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ブレイン・シード  作者: 小石丸
2. かつて笹百合の咲いた山
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失われた歴史

 杉や檜がまばらに生えている森にかつての散策道路が伸びている。手入れの行き届いていない道には夏だというのに一面に腐りかけた落ち葉が張り付き、所々に苔が生え、道と森の境が曖昧だった。少し森の奥へ歩いていくと途中からドライブコースだったであろう道に突き当たる。コンクリートに変わった道を緩やかに登り、錆びたガードレールを途中から乗り越えて暫く歩いたところで、かの巨木の根元に辿り着いた。

 ここまで歩いてきた女は無言でその樹を見上げた。生い茂る葉に隠れてその上までは見通せない。少し立ち位置を変えようとして数歩踏み出した先の地面が何か液体で濡れていた。


「うわ、血がついてる。最悪だわ」


 それに気づいて近くの岩や落ち葉を眺めた彼女は、その人形のような愛らしさのある顔を思い切り引きつらせた。彼女が立っている場所から1、2メートルほど山奥に入った位置の岩にべっとりと血痕がついている。それとは別に、先程踏んだ場所も踏み抜いた瞬間に違和感を感じてしまった。靴で地面をほじくると血のついた枯れ葉が見えた。つまり彼女の立っている場所も大量の血で濡れているのだ。表面だけは他の土で隠されていて、人間の仕業だと分かる。


「うえー、グロ」


 大量の血を見て、ふと彼女の脳裏に「例のあの日」の惨状が蘇ってきた。

 ライブハウスのベースアンプがとんでもない速度で飛んできた。激痛、とめどなく流れる血。悲鳴。そのイメージが蘇った瞬間、気づいたら飛び跳ねるようにその場所を離れていた。

 もう無理だ、帰ろう。そう心に決めたのに。


「奇遇ね。それとも必然? この樹の下で会うなんてね」

「何が言いたいの。アバターとかなんとか、荒唐無稽な話は信じないわよ」

「信じるかどうかは別にして、事実としてこの樹は昨日まで無かった」

「だとしても、私には関係ない」

「じゃあ何でここにいるのかしら?」

「そ、そんなのどうでもいいわ! 私がどこにいて何をしてても関係ないでしょ」

「残念だけどそうはいかない。貴女がアバターとして選ばれた以上、私達は貴女を必要としている」

「は? じゃあ私はアンタに付き纏われて迷惑してるわ。そうよ、アンタがあんまり頭おかしいから聞いてるこっちまで頭おかしくなりそうなのよ。そうよ、この樹だっていきなり生えてきたなんて気のせい。当たり前に生えてる普通の樹でしょ? 奇跡なんかじゃないし、普通に触ることだって出来るじゃない」


 適当な枝の枝先に体重を掛けて、無理やり引っ張った。根元は直径10センチもあろう枝が引っ張られてメキメキとしなって軋み、最後にはバシン、と音を立てて根元から折れた。折れた枝を彼女は十紀子に向かって思い切り放り投げた。


「ほら、普通の樹じゃない。奇跡的に生えた特別な樹なら、折れたところからまた枝でも何でも生えるんじゃないの?」

「やらかした本人がここにいないから。それに、枝を見ただけでも異常だって分かる。それなりの太さなのに年輪が無いもの」

「枝一本の年輪くらいどうでもよくない?」

「一気に育ったから年輪が無い。そして柔らかくて脆い。じゃなきゃ、貴女の体重でそんな太い枝が折れるわけない。貴女が体重をかけた程度で折れた、そのこと自体が異常性の証明。そして」


 十紀子(ときこ)は真っ直ぐ、岩に着いた血痕を指差した。


「まだ新しい血痕。一気にこの樹が生えてきたのもついさっきのことなのよ? 無関係だとは思えない」

「こじつけよ」

「ここに大量の血を撒いて、この樹は墓標のつもりかしら? 遺体が木の根で覆われて捨て置かれてるかもね。次は貴女かも知れないけれど、それでいいの? 『例のあの日』に死にかけたのを、もう一度体験する?」

「! 何で、そんなこと」


 死にかけたというのは事実だった。ステージのベースアンプが真っ直ぐ飛んで彼女を襲ったのだ。一瞬にして永遠かと錯覚するほどの激痛、その後急速に血が失われ、感覚が無くなり、悲鳴はどんどん遠くなった。

 気がついた時には、血溜まりの中に一人きりで横たわっていた。ステージ衣装は血塗れ。ステージに上がる前に着ていた服を探そうとして、何もかも燃えて無くなったことに気付いた。


「なんで、分かるの」

「そうね、説明してあげる。貴女には知る権利があるから。それなりに長い付き合いになると思うから改めて自己紹介しておくわね。私は物部(ものべ)十紀子(ときこ)、遠いご先祖様が死にかけた縁でアバターになってるの。父から引き継いだようなものね」

