#5「過去を悔やむ、今を変える」
フーガは、魔女狩りが横行するこの国の人間ではない。かつて、異国で戦火に巻き込まれ、両親を失ってから、この国に流れ着いた移民であった。
先天性の麻痺により満足に歩けないフーガが、親のいない身で生きていられた理由は一つ。
「フーガ。今日のごはんだよ」
5つ上の姉、ライアの献身であった。フーガと似た、火の粉のような赤毛。それでいて天使と見紛うほどの美人で、フーガの憧れだった。
「お姉ちゃん……腕、どうしたの?」
野良犬も寄りつかない暗い廃屋街の隅っこで、幼いフーガは彼女の腕を見て尋ねた。
10代の少女にはとても似合わない、鞭で叩かれたような痛ましい紫の痣を見て。
「ちょっと、カラスに襲われちゃって。でも大丈夫! 全然痛くないからね」
フーガは幼い頃から賢かった。子供騙しの嘘を、見抜けるくらいには。
だから、赤茶色の髪を揺らして無理に微笑むライアの顔を見るのが、いつも辛かった。
彼女の笑顔は大好きだ。世界でいちばんの姉だ。
だけど、彼女を無理やり笑顔にさせる自分を、フーガはいつも恨んでいた。
半年ほど経って、二人はある村に辿り着いた。天災で村人の多くを失い、とにかく女でも流れ者でもいいから人手が欲しい、といった様子の村だった。
そして、その村のある地主が、二人を養子に迎え入れた。盗みをしながらの生活にも限界が来ていた二人にとって、すがるしかない最後の希望だった。だけどそれは、かつて"本当の"4人で過ごした、あの家庭とは違っていた。
フーガの仕事は、家の中での炊事や裁縫だった。丸々と太った義母に、重箱の隅をつつくように叱られながら、ことあるごとに木の棒で手を叩かれた。
だけど。痛かったけれど、フーガにとって本当に辛かったのは、自分への仕打ちではなかった。
窓の外をふと見ると、姉の姿が見えるのだ。華奢な体でありながら、広大な農地をその手で耕す姉の姿が。
自分一人だけなら、他にいくらでもマシな生き方があったはずの、彼女の働きぶりが。
綺麗だった手にまめを作りながら、白い肌にだらだらと汗を垂らしながら、それでも文句の一つも言わずに働く、その様が。
そして、深夜になると聞こえるのだ。義父がこっそりと入って行った部屋から、ぎしぎしとベッドの軋む音が。
奴隷に近い立場のフーガとライアに、わざわざ個別の寝室を与えてくれた理由を知って、フーガは静かに泣いていた。
「……はっきり言ってよ。あたしのせいだって」
ある日、義両親が家を留守にしている時に、フーガはライアの目を見て言った。
「フーガ? 何のこと?」
「普通考えるでしょ!? 一人ならとっくに自立して生きていけてた! あたしがいたからこんなことになってる! あたしの面倒まで見ずに済んでたら……ここまで落ちぶれることは、なかったはずだって!」
泣きながら、生まれて初めて、大切な姉に対して怒鳴った。もう限界だった。苦しい暮らしに対してではない。大好きな姉に無理をさせ続ける、無力な自分に対してだ。
「正直に言いなよ! あたしのこと憎んでるって! 死んで欲しいって!!」
だから、ライアがはっきり言ってくれたら。全部お前のせいだと、お前なんていらないと。
そう言ってくれたら、そうだねと頷いて、死ぬことだって出来たのに。
「違う。違うよ、フーガ」
それなのに、彼女はフーガをぎゅっと抱きしめた。
「逆だよ。こんな厳しい世界で私が生きていけるのは、フーガがそばにいてくれるから。きみと話すときだけは、きみに触れてるときだけは、私は生きたいって思えるの。どんなに辛い目に遭っても」
──ああ、そうか。
「だから、お願い。憎むとか死ぬとか、そんな悲しいことを言わないで」
──あたしが間違ってた。抱き寄せる腕の、この熱を感じて分かった。彼女に伝えるべきなのは、こんな八つ当たりのような言葉じゃない。
