命賭けなのはお互い様なのに
夜になろうかという頃に漢國神社の社務所の前を二人の男が訪れた。一人は二十代半ばの青年、もう一人は七十代に差し掛かろうかという老爺である。紫珠乃が引っ張り出して待ち合わせ場所に指定したのがこの場所だった。
「誰やと思うたら秋村君やないかい」
「知り合いなんですか?」
「小学校と中学校で何年か同じクラスやったわ」
会ってみれば、宮司と七十代の老爺の方は同級生だった。
「来ていただいてありがとうございます。壹拾といいます」
「玖村です」
「ご丁寧にどうも。秋村といいます。こっちは中野君。センチコガネ大好きな私の仲間です」
「センチコガネ?」
「この子たちです。きっと聞いてくれると思って連れてきました」
秋村さんが差し出した透明なケースを太基は素直に受け取った。蝋燭の灯に照らされたケースの中で、ルリセンチコガネたちが青くキラキラと光っている。
「綺麗ですねえ。触角もピシッと伸びてて、先っぽまでキラキラしてる。でも何で鹿の糞と一緒に入ってるんですか」
「この子たちのご飯ですから」
「ふうん」
キラキラ光る背中を眺めながら、ちょこまか動く姿を見ている分には中々面白かった。鹿の糞をひっくり返して探そうとまでは思わないが。この場に紫珠乃のついでで付いてきた文里も一緒になって眺めている。紫珠乃は男五人が固まって糞虫を蝋燭の灯に照らして飽きずに眺めているという状況を宮司さんと一緒に呆れつつも見守っている。
「宮司さん、子供の頃の秋村さんってどんな人だったんですか?」
「虫、というかセンチコガネが好き過ぎて毎日う○こ突ついとる変な奴。そのまま大人どころかジジイになって弟子まで作るとは思わんかったけどな」
「筋金入りですねえ……はいはい、お集まりいただいて盛り上がってるところすみませんけど! ちょっと私達の泊まってる建物の一階に場所移していただけますと嬉しいです! 寝てるとはいえ小っちゃい子置いてきてるんで!」
「ああ、わかりました。じゃあ行きましょうか。案内していただけますか」
太基が蝋燭を持って、紫珠乃と一緒に先導する。秋村さん達と文里がその後ろを和気藹々と話ながら続き、最後に宮司さんが付いていく。
「太基君も割と虫とか抵抗無いのね。あの環境で育ってたら当然かもしれないけど」
「ああ、カブトムシとかは好きですし、ああいう小さい虫達もぼんやり眺めてて楽しいです。ハエとゴキブリとかもまだ許せるかな。蚊とか虻とかスズメバチは流石に嫌です」
「強いわねえ」
「慣れですかね。ケースに糞と一緒に入れて連れて来る発想は無いですけど。後、文里さんが食いついてるのはちょっと意外」
「何で?」
「歴史にしか興味なさそうじゃないですか」
「そうだけど、たぶん秋村さん達と波長は合うのよ。興味のある分野が違うだけで同じタイプの人間よね」
そうやって性格で括られれば納得できるものがあった。明日には糞虫の歴史など語っているに違いない。
勝手に太基が納得する頃には泊まっている建物に着いていた。神社の目と鼻の先にあるこの建物は数年前までゲストハウスとして使われていた。今では変な人が集まらないようにと宮司さんが仕事の合間に無償で管理をしている。オーナーも居るが、客が来ないからには別の手段で日々の糧を得なければならないから今は経営をやめてしまっている。宮司さんの申し出は渡りに船と喜んでいて、必要な時には好きに使わせてもらっているのだそうだ。その部屋の一室で環がすやすやと眠っている。布団を蹴飛ばして寝汗を掻いていたので、窓を開けて風を通してやった。
「だいぶ寝汗掻いてるよ。いくら何でも待ち合わせで出迎えに行くだけなのに、きっちり戸締りし過ぎだったんじゃない? まして殆ど人が居ない状態だし。誰か歩いてきてたら僕らの方が先に気付くよ」
実際、待ち合わせ場所の社務所前にずっと立っていたのは紫珠乃と太基だけである。文里は紫珠乃がきっちりと戸締りした部屋で、太基が呼びに走ってくるまでの三十分ほどの間、ずっと蒸し暑さに耐えていたのだ。やや不満そうなのも無理は無かった。
「確かに、道端で待ち合わせたのは泊まってる建物が見えるようにするためだけど。でもフミ君、少し遠くからとはいえ建物が見える範囲なら窓を開けたまま少し外に出ても大丈夫っていうのはね、人間相手にしか通用しないわ」
