フォッサマグナ
翌朝。待ち構えていた南波さんに引っ張られて、太基は壹拾家と共に市役所に連れて来られていた。応接室の窓からは下を流れる川とその向こうの建物がよく見える。高さがある分、風が通って涼しかった。
「今日は来てくれてありがとう。大阪の外の状況をどうしても知りたくてね、色々聞かせてもらえると助かるよ。特に水まわりの話かな」
ニコニコとよく通る声で話しかけてくる。声が大きい上に扉を開けてあるせいで他の職員さんがたまにこちらを見てくる。
「あの、私達じゃなくても他にも大阪にくる方がいらっしゃるのでは?」
「奈良県、京都府南部、兵庫県東部の方が多いみたいです。僕の見立てでは山越えをしてまでは来ないのかなって」
それはそうだろう、と太基は勝手に納得していた。浜松から歩いてきて、伊勢から奈良へと山を越える辺りから、周囲の森の雰囲気が荒れていて良い印象が無かった。わざわざあの山を何日もかけて越えたい人間なんていないだろうと感じている。
「奈良からここまで、ボロボロの山しか無いじゃないですか」
その一言を皮切りに今までの旅路を語って聴かせることになった。太基の実家での暮らしぶりから、浜松、伊勢、奈良と旅してきた各地の様子。伊勢でツツジ毒入り蜂蜜を売る店を潰したこと、奈良で見た鹿の食害のこと、熊被害のこと。それらの遠因が大阪一帯の森林が伐採されているからではないかという推論。
「全く気づかなかった。うん、やっぱり水だな。蒸留なんてアホな方法はやめなきゃ。特に下水対策だ。太基君の実家とか浜松とか、他の地域の良いところは取り入れていきたいね」
「僕の実家も浜松も穴掘っただけです。拭くだけならカンナ屑でも葉っぱでもいいじゃないですか。浜松もウチの祖父ちゃんが教えたので殆ど同じです」
「人が少ないから出来る話ではありますね。浜松だって言い方悪いけどあの日の死者数が大幅に少なかったら状況違ったかもしれないです。あとは食糧を求めてかなり山間部まで人が移動しています。海水を被った農地や建物は使えませんから」
「伊勢は汲み取りしているって教えてもらったよ。あそこは何が何でも日別朝夕大御饌祭だけは維持しようっていう執念を感じた」
「うう、大阪全体として出遅れたってことやなぁ」
その後もくどくどと南波さんの愚痴は続いた。
要約すると、大阪というのが元々大都市であるため、復旧も支援も最優先で回ってくるだろうと楽観的に考えていたらしい。
最初のせいぜい一か月、あるいは数ヶ月はその通りだった。あらゆる公的支援が西日本では大阪に最も集中し、過疎状態の田舎にいるくらいなら大阪にいた方がいいという状況は間違い無くあった。
「今やと、浜松や伊勢の方がええんやろな……」
「水は綺麗です。長野から浜松には天竜川が流れ、太基君のお祖父さんが浜松で一番良い形で狩猟の方法も考えてくれました。自給自足できるなら良いんじゃないでしょうか」
「そういえば今更ですけど浜松の教会で使ってたお肉って何だったんですか? 勉強ばっかりで聞き損ねたんですけど」
「ヌートリア。ネズミの一種ですって」
「そういう他の地域の方がいいって情報が広まると、それはそれで心身ともに一番弱い人らが大阪に置いていかれそうやな」
行政マンとしては弱者切り捨ては出来ないと苦笑いしている。ここまで昼食も挟んながら数時間かかっている。西日が眩しくなってきた。
「最後に。東西で分断されとるゆう噂ですけど、どの辺りでしょか?」
「把握されていないのでしょうか?」
「こっちやと情報ないんですよ。長野で諏訪湖を目指して移動してはった方が境界線と見られる区域を踏み抜いて戻った事例が当時インタビューが流れた、確実な情報はそれだけです」
「聞いたことあります。ワカサギ釣りに行って山中を彷徨って、来た道をバックしたら戻ってきたとか。今でも山中の集落ではバリケードが設置されたままです」