「………………うん……ありがとう」
伝えていこう。明日から、愛するこのひとに、何度でも何度でも。
「西の国から来た、移民の子を養子に取ったという話は本当ですかな? 先日、同じ国から亡命した女が魔女だと発覚しました。その子供も魔女である可能性が高いのです」
翌日だった。家に押しかけてきた教会の聖職者の男が、義両親にそんな話をしたのは。フーガとライアは、奥の部屋から玄関先でのその会話を盗み聞いていた。
移民のフーガは、この国で厚く信仰されるこの宗教──十天教を、きな臭い教えだと思っていた。
だが同時に、思考と協和を武器に生きる人間を讃美し、善行を肯定するその教義自体には、一定の好感を持っていた。あたしも頑張りゃ天国に行けんのかなー、お姉ちゃんは絶対行ってほしいなー、などと考えることもあった。
こんな世界でも、ライア以外にも良い人はいて、救いはあるのかもしれない、と。
「あなたや奥様がたぶらかされてしまう前に、必ずや殺さねばなりません。穢らわしい魔女を」
「おお……ありがとうございます……!」
だから、それを聞いて絶望した。無実の罪で人を裁こうとする、聖職者の狂った目と、彼の言葉を大真面目に聞いて頷きながら、こちらを振り返る義父の姿を見て、心を打ち砕かれた。
この世界は、ライアのように優しくはなかった。
「フーガ、よく聞いて。これを持って、裏の穀物倉庫に隠れて、陽が落ちたらできるだけここから離れて」
ライアは冷静だった。
「お姉ちゃん……?」
「大好きだよ。またね」
「……う、うん」
冷静にフーガを奥へ行かせて、冷静に台所へ向かった。
落ち着いた所作で棚を開けた。
「働き手を失うことについては、お気の毒ですが」
「いえ、あんなクズいくらでも代わりはいます……ああ、ライア! 話があるんだ。教会の方が身寄りのない子を引き取っているらしい。ここよりずっと良い暮らしができるぞ〜?」
父親は、小声で聖職者に冷酷な返事をした後、ライアを見つけると、すぐに気持ち悪い笑顔を取り繕った。ライアとフーガが一部始終を聞いてしまっていたことには、気づいていないらしかった。
「……かひっ?」
そして、直後。ライアは彼を、かつて人間だったものにした。
「き、貴様ッ! 待てッ!!」
刃物で首を裂かれ、生命活動を停止した父親をよそに、聖職者は後退したライアを追う。
「うわあああああああっ!? がっ……!?」
騎士に捕まる前に、ライアは義母の部屋へと駆けた。事情を知らない、備えが出来ていない太った女など、赤子を捻るように仕留められた。
「…………!!」
穀物小屋の壁に開いた小さな穴から、フーガはその全てを見てしまった。
大好きな姉が、恐らく自分のために、殺人鬼となったその瞬間を。
(………………ダメだ………………あたしが今出て行って何になる? お姉ちゃんの行動を………………無駄にしちゃ、駄目………………)
杖を抱きしめながら、フーガは隠れ続けた。そして夜、逃げ出した。
逃げないと。生き延びないと。ライアの言う通りにしないと。でないと、ライアの覚悟が全て無駄になる。そう信じて、フーガは逃げた。逃げることしか、足の悪い彼女にはできなかった。
だけど、それで終われるほど、フーガは屑ではなかった。
家に引きこもっていたのもあって、死んだ両親以外の村人は、自分のことを知らない。自分のことは教会には漏れていない。恐らくライアも、そのために二人を刺したのだろう。
隠密行動ができる。
だから、今度は自分がライアを助けるんだ。丸一日迷った末に、そう決めた。
そうして次の夜、フーガは杖を必死について走った。教会の聖堂へと。
「………………え」
聖堂の隣の敷地にある広場。そこにある石の十字架と、縛り付けられた華奢な人影。
一瞬見えたアザだらけの顔は、それでも美しいあのひとのままだった。
