能力からして『アバター』と憑いているモノとの意思疎通の点だけは圧倒的に有利である。何しろ『アバター』本人が、自身に憑いているモノとぴったり合う宝珠に触れるのを待たなくていい。そもそも本来なら、彼らとの意思疎通そのものが、宝珠の能力を使うためのオマケでしかない。
しかし鈍渡隊長は別に宝珠を手にしたことは無いがベルゼブブとは話ができる。他でもない大阪府庁、というより自衛隊のバックにいる組織が、唯一『アバター』である人間と悪魔、もしくは天使とのコミュニケーションに特化した宝珠を押さえているからこそだった。
ーー何となく読めてきた。
汚物処理に関する協議などという建前のおかげで府知事と農政課長は要らぬ時間を使わされたということになるだろう。
正直なところ、鈍渡隊長だって人として臭くない水が飲みたいし疫病などにかかるのは御免である。本来の呼び出しの目的とやらは見当がついたが、そんなことより水問題の方をさっさとやれと内心うんざりするのだった。




