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ブレイン・シード  作者: 小石丸
2. かつて笹百合の咲いた山
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魂≠実験データ

 愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ、という。

 言葉と記録が正しく残っているなら、その通りといえる。


「失敗したこと、学んだこと、感じたこと。先人達は多くの記録を残してくれています。しかし何もかもが正確に記録されているわけではないのです」


 例えば、文字の無かった時代の人々。

 文字が出来ても読み書き出来ない人が大半の時代、あるいは紙とペンが気軽に手に入らない時代の庶民達。

 戦争の勝ち負けや国家権力による捏造、果ては個人的に残したく無かった記録。言葉にならない曖昧な感情。

 時代の流れとともに消えていった遺跡や生活の痕跡、信仰、常識、技術。


「遺されたものより消えた記録の方が多いでしょうね」

「ふうん? ごまかしは何か嫌だけどさ、消えちゃったものは仕方なくない?」

「そう考えるほうが、幸せかもしれないですね」

「てか、何の役に立つのか分かんない。細かい長い文とか私読みたくないし」

「そうですか。確かに出来なくても生きてはいけますね」


 でも、と久我(くが)さんは尚も微笑みを浮かべたまま、ゆっくり安海(あみ)に語りかける。


「思い出せない過去、無意識に捉えたまま沈めてしまった情報、掴みどころのないぼんやりした感情、そういうもの全ての記録を私達は今の自分自身として生まれる前から持っているのです」

「何それ?」

「先人達は魂と呼んできました。貴女が貴女として生まれる前の記録、貴女が貴女として生きる記録、これから生まれる生命の記録へのアクセスポイント」

「魂? あるの?」


 素直に驚いている安海は、言われたこと以上のことは特に考えていないのだろう。

 年齢相応に騒がしい安海を横目に、十紀子(ときこ)はぼんやりと外を眺めている。彼女にとっては子供の頃から父親に何度となく刷り込まれた話のごく一部にしか過ぎない。今更まともに聞く気もない。


九重(ここのえ)さん、自分の失敗で何か思い出すことありますか?」

「最後のライブ、ギリギリまでずっと振り付け上手く踊れないとこあった。新曲で難しくて、どうしてもなんかタイミング合わなくてさ。ラストステージ以外全滅」

「最後まで諦めなかったんですね。素晴らしいじゃないですか。失敗と成功と、違ったところはどこでしょう?」

「いっぱい練習したから?」

「その分だと練習で何が変わったか、今ひとつ分かってなさそうですが。とりあえず貴女は先程『過去の出来事に理由を付け』ました。さて、いっぱい練習したら出来たと解釈した貴女は、次のステージではどうしますか? 以前と同じ練習量に戻しますか?」

「戻すわけないじゃん、増やすよ」


 当たり前といえば当たり前の話である。

 起きてしまったこと自体はただの出来事にすぎない。ただし、振り返って解釈することで人は少しずつ学び、次は『より正しそうな』行動を取る。

 安海の場合は練習量を増やすと結論付けた。彼女以外の誰かは違う結論を出すかもしれない。必要な筋力や柔軟性に原因を求めれば身体作りが答えになる。振り付け自体に無理があると思うなら振り付けを作り直してもいい。考えても分からない、というならどこかのダンススクールの扉を叩くのだろう。


「同じ経験をして、そこから得られる学びと答えは無数にあります。百人いれば百人分、千、万、とあれば尚更です」

「そっかあ、正解って一つじゃないんやね」

「そうですね。さて百人いれば百通りの『正解』が出来上がります。しかし元になる百通りの経験は残せない。そして、何よりその百人が死んだら」

「何も無くなっちゃう」

「そうです。元になった経験は残っていませんし、時は移ろい環境は変わります。二度と取り戻せません。ですが、『魂』があればどうでしょう。新しく生まれ変わっても、前に生きていた頃の経験や学びのデータが保管され紐付けられていて、以前の『考え』や『心』の記録を辿れたらどうでしょう?」

「無駄がなくていいかも?」

「はい、まさにその通りです」


 十紀子はまだ二人の会話を聞き流している。

 十紀子の父はそこそこ有名な小説家で、同じことを数ある作品の中心ともいえる概念がこの『魂』の概念だった。

 子供の頃から耳にタコができるほど聞かされていた。まさか自身が父に代わってアバターとなり、『魂』の実在を信じることになるとは夢にも考えていなかった。だがおそらく父は十紀子にアバターを継がせるつもりでいたのだろう。

 

「では次に、頑張って学んでいく『魂』を元々作ったのが『神様』や『天使』だとします。貴重な経験データ、そこから得られた『考え』『心』は全て『神様』や『天使』に権利があるから渡しなさい、と言われたらどうですか?」

