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#6「燃やし尽くす命、目醒めるイノチ」

 夜の街は、静寂そのものだった。住民達は騒ぎに目覚めてはいるだろうが、巻き込まれるのを恐れてか、窓を開けようとしない。不安の中、騎士の勝利を信じて、この戦いの行く末に聞き耳を立てているのだ。


 そしてその静かさに、少女の雰囲気はよく似合っていた。


 屋根の上の立ち姿。満月の逆光を浴びるそのドレスの少女は、15歳前後とおぼしき顔立ちに似合わぬ、魔性の妖艶さを纏っていて──異様だった。


 きっと彼女は人間ではないのだと、本能がフーガにそう語りかけてきた。


「あんた、昼間の!」


「次から次へと……また子供かね」


 見覚えのある顔に驚くフーガの傍ら、騎士の男はうんざりしたように頭をかきながら、屋根の上の少女にそう言った。


「あんたがあの子を連れてきたの?」


「? いえ、私はただ面白そうだったので……まあ、あの子血が! 可哀想に……」


 屋根から飛び降りてきた少女は、倒れる幼子の口元にできた血溜まりを見て、手を口に当てながら痛ましげな声を上げた。上品で美しいその声も、その容貌も、よく出来すぎていて、まるで作り物のようだ。


「おじさまの仕業ですか? 小さい子をいじめるなんて、とんでも──」


 ずぱっ。ぶしゃっ。


「悪く思うなよ。反逆者の知人ならば、貴様も魔女の可能性があるのでな」


「…………っ!」


 少女は刹那の間に、とっさに出した右手もろとも、騎士に縦に斬り捨てられた。


 見てて苦しくなるほどの血が吹き出し──ては、いなかった。


「なっ……!?」


「"魔女の可能性"……ふふっ、あははっ。ごめんなさい、でも間抜けな言いようで」


(浅かったか……!? い、いや、確かに両断した! 20年の経験がそう言っている! なぜ……!?)


 そんな思考を必死な顔で巡らせる騎士とは対照的に、少女はまるで何事もなかったかのように、そう言ってみせた。


「ああ、でもありがとうございます。自分で自分を傷つけるのは、少しおっかないですから」


「? あんた、何言って……」


 奇妙な行動に奇妙な発言。得体の知れない少女を前に、フーガは低い声でそう言いかけ。


「いいましたね。力が欲しいと」


 それを遮るように、少女が言葉を続けた。


「私は魔女、リゼラッタ。この血を飲み、私の眷属となってください」


「ま、じょ……?」


 まじょ? 魔女……?


 そんな──だけど、確かに見た。体が泣き別れになる程深く入ったはずの斬撃で、切れたのは手のひらの微かな肉だけ。そんなの、人外の化け物だ。


 だけど、いるのか? 本当に? 魔女は──それは、教会の妄想や言いがかりではなかったのか?


「き、貴様ッ!! それ以上不審な行動をしてみろ、次はその頭蓋を叩き斬るぞッ!!」


「あらあら……私が倒すこともできますが、面白そうなので、あなたに委ねます。そのままその足でダラダラと生きるか。それとも命を賭してでも、力を手に入れるか」


 何もかも、わけがわからない。顔見知りでしかないこの女の話を、どこまで信じていいのかも。そもそも、コイツが魔女だというのなら、何もかもコイツのせいなんじゃないのか。


 ああ──だけど、もし本当なら。


「……一つだけ教えて。眷属になったら、あの子を守れるの?」


 その可能性があるのなら。


「ええ、それは約束します。しかし──」


「なる! 早く血を寄越せ」


「むっ」


 俯きながら命令してくるフーガに、少女──リゼラッタは少しの苛立ちを覚えた。

 

「話は最後まで聞いてください。この魔法は私自身、まだ完璧に成功したことがありません。うまくいけば強大な力が得られますが、失敗すれば、あなたは恐らく……」


「寄越せ、早く」


「……良いから、話を最後まで聞きなさ」


「良いから寄越せ!!」


 そして。


「あの子を守るんだよッ!!」


 月に吠えるように、顔を上げてそう叫んだフーガの熱い瞳を見て、彼女は思った。


(…………うん。この目になら、私の夢を託せる)


