汚れ仕事
数日後、淀川の河口。
太基はジョーさんと共に片っ端から土のある場所を掘り返していた。行政の許可なんてものは下りていない。
「こんにちはー、トイレって何処ですか?」
公園の一角、街路樹の伐採跡、空き地。そういうところに穴を掘り、ほどほど掘り返したら近隣に呼びかけ回って汚物を捨てて土を被せる。日が暮れる前には撤収して淀川の上流に向かう。多少は水質がマシな場所に服を着たまま飛び込んで、体を流したら教会の皆が住むアパートに帰る。
「太基お兄ちゃん、臭い」
環は全く遊んでくれなくなった。これはもう仕方がない。
誰かがやらなければならないのだが、炊き出しに常から参加しているメンバーには衛生面も考えると頼みにくい。言い出したからには自分でやろうと思ったが、とはいえ太基一人では大阪の地理はさっぱり分からない。
そんな折にジョーさんが手を挙げてくれたのだ。
「僕が一緒に行くよ。僕は炊き出しにいると変な人に絡まれちゃう」
炊き出しに並ぶ人達は全員が明日の食事に困っている人達だ。その中でも一番手を差し伸べなければならず、同時に一番厄介なのが、この炊き出しで食事を配る教会員の他に挨拶すら交わす相手の無い人達だった。
「日本人だってことにしか縋り付けない人には『外国人が食事を施しに来ている』のが許せないのさ。それが隣国、中国だと余計にね。逆に中国の同胞からは『日本人の肩を持ってる』って怒られるけど」
ジョーさんが諦めたように笑う。他の教会員達は返す言葉も無く黙って彼の話を聞いている。
「どっちもアホらしくて付き合ってられないから、この教会にいるんだよ。外に出て行けるわけじゃないんだから、明日も生きていたかったら出来ることをしなきゃ」
「ジョーさんは、日本の外に出られるようになったら帰りたいですか?」
この問いにはちょっと困ったような顔をされてしまった。帰れないという現実をストレートに突き付けてしまったことに、太基は訊いてしまってから気が付いた。
「あの、答えたくなかったらいいんです」
「や、そうじゃない。ただ、国に帰っても仕事は無さそうだなって」
もともとジョーさんの家はかなり裕福らしい。一族の中でもビジネスに成功した叔父には資金も人脈もある。彼に頼ればいくらでも日本、東南アジア、アメリカ、ヨーロッパと旅行できる。いずれも叔父のビジネス拠点だ。
そういうわけで日本に遊びに来たら出られなくなって、五年が過ぎようとしている。ちょうど苛烈な受験を勝ち抜いて、就職するか大学院に進むか、というタイミングだった。そんな彼が今更中国に戻ったところでホワイトカラーの仕事はまず無いのだ。
「だけど、故郷の両親に無事だと知らせたい気持ちはあるよ。それから次の仕事をゆっくり探す。太基君の話を聞いてて同じ日本でも地域で状況がまるで違うことも分かった……日本中、世界中旅してみたくなったな」
「世界中を旅行!」
「こんな経験したら何でも出来そうだし、何にチャレンジしても悪くないね」
「え、いや、巻き込んじゃってすみません。僕は言い出しっぺなのでやってますけど。その、ありがとうございます!」
「あっはっは、そう言うならちょっと付いてきてもらいたいところがあるね」
大急ぎで穴を埋め戻し、ひたすら北へ向かっていった。街ゆく人があまりの臭いに顔を顰めて道を空けていく。コンクリートの道路に高層ビルの群れ。浜松とは比較にならないほどの大きな建物の群れをキョロキョロ見上げながら歩く。大阪駅も浜松の駅とはスケールが違い、これが街というものなのかと改めて圧倒される。
ジョーさんは大阪駅の北にあるビルの一つに入っていった。太基も言われるままに付いていく。
「たのもー!」
ガン! 大きな音をたててドアを開けた。中から男女の悲鳴が響く。
「いいんですか?!」
「いいよ、叔父さんだもん」
「! シアクー!」
中から出てきた男はジョーを出迎えようとして臭いの酷さに盛大に咳き込んだ。
「お前、なんて格好、いやなんて臭いだ!」
「仕方ないねえ、下流域だけでも汲み取りしなきゃ。水は汚れ、森はなくなり、土は痩せていく一方さ。どうせ暇してるんなら手伝ってよ」
「ふざけるな! そんな仕事、府からの業者にやらせておけ! 私達の仕事じゃない。さては、そこの日本人にやらされてるんだろ」
