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ブレイン・シード  作者: 小石丸
3. 山河破れて国は無し
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大阪の教会

 奈良と大阪の間は高速道路が通っている。そんなことは普通に生きてきた大人には当たり前、特に気にすることなどない。


「何見てんの?」


 目の前には倒木と同じくらい長い銀の箱の下に幾つも大きなタイヤの付いている物体が鎮座している。前の方には太基(たいき)が両手を広げたくらいの長さで足りそうな小さな箱。こちらには一対だけタイヤが付いていて中は空洞、椅子のようなものが見える。その物体を眺めていたら紫珠乃(しずの)に遠くから声を掛けられた。突然止まったせいで少し距離が空いてしまったらしい。


「これも車なんですか?」

「トラックだね。これだけ大きいとどこかの輸送会社の拠点同士を行き来していたんじゃないかな」

「トラック? 輸送?」

「輸送っていうのは物を何処かに運んで送り届けること。トラックっていうのは人じゃなくて物を乗せて運ぶための車だよ。まあ、ちょうどいいから後ろに回ってみましょうか」


 言われるがまま近くに寄って見物する。近づいてみて改めてタイヤの大きさに圧倒され、少し間隔を開けて黄色や緑の透明な部品が付いていることも分かった。真後ろから見ると扉が開け放たれていて、中はがらんどうだった。


「空っぽですよ?」

「もう5年も経とうというくらいそのままだったんだよ。誰かが扉を勝手にこじ開けて中身を持っていっててもおかしくないよ。普通に考えれば誰かのために運ぶ荷物を横取りするのは泥棒だし捕まるよ。でも誰も彼も生きるのに必死だから、捕まるリスクより明日の我が身になっちゃったんでしょうね」


 都市部には物も集まるが、それは人も集まるということである。人が集まれば丈夫な人や色んなことを考えるのが苦にならないタイプの人もいれば、そうではない人もいる。

 自分の生きている場所が住みにくくなった時に他のところに移動できる人、いざとなれば田畑を耕し農村に溶け込んで生きていける人とか、商売上手な人はしたたかに生きていける。だけど例えば子供はそうはいかないし、元気な人も段々老いていく。怪我や病気をすれば明日から働けないかもしれない。

 そういう弱い人々が何とか人の助けに頼って生き延びようとした結果、人の多い都市部に残る。あるいは流れ着くということが起きていた。


「今から私達が行こうとしているのは、沢山人が集まった中で一番ギリギリで生きようとしている人達の所だよ。大事な人を失って、心に傷を負った人達の所だよ。こうして他所様のトラックの積荷を勝手に持っていくのを到底責める気になれないような所だよ。それを覚えておいて」


 それからも歩く道すがら沢山の車が置き去りにされているのを見た。始めのうちこそ色んな種類の車を興味深く見ていたが、そのうち見慣れてしまった。どの車も空っぽで見ていても何も面白くない。そのうち今度は布などで中が見えないようにした車がちらほらと現れてきた。中に人が居るらしく、ガサゴソと時折動いている。太基と文里(ふみさと)が交互に曳いている荷車をジロジロ見る人もいた。睨み返したら紫珠乃に小突かれ、無視してなさいと叱られた。そうして人が増えるにつれて、アンモニアや硫黄、後は脂が腐ったような臭いがどんどん強くなる。


「臭い!」

「排泄物と死体の始末がうまくいかないとこうなるのよ。しかしまあ、これは殆ど死臭だねえ」


 夕方に迫ろうという頃からは殆ど太基が荷車を曳いた。手ぶらでいるのに耐えられる気がしない。紫珠乃の案内に従って歩き続けた。陽が沈もうというのに所々で火が燃えていて、むしろ騒がしくすらなってくる。こちらを指差して話しているように感じられて少し耳を澄ませてみたが、残念ながら意味ある言葉としては聞き取れなかった。


「着いた。誰か居るかな」


 誰かいてください。こんな道端で留守番なんて絶対嫌です。そう念じながら扉を叩く紫珠乃の後ろ姿を見守る。


「おい、坊主。何持ってんねん」


 とうとうガラの悪そうな男に絡まれた。白髪混じりで中年、いやそれより老けているだろうか。精一杯、相手の目を見返してやったが山の獣を相手にするのとは違う恐怖が内側から這い上がってくるようだった。どちらかというと伊勢で狼藉を働いたあの女に近い。何処かに理性を置いてきてしまった人間。


「ジジイ、子供に詰め寄るんやったらこっち来い。神さんの前でいくらでも話聞いたるわ」


 太基の後ろから力強い声がした。作業服のポケットに手を突っ込み仁王立ちをした男を前に、太基に詰め寄っていたガラの悪い男は踵を返した。クソッタレと悪態を吐いてゴミを蹴飛ばし、挙げ句道端に唾を吐いて。