 そう。100点満点の少女だと。


「では──人間を辞める覚悟は、良いですね」


 リゼラッタは、その手のひらをフーガの口に当てた。


「!」


 フーガの喉に、生暖かい血液が流れ込んでくる。他人の遺伝子、他人の命のかけら。気持ち悪い異物を、我慢して飲み込んで。


「…………がっ!?」


 そして、地獄が始まった。


 ばぎっ。最初に体内から聞こえたのは、そんな音だった。


「ぎっ……あ゛ああああああああっ!?」


 全身の関節をでたらめに曲げられるような。筋肉をペンチでちぎられるような。あるいは、背骨を突き破って、自分の中から別の生き物が突き出てくるような。


 それは、麻酔無しの魔法のオペともいうべき、地獄の苦痛だった。痛みのあまり、全身から血が吹き出して、自分が死のシャワーヘッドのようになっているような感覚さえ覚えた。


 魂の形が変わる。肉体のあり方が変わる。全身が内側から燃えるような痛みで気絶したかと思えば、同じ痛みにまた目が覚める。


 そんな生き地獄の中で、フーガの心を支えた想いは、ただ一つ。


(……お姉ちゃんの苦しみは、こんなもんじゃなかった……!!)


 あの愛に報いたい。それまでは、死んでも死にきれない。


 そのために、今ここにいる。


「……うああああああああああッ!!!」


「っ!?」


 突如として、周囲が燃え上がった。リゼラッタ自身も予想していなかったその展開に、彼女は思わずかすかな驚きの声を上げた。


 そして、その炎が消えた先にいたのは。


「…………これが、魔女の力か」


 鋭く尖った黒い爪。


 人間の耳を失って、代わりに頭に生えてきた獣の耳。


 何より、自力で大地を踏み締め立っている、その両足。


「成功、ですね」


 リゼラッタは不敵に微笑んだ。


「その耳も爪も、2度と戻らないでしょうね。どうですか? 人間辞めちゃった感想は」


「黙っててよ」


 ひょうきんに問いかけるリゼラッタとは裏腹に、フーガはとてつもなく冷静だった。先刻までの苦痛もどこかへ消え、クリアになった思考は、しかしどこか熱さも纏っていた。


 そうか──これを、決意というのか。


「あたし今、生まれて初めて燃えてるから」


 フーガは、本能で確信する。この体なら、奴を倒せる、彼女を守れる、と。


 今までずっと、生きる理由は"ライアに救われたから"だった。ライアの命と引き換えに生きてしまったから、自分が死んでしまったら、大好きな姉の死まで無意味になってしまう。だから、"生きたい"ではなく"死ぬわけにはいかない"と思って、フーガは惰性のぬるま湯の中で生きてきた。


 だけど、今は違う。この手で為せることがある。いや、為したいことが。


 そう。魂の奥底が、燃えているのだ。

 

「っ、ええいっ……耳が生えたからなんだと言うのだ!? それよりも、やはり貴様らは魔女だったな!! 神に代わり、今すぐ地獄に送ってくれる!!」


 異常な現象を次々と目にしながらも、騎士の男は果敢に剣を握り直し、高らかに宣言した。そして地面を蹴って、ぼうっと立ち続けるフーガに先制攻撃を仕掛けた。


(バカめ、背中がガラ空きだ! 取ったァ!)


 騎士は、フーガの背中目掛けて剣を振り下ろした。


 技術も経験も、絶望的な差がある。結局のところ、フーガでは絶対に、彼には勝てないのだ。


「……え?」


 ぱきん。


「へえ。すごいな、この爪」


 ──それは、"フーガがただの人間だったら"の話なのだが。


「ええ……剣、折れ、え……?」


 木の棒のようにあっさり折れた刃を見て、騎士は間抜けな裏返った声を上げた。


「じゃ、いくよ。あんたの歯も折ってやる」


「!?」


 右半分がぎこちない仕草でありながら、フーガはゆっくりと、騎士の元へ歩いて行った。


(お……落ち着け! 攻撃はまぐれで凌がれたが、私の方が強い……鎧で、受ければ……っ!)