「ハズレ。立候補なんで。新たなビジネスの種ってこういう所に案外転がってるかもしれないだろ。府からの業務委託なんてとっくに回ってない、細かい話は僕より市役所のおじさん達が詳しいかもしれないね」
「いくらなんでも、仕事を選んでくれ。甥っ子が汲み取り業者に身を落としてるなど、私のメンツに関わるじゃないか」
「職業に貴賤は無いって建前だけでも言えないほうがどうかしてるね! せっかく尊敬する叔父様にあやかって有勉公社って名前で起業しようと」
「で、出てけー!」
バターン! 開けた時以上の勢いで扉が閉まる。ジョーさんとともに太基は廊下に閉め出された。
「あの、良かったんですか?」
「上々!」
その後はいつも通り臭いを落とすため川に飛び込んだ。この水だってどれだけ綺麗か疑わしいが、そんなことはどうでも良い。その日何があっても夏の暑い日に流れる水の冷たさに飛び込む瞬間は何より楽しいのだから。
「どう? 僕の叔父さん、良い奴だろ?」
「どこが!」
「甥っ子の話をちゃんと聞くとこ」
ジョーさんが案外機嫌が良かった理由は翌日には分かった。
「ジョー君……一体全体何やったの? 大阪駅北地区のチャイナタウンから早急にコンポストトイレを整備しろって要望が来たよ。しかも大阪全域、さっさとしろと」
南波さんが不思議そうな顔を顔をしていた頃。太基達の知らぬ間に街には奇妙な噂が流れていた。
ーー夢洲に、どんな難病も癒す医師がいる
夢洲、北端。コンクリート基盤の桟橋で、元精神科医と名乗る男がこの数ヶ月を一人で過ごしていた。北方には舞洲がある。人がいるのは舞洲か、夢洲の南部か西部なので近くには誰も居ないことになる。
しかし今はこの人が寄り付かなかった桟橋に向かって多くの人が列をなしている。西は太陽光パネル、東は何も無い平地に延びる行列はひどく目立ち、聖地巡礼のように見えなくもない。
「僕はここらじゃ新参者だから、あっちの人が沢山いる場所だと古参の人達とも上手く付き合わなきゃいけない。それが出来なくて、こんなところで一人で住んでた」
風や土埃を遮る物が何も無い南側の開けた土地は夏の暑さや冬の寒さを凌ぐには厳しく、舞洲に続く橋も傾きがあり渡る者は少ない。桟橋自体も金属部分の腐食が進み、いつ柱の一つや二つ折れたとしても不思議ではない。
《太陽の黄金果》
何度も繰り返し能力を使ううちイメージは鮮明になり無詠唱でも問題無くなってきた。他人が聞けば意味不明なワードを唱えなくて済むのはありがたかった。診療しているポーズを作るために手をかざしてみたりしながら、次々に患者を捌いていく。
「はい、今日はこんなものかな」
「もう少し他のとこも診てや」
「可愛い子連れて来たら考えてあげる。明るい栗色の髪、ロングヘアの美人、料理上手」
「殆ど嫁探しやないか」
伊勢では手加減無しに子供達の治療に能力を使っていた。小学校の児童だけでなく、もっと小さな彼らの弟妹、両親も。失くした身体の一部を再生させることは出来なかったが、今ある身体の治療では申し分の無い結果を出した。
しかし、降って湧いた奇跡を素直に喜ぶ人ばかりではなかった。
「なんで、あの子は治してくれなかったの!!」
㭭幡さんが能力を得る前に大事な家族を失った者には、かえって心の傷を抉る行為になってしまった。絶叫とともに保健室に投げ込まれたコンクリートブロックを見て、湧いて来たのは虚しさだ。
無論、子供達のためには必要で踏み留まるべきと分かってはいた。分かっていても、不二果を追いかけてあげられない悔しさをここまで誤魔化してまで続けた想いも否定されたようで虚しくなってしまったのだ。
「嫁でいいよもう。見つけてくれたらサービスするから」
「ほな、また色々聞いてみるわ」
「ありがとさん」
結局、昔の勤め先の同僚に代役を頼んで無理矢理休職した。同僚も忙しい人だから自分と同じように常駐は出来ないだろう。校長にはいつでも戻っておいでと言われて心苦しいことこの上ない。何より子供達に申し訳ない。
だからここでの治療は敢えて手加減をする。彼らはシノギ、つまりは売春の斡旋のためなら勝手に情報を探してくれる。だから生かさず殺さず、不二果を見つけ出すまで目の前の患者を利用し尽くす。そして彼女と共に伊勢にまた戻るのだ。
そんな歪んだ執念だけが、今の彼を支える全てだった。




