5話 野望
男は引き付けられるようにこの場所に来ていた。
微かに血の匂いがする夜中の闘技場。
若者が血を血で洗う命がけの戦闘を行い、それを娯楽とする貴族共が集まる穢れた場所である。
広い場の中、フラフラと中央に進む男。
この男は別に出場者でもないしそもそもここに来たことはない。
では何故、男はこんな嫌な雰囲気が漂う場所に来たのか。それは男自身もわからない。
男は先程から身体を支配され、操られているようだ。
脳まで支配される寸前で、持ち前の精神耐性で耐えているのだ。
実際、これはある者が付け焼き刃の魔術で操っているらしく、昔のこの男なら簡単に無効化できていたのだろう。
「アレに身体を蝕まれたければこの程度耐えられたのに、な」
男は夜空を見上げ、自虐的に笑う。
男を見下ろす満月は、勿論その姿は変えない。
だが、守るべき大切な人を守れず、挙句の果に魔術薬物に溺れ、弱った自分を哀れんだ表情をしている、そう男は思った。
「随分と弱ったもんじゃないか。勇者よ、勇者ハルトよ」
野太い声で語りかける人物。彼の正体を男こと勇者ハルトは知っている。
数年前、魔王討伐遠征で勇者自身が手にかけたはずの魔王だ。
「こうして会うのは何年ぶりかのう。勇者よ」
そういって魔王は笑い出す。しかし、目は笑っていない。
異形の角、冷え切った眼、グロテスクな翼、そしてその恐ろしい笑い声、全て数年前と全く変わらない。
「勇者よ、今ここであの時の怨みを果たしてもよいが、今回ばかりはやめておく」
心底残念そうに魔王が言う。
やめておく、そう言ったが魔王の血のように赤い瞳には、殺意が宿っている。
自分が意識を失い、完全に魔王の傀儡と化せば、簡単に殺されるという意味だ。
「殺されたくなければ、我の言うことに従うことだな」
殺す、か。別にこの世に未練など無い、ある女性がいなくなった今、勇者に生きる意味など無い、そう思った。
ここに来て、死ぬのが怖いか、勇者は自分が哀れに思えた。罪深き自分は、生きるのに意味が無くなったように、自堕落な生活、そして精神安定を求め、薬物に溺れていたのに。
「しかし、かつて我を殺した勇者を操るのも一興。勇者よ我が傀儡よ。我が駒になるがよい。ワハハハハハ」
勇者は魔王の高笑いを聞きながら、なすすべもなく、意識を落とされるのであった。
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