「……が」
最期に、そう聞こえた気がした。
めらめらと燃えて、フーガは膝をついて。
その後どうなったかは、よく覚えていない。
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どうして今、姉のことを思い出したのだろう。教会騎士に剣の切先を向けられてようやく、フーガは走馬灯のような夢想から現実に戻ってきた。
そうだ、思い出など振り返っている場合じゃない。この騎士は自分の首を取る気だ。嗜虐的なその笑みが、容赦など期待してはいけないことを教えている。
反撃するか、逃げるかしなければ。でなければ、テロリストにして敵である自分には、きっと言い訳の暇すら与えられない。
そして、虚弱なフーガに反撃は不可能であり。足を悪くしているフーガに逃走は不可能であり。
「……クソが」
真っ直ぐ迫り来る、強靭な刃に対してできることと言えば、口を動かすことだけだった。
死ぬ。終わる。ライアに救われた命が。ライアの代わりに生きた命が。こんな簡単に。彼女に何の償いも、何の埋め合わせもできないまま。
生まれて、ここにいる意味もないまま。
「やめてっ!!」
「なっ……!?」
──暗がりの中で、そう聞こえた。何だ? 誰の声だ? フーガは恐怖に閉じた目をゆっくりと開いた。
そこにいたのは、急に地面に倒れた騎士の男と。
「あんたは!?」
「お姉ちゃん……!」
昼間フーガが助けようとした、あの幼い女の子だった。
震えた足で立つ少女と、勝手に倒れたあの男。この場に他の人間はいない。ならば、今何が起きたのかは予想がつく。
「あんた、なんでこんな所に……!?」
予想がつくが、予想外だった。だからフーガは、幼子にそう尋ねた。
「お、おかあさんと、ケンカしちゃって……歩いてたら、お姉ちゃんが」
「馬鹿っ、早く行け! あたしは悪人だ、助けなくていいんだ!」
「違うよ! ひ、昼間は逃げてごめんなさい……助けてくれて、うれしかった、よ……!」
震えた声で、少女はそう伝えた。見た者の心を洗うような、無垢な笑顔と共に。
「……あんた」
ああ、ダメだ。つい気が緩んでしまう。アイツに殺されそうな窮地だというの、に──?
(……アイツは?)
ふと、左を見やる。
それと同時に。
「ぶぐっ!?」
「かああああッ!!」
掛け声と共に、騎士は幼子を思い切り突き飛ばした。
「ふう。貧民風情が、我らの正しき行いの邪魔をするとは。さては貴様も、教会に仇なす魔女か?」
「……!! …………!!」
転がり、うずくまった幼子は、両手で強く口を押さえ。
「っ!!」
その小さな指の隙間から、血を吐いた。
その傍には、根元が真っ赤に染まった、一本の歯が落ちていた。
「神聖な職務に対する明らかな妨害……親もろともたっぷりと償わせてやる」
「…………お前ぇ!!!」
フーガは、喉がちぎれそうなほど叫んだ。
自分が死ぬのはいい。怖いけれど、それを承知の上でここにいるのだから。
だけど、あの子があんな痛みに苦しむのは、間違っている。
優しいひとが傷つくなんて──それは、あの時と同じじゃないか。
嫌だ。力が欲しい。歩く力、走る力、アイツをぶん殴る力。優しさの花を守る力。
「……よこせ……」
「ん? なんだ、反逆者」
「力を、よこせ……こいつを、ぶっころせる、力……!!」
フーガは拳を握り、呪詛のように呟いた。
「くっ、はははっ! ぶっ殺す? 私を、その足でどうやって!? その杖でも投げつけてみるかァ!?」
黙れ。黙れ黙れ黙れ。お前は間違っている。その気持ち悪い笑顔を叩き潰してやる。
力だ。力を、力を。
「力ですか。私ので良ければ、差し上げますけど」
その声に、魂を揺さぶられた気がした。
ふと見上げた視線の先、フーガは彼女と運命の出会いを果たしたのだった。




