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ブレイン・シード  作者: 小石丸
2. かつて笹百合の咲いた山
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演算網の彼方の記憶

 目の前に延々とどこまでも草原が広がっている。足元の土は柔らかく、砂まじりで乾燥していて時折土埃が舞う。その草原を緩やかに低く飛んでいった先に黒い影が見える。その影に向かってふわりと降り立つ。降り立った先に居た黒い影はこちらに向かって頭を垂れ、微動だにしない。


『遠路はるばる、よくお越しくださいました』


 幼気な少女の声である。夕陽のせいで逆光になってしまってその顔ははっきりとしない。しかし、こちらよりも小柄だが黒い烏のような姿をしているのが分かる。


『顔を上げてくださいませ。客として迎え入れてくださったこと心より感謝します』


 こちらは時折語りかけてくる天照大神の声と似ている。尤も、普段聞き慣れた声より穏やかで落ち着いている。


『こうして普通の土があり、草が生え、生き物がいる。素晴らしいことです。私達の国でもこうありたいものです。ここに至るまで多くの苦労があったのでしょう?』

『そうですね。独立と再生のための努力、といえば聞こえは良いですけど、実現には多大な犠牲を払っています』


 少女の声はなおも語る。何も生えない土を再生させるためにあらゆる手段で有機物を集めて撒くところから始めたこと。時折来る嵐のせいで頻繁に流されてしまうこと。雑草といえど種が無いため、結局は他所から持ち込んだこと。


『それに何より、ブレインシードの侵入を防ぐために厳しい検疫体制を敷くしかありませんでした』

『はい、なかなかに徹底されていましたね。他国からは鎖国だとか閉鎖的だとか言われているようですが本意では無いのでしょう?』

『ええ、今から土を回復させようというのに動ける者が居ないのは困ります。それにこの小さな島国では、あれが入ってきたら最後です。あれが形作る広大な演算網に取り込まれたら、私達は少数派として存在ごと無かったことにされるでしょう』

『全くその通り。とはいえ普通に生きていこうにも、まずは食糧が、つまり土がなければ。この国の姫君として貴女の知恵ある行いに学ばせてほしいものです』

『あらやだ、持ち上げ過ぎですよ。私、貴女様と同じ夢に向かって進むお友達になりたいのです。昔のお伽話に出てきたような、土と緑の森がある世界を本当に作るという夢を』


 次に目を開けると雑然とした部屋の天井だった。身体を起こして辺りを見回すと、書類だらけの部屋の窓から神社の境内が見える。


「良かった、目が覚めて!」


 ほっとしたような声が聞こえて本格的に目が覚めた。布団をどかそうとして手が布でぐるぐる巻きにされていることに気がついた。両手の手のひらが痛痒くてたまらない。思わず両手を擦り合わせようとしたら紫珠乃(しずの)にその手を止められた。


「だーめ、ついでだから新しい布に変えてあげる。一回どうなってるか自分でちゃんと見ておいて」


 有無をいわせず太基(たいき)の片手を取って布を外していく。最後のほうは血と組織液が浸み出していた。桶に張った水に浸して漸く外したら皮があちこち剥けていて酷いことになっていた。自分の怪我だが思わず目を逸らしてしまった。


「これでも随分昨日よりマシ。若いわね」


 テキパキと布を変えながら、ほぼ紫珠乃が一方的に話していく。どうやら馬に乗った女達が逃げた後、太基はその場に倒れていたらしい。叩いても起きないからと引き摺られて社務所に運ばれて、そのまま一晩眠り続けていたと教えられた。


「はい、お終い。私荷物纏めてくるから、フミ君達にもう出るよって言ってきて。何か熱中してると私が言ったんじゃ聞きやしないからさ」


 両手が使えないので大人しく従うことにする。社務所を出ると殆ど完成した箱罠が置いてある。その箱罠の周りで秋村さんと中野さんが揃って箱罠の仕掛けを弄っている。神社の宮司さんもそれを面白そうに眺めている。