伊丹(いたみ)さん!」


 おう、と明るく笑う姿がこの上なく頼もしい。後ろには何人かの人が居た。伊丹さんより幾らか若そうな人もいれば、随分と年上の人もいるようだ。そのうち一人がガチャガチャと教会の扉の鍵を開け、会堂に太基達を招き入れてくれた。


「荷物は全部会堂に入れとけ。外よりマシや。保障はできひんけど」

「保障しない、て」

「前に言うたやんか。空き巣に入られたって」


 お邪魔します、と中に入った太基はまず倉庫の場所を教えてもらって荷物を放り込んでいった。荷物といっても奈良で切り出した竹と、結局貰ってきてしまった麻紐や鉈といった道具類ばかりである。鹿肉と熊肉は殆ど置いてきた。冬はともかく夏場はすぐに腐ってしまうから、奈良でお世話になった人達に食べてもらうことにした。

 紫珠乃のほうを見れば教会の人達と話し込んでいる様子で、暫く終わりそうに無い。環は抱えられたままぐっすりと眠っている。誰かが布の塊を持ってきてやっていた。


「紫珠乃ちゃんに子供が生まれているなんてねえ」

「そうそう、結婚式には先生とトモさんが行ったんよねえ」

「旦那さんも変わりなく元気そうでよかったわ」


 どうやら伊丹さんはここではトモさんと呼ばれているらしい。そして彼を囲む人々のうち、パンチパーマのおばちゃん、といっても伊丹さんと同じか少し歳上であろう女性が先生と呼ばれている。


「先生も相変わらずですね」

「せや、相変わらず苦労しとるわ」

「そ、相変わらずコテコテの大阪のおばちゃん」


 そういう紫珠乃の顔は嬉しそうで、ちょっと寛いだ雰囲気があった。


「何やねん、この子は。それにこの豹柄気に入っとんねん。 これがダメになる頃に神様のお恵みがあるなら、次は濃いピンクの虎がええねん」

「あはは、似合いそう」


 騒がしい人達である。少なくとも太基が最初に連れられて行った教会とはまるで違う。周りの話し声を聞きながら、太基は淡々と荷物を整理し、教会の倉庫に運んでいった。

 倉庫には大きな造り物のモミの木や、これも造り物の卵が入った籠が埃を被っている。壁には幾つか写真が貼られている。その中に一枚だけ、まだ幼さの残る顔立ちをした紫珠乃が写っていた。写真の中の会堂はぴかぴかと清潔で、暖かくて、なんだか今の会堂とは雰囲気がまるで違う。その写真の中で大人達に囲まれて紫珠乃は微笑んでいる。まだ太基と大して変わらないくらいの彼女はひどく大人びて見えた。

 写真から視線を外して、もう少し辺りを見回す。罠猟に使えそうなものを一式を持ち込んだのは良いが、山がどこにあるのか分からないと話にならない。地図は無さそうだ。明日にでもここの人達に尋ねてみようと決めて、ゴソゴソと倉庫から這い出てきた。


「太基君、今日はさっさと寝よう。伊丹さん達が部屋を用意してくれてるって」

「分かりました。もう話は良いんですか?」

「うん、良いよ。急ぎの話も特に無いから」


 紫珠乃が布の塊に包まれたままの環を抱えて呼びにきた。すぐ隣のボロアパートに案内され、聞けばこのアパートは『あの日』に持ち堪えたのが不思議なくらいに昔からボロボロだったらしい。そして昔から家賃が安かったから教会員の中でも余り懐に余裕が無い者は此処に住んでいる。先生、と呼ばれた女性も二階の真ん中ほどの部屋に住まいを構えている。太基達に割り当てられたのは先生の部屋の隣である。


「先生達がここに住めているのがびっくり。崩れなくてよかった」

「ホンマ、あの時はびっくりしたけどな。何とか持ち堪えたし、誰も部屋の中に倒れてくるほどのモノを置いとる奴おらへんからピンピンしとったわ。大家がおらんなったから家賃もタダや」


 カラカラと明るく笑って、ほなおやすみ、と先生は自分の部屋に入ってしまった。部屋に入って窓から外を見るといよいよ街はそこかしこで焚き火が焚かれて明るくなり、風に混じって生き物を焼くような臭いが流れてきた。暑さに耐えるか、蚊と臭いに耐えるか、迷った末に太基達は窓を開けた。快いとはいえない環境で、それでも旅の疲れもあり、徐々に太基は微睡の中に落ちていった。

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