「それですわ、釣りに出かけたのが震災当日、戻ってきた時に報道されたんやったかな。本人が周囲の様子に違和感を感じた地点を証言しとって。ネットもないし、他に情報はもう無いんですわ」
「うーん。私達も隣の磐田ですら行かなくなって、情報拾えていません」
紫珠乃はそれきり急に口を閉ざした。文里も無言で考え込んでいる。太基は環が邪魔しないように窓側に寄って景色を見せてやった。ほどほどの高さから見下ろしていると建物の屋根や窓の中から所々葉っぱのような緑色が見える。視点が変われば見える景色は随分違うのだ。
「ラジオ! FMでさ、浜松と静岡以外の中継局と繋がらなかったはずだ。沼津三島、熱海、富士吉田、御殿場、と延々と繋がらない中継局を言ってたの、シズ覚えてない? ああでも、そう言えば僕ら震災直後にこのほんの少し先までは車で行ったよね。あの時はシズが体調悪くなって引き返したけど」
文里の言葉に南波さんは慌てて何処からか地図を引っ張り出してきた。
「ラジオ放送の使えない中継局なら情報としては確度が高い! 静岡の中継局の位置は?」
「ここです。景勝地に電波塔が建ってて展望台にもなってます」
文里が指差した場所を見ながら南波さんが諏訪湖を探す。二点間を結ぶ線をしばらく二人ともじっと見つめていた。
「フォッサマグナ?」
一方、その頃の夢洲では一人の青年が人形劇を眺めていた。足を止める人はまばらである。聴いていれば内容はシュールなブラックユーモアを含んだコメディだった。
「どうも、ありがとうございましたー」
演者が操っている人形と一緒に礼をしたので、青年もこれに応えて拍手をしながら演者に歩み寄っていく。
「こちらこそ楽しませて頂きました。いつもここにいらっしゃるのですか?」
「数日ごとだね。ここに立って喋るネタ考えないとだもんねー」
「あと水がめっちゃ無くなる、僕ら飲まないのにね」
器用に人形達に喋らせている。アドリブでネタを披露していく辺り、さすが笑いの街の住人だった。
「ふふ、僕何も心付けとかできないよ」
「いいのいいの。ほら、どうせなら笑って過ごしたほうが元気でいられるでしょ」
「誰も観てないけどねー」
一人二役。ピン芸人でもネタの応酬が続くのが面白い。
「僕はいいと思いますよ。笑うと免疫力も上がるんで」
「お兄さん、お医者さん?」
「薬剤師です」
薬剤師と名乗った青年は㭭幡光。伊勢神宮で太基と共に天照大神と遭遇した青年は、目の前から連れて行かれた恋人を追ってここまで一人で旅をしてきたのだった。
「へえ、見ない顔だけど遠くから来たの?」
「伊勢からね。人を探してるんだ。明るい栗色のロングヘアをした女の子、二十代前半」
「彼女?」
「やめろよ、モテない僕らが聞いてもどうしようもないだろ!」
「彼女だよ。でも、ガラ悪そうな人達に連れて行かれちゃった。連れて行った人達の話を聞く限り大阪かなって」
「うわあ、大変」
「そういえば僕らの元の家もなんか変な人達が居たよね」
「ね、しかも一昨日の夜にとうとう火事になった」
「そう! 僕ら病院のマスコットしてたら焼けちゃってたよ」
「転職して正解だよねー、精神科って今微妙だし」
人形達の会話をニコニコと聞きながら、光はこの演者の男を観察していた。
元の拠点が火事で焼失したなら、今は同じように家屋を失った人達と生活している可能性が高い。そういう所は治安は悪くなりがちで、不二果を攫った者と同じような人間も出入りしているかもしれない。拠点が焼失したのが一昨日で治安の悪いところに拠点が移ったのなら、彼の目下の課題は身の安全の確保だろうか。
「良かったら、今の拠点に僕も連れて行ってくださいませんか? 他所から来て独りぼっちっていうのも心細いんで」
「いいよ」
それならば一緒にいる人間がいた方が安全と判断されるか、警戒されるか。懐に飛び込めるか否か、その賭けに勝った光は男の後を追って夢洲の万博ブース跡の一角へと歩いて行った。