 右手を振り上げたフーガを見て、脳内で的確に言語化しながら、騎士の男は左腕の手甲を前に差し出した。


「はああッ!!」


「くっ!?」


 カァンッと、皿を割ったような金属音が響く。しかしフーガの爪による斬撃を、騎士は経験に基づく堅実なガードで防いで見せた。手甲に傷はついたが、本体にダメージはない。


(素人め! 動作で次の攻撃が丸わかりだ!)


 勝てる。初撃はまぐれだ、自分が負けるはずがない。騎士はそう信じ込み、ニヤリと笑みを浮かべた。


「……へ?」


 笑えない事態は、すぐにやってきたのだが。


「あつっ、あっつぅぅ!?」


 燃えた。手甲が燃え──金属の手甲が、燃えた!? 咄嗟の出来事にパニックになりながら、騎士は慌てて手甲を取り外して地面に投げた。直後、赤い炎に包まれた手甲は、跡形もなく炭になった。まるで木片か何かのように。


「次、行くけど?」


「ひっ!? あっ──」


 背筋が凍りつくような、死の宣告。騎士が間抜けな声を上げた時には、もう遅かった。


 神速。見切るのは不可能な、赤い一撃。


「あがあっ!?」


 フーガの爪撃そうげきは、そう形容すべき代物だった。騎士が胸に纏った鎧が、まるでゼリーのように感じられた。そしてその爪は、敵の血肉を確かに切り裂いた。


 無力だった少女は今夜、強大な敵を容易く討ち取り、証明した。生まれ変わったことを。


「っ、ぐ、ぐうぅ……!!」


 だが、深手には至っていなかった。倒れた騎士の男は、地面を這うように──腰が抜けたのだろう──フーガからそそくさと離れ、必死な形相で汗を垂らして逃げていく。


「ダメですよ」


「ひ、ひいっ!?」


 繊維喪失した彼の逃げる先に、しかしリゼラッタが立ちはだかった。


「良いですか」


 リゼラッタはゆっくりとしゃがみ込み、男と目線を合わせて、アメジストのような瞳で彼をまっすぐ見つめた。


「あそこの小さい女の子。あの子がここにいたことは、絶対に秘密にしてください。誰にも言わず、何も追及せず。八つ当たりや復讐なんてもっての外です」


「は、ひ……?」


「もしこの約束を破ったら、さっきあの猫ちゃんが受けてた苦痛……あれをあなたにも味合わせます。今度は永遠に。私が死んでも、世界が滅んでも、ずーっとずーっと苦しみ続ける呪いです。それが嫌なら、あの子を見なかったことにしなさい」


 男の目をじっと見て、リゼラッタはゆっくりと語りかけた。彼がペナルティの地獄を、はっきりとイメージできるように。


「あ、ぁ…………はぃ、は、ひぃぃ!!」


「それじゃ、おやすみなさい♡」


「へ……?」


 良い返事に対して、リゼラッタは振り上げた拳を返し。


「……意外と乱暴だね、あんた」


 騎士を気絶させる一部始終を見届けたフーガは、リゼラッタにそう言った。


「ええ、恐ろしい魔女さまですから。そうだ、きみのお名前は?」


「名前? ……フーガ。姓はない、そういう地域で生まれた」


 立ち上がったリゼラッタの、急すぎる問いかけに困惑しながらも、嘘をつく理由もないフーガはそう答えた。


「そうですか。では、きみは今日からフーガ・リゼット。私の眷属として、そう名乗ってください」


「は? さっきも眷属とか言ってたけど、あれってどう、いう」


 視界が回る。違う。あたしが回ってるんだ──。


「あらら」


「……っ」


 鈍い痛み。どうやら自分は、地面に無様に倒れ伏したらしいと、フーガは遅れて理解した。頭がくらくらして、同時になんだかとても眠い。


「頑張りすぎて疲れたのでしょう。今はゆっくり休んでください」


「……あ、んた……も、なまえ…………」


 限界を迎えながら、フーガは曖昧な言葉で問いかけた。


「私はリゼラッタ。"魔女狩り狩りの魔女"。これから末長く、よろしくお願いします」


 そう言いながら、リゼラッタはまた、上品に笑うのだった。

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