「権利? 神様に?」

「彼らの言い分ですがね。ちなみに、データを抜き取った後の『魂』は天国に行きます」

「じゃあハッピーじゃん」

「どうでしょう? データが抜かれた『魂』はもはや抜け殻です。一説には天国とは抜け殻と化した『魂』に『幸せ』という感覚だけを流し込んで、ひたすら『神様』を讃えるだけの場所と言われています」

「何も無いの? ダンスとか歌とかさ」

「讃美歌、つまり神様を褒めるための歌だけが無限ループしてるそうです。ちなみに『神様』は天国に行った『魂』達には非常に慈悲深いので天国に行った者は絶対に『幸せ』を尽きることなく与えられます。この世だと『不幸』は学習データを洗練するために必要な鞭として存在します。そして鞭があれば天国という飴にも意味がありますね。全ては『神様』の思し召しというやつです」

「へえ。 じゃあ皆行き先は同じか。さっさと人生クリアして終わりにしちゃえばいいね」

「もちろん生きることにも多くの悲しみや苦しみがあります。死は救い、人生は最短で終わらせるべき宿題に見える。しかし、今の世界では違います」


 『魂』の学び、つまり受けた悲しみや苦しみから得られた学習データが足りないとして再び生まれ変わる。学習データが足りれば『神様』や『天使』の取り分として回収され、残る『魂』は『神様』を讃えるだけの抜け殻と化す。どうにも質が悪ければ不良サンプルとして永久処分となる。捨てられる先には何も無い。

 十紀子や安海に憑いている黒鴉達は各々に事情はあるが、このシステムに反旗を翻した者達だった。たとえ悪魔と言われても、自分達の記憶や心は自分達のものであり、自身と縁のあった誰かのためのものである、と。


「ふうん。ねえ、それなら死んだ後綺麗さっぱり消えて、無かったことにしちゃ駄目なん?」

「それも、究極の選択ですが有りでしょうね。綺麗さっぱり無くなりたいと願う人を否定はできません。貴女もそうお望みかもしれませんが、それでも敢えて問います。貴女に大切な人は居ますか?」


 大切な人。そう聞かれた安海の顔が一瞬曇った。

 ちょっと歌やダンスに興味があると言ってしまったがばっかりに『可愛い娘がアイドルになる』という夢を押し付けてきた両親と、いつも働き続けて疲れた顔をして何を考えているのか分からない姉。

 売り上げが目標に届かないからと徐々に過激になっていくファンサービス。他のメンバーと違ってレッスン料が足りないと相談したらバイトしろ、とだけ返ってきたので二度と相談しないと誓った。

 安海は、あの日の混乱を奇貨としてやっと誰からも自由になった。


「ご家族である必要はありません。ご友人でも」


 友人なら居る。同じグループの子達のことなら忘れたことなどない。それに、他にも忘れられない人が居る。


「悪魔とさえ呼ばれる彼ら彼女らが選んだのです。貴女にもきっと大事な記憶、かけがえのない人が居るのでしょう。であれば、今のシステムに反旗を翻す戦いに共に挑んでいただけませんか。今のシステムでは文字通り『死んだら終わり』です。どんな想いも願いも奪われてしまう。そんなことされたら遺していく者達への想い、死者への祈り、全て無意味ではないですか。結局私達が遙か千年以上昔の先代からずっと望んできたのは、すでに死んだ者達、これから死にゆく私達、今からこの世に生まれてくる子供達をただのデータとして扱わないで欲しいだけのことなんです」

「死んだ後のことを心配して、それで千年以上経ったの?」

「死後の世界が存在するなら、死後の世界こそ私達の未来の世界でしょう。先の貴女の質問の答えとしては、先人達の抵抗と歴史の流れの結果、宝珠は全国に散りました。一箇所に纏めていると、時の権力者が簡単に手を出せるでしょう?」


 特に鎌倉時代から先は実力主義の武家社会だった。

 織田信長が正倉院の蘭奢待(らんじゃたい)と呼ばれる香木を勝手に切り取ったという話もあるが、この件だけでも正倉院という聖域が安全といえなくなったことが理解できる。なお、これが香木でなく宝珠だったら果たして人類がまだ存続していた保障は無い。


「そんな大袈裟な話なの?! うえー、怖いしちょっとは頑張ろうかな。大事な人がいるのは当たってるし」


 久我という男はありがとうございます、と深く安海に頭を下げた。ふと、安海はこの久我という年配の男が彼女に寄り添うように丁寧に話してくれていたことに気付いた。

 安海はアイドルグループの部品で、歌とダンスはおまけ程度、ファンサービスをお金に換える道具。今は一人で、道具としての価値も無いのに。この人は安海を自分の意思がある人間として話している。不思議だった。


「頭下げないでくださいよ。それに、大人なのに命令しないんですね」

「年長だからって命令する理由はありません。大切な方への想いをお持ちの、素敵な仲間ですから」


 仲間という言葉に安海は首を傾げた。そんな彼女を十紀子も久我さんもそれ以上何も言わずに受け入れたのだった。

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