「どういうこと?」
「その説明を秋村さん達にお願いするのよ」
秋村さんは太基がどれくらい理解しているか確認しながら説明してくれた。太基も山のことはよく分かっているつもりだったが、感覚で身につけた事を改めて筋を通して説明してもらうのは何だか新鮮だった。
「最初の侵入が熊か。完全に盲点やったわ」
宮司さんはすっかり頭を抱えていた。
「近いとこから、声掛けてくしかないなあ。確かに秋村君の言う通り、残っとるのは老人ばっかり、悲鳴が聞こえんでもおかしくないくらい住人はまばらやし、耳も遠い。近所の他の誰かに助けを求めようにも遠すぎて力尽きるのが先ってのも言われてみればその通りや」
「まず、一応言っておきますけど普通の熊はわざわざ人間を襲いません。ですけど、餌が無くて人間の食べ物の味を分かってて、人間が弱いと理解してしまっているなら、秋村さんの言う通り襲われる前提で考えましょう。で、熊に丸腰で対応するとか無理です。猟銃が欲しいところですが僕は扱えません。追い払うだけなら、花火とかあるとビックリして逃げるそうです。ただし、山火事になると厄介なので最終手段です」
「じゃあ、どないせいっちゅうんや坊主」
「基本は箱罠ですかね。捕まったのを仕留めるのが命賭けなのと、熊だと金属製じゃないと多分逃げるってのはありますけど」
「無茶言うなや」
「仕方ないじゃないですか。罠掛かった獲物を祖父ちゃんと一緒に仕留めたことはありましたけど、猪でも死ぬほど怖かったんですから。命賭けなのはお互い様ですって」
「そりゃそうかもしれんけど。坊主、ついでに聞くけど箱罠以外にも作れるんかいな」
「作れますよ。箱罠、くくり罠、あとは違法だけどトラバサミ」
「でかいトラバサミで歯もつけたらどうや」
「それはそれで『ついうっかり』挟まったら自分が死にますよ」
宮司さんとの話し合いは平行線で纏まらない。そもそも本来なら里山には手を入れて、人の世界と山とで均衡を保ち続けなければならなかった。それを一朝一夕で都合良く解決するのは無理なのだ。
『こっそり妾のチカラを使えば良いのじゃ』
何やら聞き覚えのある声がしたが、流石にこの場で応えるわけにはいかないので無視を決め込んだ。
『暇じゃ。天使共は大嫌いじゃが、この森に少しチカラを貸すのは吝かではないぞ。この地に眠る姫君の志も、少しくらい汲んでやりたいしのう』
暇だからという理由で人間離れした力を使われたら絶対に厄介なことになる。勘弁して欲しい。
「ホームセンターの跡を探せばでっかい檻を作る材料はあるかもしれんけどな。捕まえたのをナタか斧で殴れって、そんなん出来るかいな」
「じゃあ、地道に鹿を捕まえていきましょうよ。ドングリが育つようにしましょう。熊に対しては、常に数人固まって行動して見張り立てて、姿が見えたら逃げてください」
「どこに?」
「高くて見張りが出来る場所で生活して、見つけたら戸締まりして屋内に引き籠るくらいしか思いつきません」
「だけどなあ、人襲うようになった熊は放っておけんで」
「だったら覚悟決めましょう。お互い様です。何で自分だけ生きることに生命賭けられないんですか」
一向に纏まらない、というか同じ話を延々と繰り返しているのである。いい加減、住職以外はうんざりしている。秋村さんと文里に至っては勝手にセンチコガネと奈良公園の関わりについて話始めている。
「あの、ちょっといいですか?」
ここまで黙って話を聞いていた青年、中野さんが手を挙げた。関西弁で捲し立てる宮司さんと命賭けるのが当然といった具合で、実は普通の大人よりよっぽど肚の据わった太基に気圧されて、おっかなびっくりという感じである。
「何やねん、言いたいことあるなら早よ言わんかい」
「は、はい。あの箱罠だと結局は捕まえても後が困るんですよね」
「当たり前やないかい」
「箱罠ってレジャーシートで覆っても問題ないんですかね?」
「レジャーシートって見たことないので分からないです」
「一度閉まったら空気が逃げにくいようにしたいんですよ。なんか、外からロープ切ったら硫化水素が発生するような仕掛けとか毒餌とかって作れませんか?」
硫化水素って何だろう、と首を傾げた太基以外は全員が絶句していた。とはいえ、結局それ以外に直接対峙を避ける案は出なかったのである。