 文里(ふみさと)はといえば少し離れた場所にある椅子に座っている。


「お兄ちゃん! 遊ぼー」


 (たまき)が全速力で突進してきた。さっきまで一人で遊んでいたのだろう。太基に気がつくなり喜んで近づいてきた。


「抱っこ! 高い高いして」

「手を怪我してるから、後ろから登って肩車にして」

「えー。じゃあ、肩車でパパのところ行く」


 文里のところまで環を肩車で連れて行く。よく見るとノートを広げて何やら書き物をしているらしい。時折考え込みながらずっと手を動かしているのだった。


「パパ、見て」

「ん? 肩車? いいねえ。太基君、起きてきたのか」

「ついさっき起きた所です。紫珠乃さんがもう出発するから呼んでこいって言うので出てきたんです」

「慌ただしいなあ。まあ、太基君のおかげで鹿肉と熊肉が手に入ったから、いつ出ても良いんだろうけど」

「あ、あの熊回収できたんですね」

「回収できたというか、したというか。太基君を運び込んだ後にシズに全員駆り出されたよ。貴重な肉を無駄にするなって本人は言ってたけど、たぶんあれは考える暇を作りたくなかったんだろうな」

「どういうことです?」

「太基君に向かってきた女の人、シズの友達だったんだ。君のお母さんとも昔の職場で友達と言って良いくらい仲は良かったらしいけど、一応仕事だし気を遣うだろ? 学生時代からの友達はまた違うというか。久しぶりに再会して、生きていてくれて嬉しかったって言ってた矢先に刃物振り回されて逃げられて。正直ショックだったんだと思う」

「友達、ですか」


 太基にとって友達といえば小学校のクラスメイトの数人くらい。それ以降は学校そのものが閉まっていたから祖父と山を巡っていて友達と遊ぶということは無かった。そのせいで友達と遊ぶということがそもそも遠い記憶の一部でしかない。働いたことがあるわけでも無いから学校の友達と職場の友達の違いというのは説明されてもよく分からないし返答に詰まってしまう。


「何があったか教えてくれる?」

「もう出発するんですって! 道中で話しますから!」


 鉛筆を構えた文里を慌てて制止した。出発するから呼びにきたのに一仕事始めて良いわけがない。これではどちらが大人か分からない。


「環君! 行っくよー! 宮司のおじさん、秋村さん、中野さん、僕らそろそろ行きます! お世話になりましたぁ!」

「た、太基君?!」


 環を肩車して全速力で駆け出した。肩の上から歓声が聞こえる。こんな別れの挨拶では駄目な気はするが、そもそも大人の都合でここまで来ているのだ。細かいことは大人に任せて環と遊んだって良いではないか。


『素直じゃないのう、本当は少し心配しておるのじゃろうに』

「……」

『大丈夫、大丈夫じゃ。後はここに住んでおるもの達が自分達で考えていくことなのじゃ。お主達との出会いで、希望が見えただけで充分。それ以上、背負い込むでないぞ』


 少しくらい良いだろう、と暫くあっちへこっちへ走って回った。人のいない町に二人の遊ぶ声だけが響いた。


 同じ頃、十紀子(ときこ)は進路を大きく北に取り、京都のほうに向かっていた。馬上には安海(あみ)と僅かな手荷物だけを乗せ、自らは歩き続けている。


「今からどうするんですかあ? 丸一日歩き通しじゃないですか」


 ついでにお腹も空いている。もっとも自分を馬上に乗せて歩き続ける十紀子が適当に川で汲んで沸かした水を飲むだけで済ませているので、その一言は流石に言えないが。


「まずはこのまま京都に行くわ。この子もそうだけど、もともと京都にいた儀礼用の騎馬隊で飼育してた馬達が何頭か居るの。この子を預けて、別の子達を二頭借り受ければもうちょっと速く動けるもの」

「へえ、さすが京都」

「馬だって餌代とか馬鹿にならないから何の使い道もなく維持することはできないわけね。他にも乗馬クラブとか動物園とか、馬って探せばあちこちにいたのよ。それを例のあの日の混乱に乗じて私達がかなりの頭数譲り受けている」

「ボランティア、じゃなさそうですね。こうなると分かっていたんですか」

「言っとくけど、確実な未来予測なんてあり得ないからね? 私達が知っていたのは、あの瞬間に日本は鎖国状態になったこと。そしてこの状況は私達か侵入者達か、どちらかが排除されるまで続くということ。そして私も含めた『アバター』達がどこに居るか分からない以上、電気やガソリンに頼らない移動手段の確保は絶対に必要だった、ということらしいわ。まあ、細かい話は本拠地にその勾玉持って行ってからにしましょ。ずっと遠くまで行くから覚悟はしてて」


 もう京都のはずれまでは辿り着いていた。盆地である京都に照り付ける太陽はジリジリと彼女達にも容赦なく降り注ぐ。もう少し、もう少しと自らと馬を励ましながら十紀子はその歩みを進めていった。

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