「貴女が死ぬ目にあった訳じゃないのね……。まあいいわ。私は九重(ここのえ)安海(あみ)。話くらいは聞いてもいいわ」


 来た道を戻り、正倉院を通り過ぎ、向かった先には真っ白な壁に黒い瓦が特徴的な建物が建っている。中に入っていく十紀子の背中を安海は真っ直ぐ追っていった。


「お疲れ様。相変わらずここは風通しが悪くて暑いのね」


 十紀子は中で何かを書きつけていた男に気安く声をかけた。男は十紀子に気づくと立ち上がり、こちらに近づいてくる。


「物部さん。その方は?」

「アバターの一人、九重さん。色々と説明が必要だから、ここまでご足労願ったの」

「ああ、これはこれは。私は久我(くが)と申します。まあ、私などは覚えていただかなくて結構ではありますが」

「自虐的なこと言わない。あの琵琶、絃上(げんじょう)の件は先祖の話であって貴方の責任じゃあないし。平等院の笛の話だって異動後、しかも展覧会に出された間の話でしょ」


 背後で首を傾げる安海に十紀子は簡単に補足した。

 絃上とは平安時代に失われた琵琶の名器、平等院の笛とは葉二(はふたつ)という龍笛の名器のことだ。このうち絃上は表向きは行方不明とされる。しかし真相は花園天皇が隠し、久我家の先祖様が密かに守り続けていたのだという。尤も、戦国時代に放火され、記録とともに失われたので証明する手立てはない。


「燃えちゃったんですか?」

「記録の方はね。ただ、絃上については盗まれたというのが私たちの見方。絃上と葉双は当たり前に燃えたりとかするような性質のモノではないの」

「え? でも琵琶と龍笛って両方とも楽器? ですよね?」

「そう、楽器。だけど『宝珠(ラビィ)』でもあるの。しかも二つに分かたれた特殊な例」

「宝珠?」

「超常現象を起こす力と、人格のようなモノを併せ持つ存在。そして魂の導き手。と、まあこの説明だと訳分かんないと思うけど、日本各地に点在する神社の神様だと思ってくれたら七割くらい合ってるわ。細かい説明は久我さんにも頼めるかしら? 私、少なくとも細かい仕組みの部分はさっぱり分かってる気がしないのよね」

「さっき何でも知ってそうな雰囲気させてなかったですか?」

「うーん、知ってるのと理解してるのは別っていうか。細かい仕組みはIT系の人とかならすんなり理解しそうだけど私には無理。それに今から説明したい本題ではないから、まあいいのよ」

「なんか詐欺っぽい感じがする……」


 話をしている間に、いつの間にか少し冷たい水が用意され、どこかのドアを開けるような音がした。どこからか風が通って少しばかり涼しくなったように感じられる。


「開けてくれたのですね。ありがとうございます」

「ここで話していても暑いだけですよ。作業室から風が通るようにしてきました。今は基本的に封鎖していますが、アバターに選ばれたお方が二人もいれば、まあ少しくらい良いでしょう」

「そうね、宝珠がここにあるわけではないし」


 案内された先は床も壁も全て無垢木が貼られた、広々とした空間だった。久我さんは更に水を注いでくれた。


「美味しい、生きかえる!」

「そう言っていただけると嬉しいですねえ。まあ、宝物を守るために近くの地下水脈から水を引く井戸や池を作った先人たちのお陰です。その史料が残っていたからこそ、私達もどうにか井戸を掘り直すことに挑戦し、水を得ることが出来ています」

「そうね。シルクロードから流れ着いた先の日本で、最初に宝珠を封印した場所がここ、で合ってるよね、久我さん?」

「はい。当時は災害と天然痘の流行が重なって田畑も荒れた場所が多くて政治的には相当混乱していたのです。時の天皇にとって流れ着いた宝珠達の存在は仏の助けだと感じたでしょう」


 その時の天皇は崩御の前に、大和という国への仏尊の加護を祈願し仏様へ全ての宝珠を奉納した。他の宝物も一緒に奉納するために正倉院という箱まで用意した。これらの宝物を守り続けるには火災対策は欠かせないため、近くに池も井戸も整備した。当時奉納された宝物は全て目録に記録された。しかし、宝珠については永遠に秘匿し続けるためにわざと目録からは外され、約四百年はここで封印されていた。


「久我さん、質問! なんで秘密にして封印したの? 四百年後はどうなったの?」

「そうですね、それを説明するために一つ知っていただきたいことがあります。私達の『魂』はあらゆる生き物を動かす基本システムであり、膨大な経験データに紐づいています。そして、その膨大なデータとそれに基づく多様な心を喉から手が出る程に欲している者たちがいるのです」

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