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アルケン家の屋敷を後にした私は、隣にいるベティに、クラドと交わした言葉が事実なのか尋ねてみた。
「もちろんですとも。口のきけない赤ん坊以外はみんな知っていることですよ?」
「……」
ベティの言葉が矢のように胸に突き刺さった。
そんなこと知らなくても生きていくのに支障はないと言いたかったが。
私にだって豆粒ほどではあるが名誉というものがある人間なので、その言葉を口に出すことはなかった。
王宮へと歩きながら、あの日のことを思い出した。
国王との独見の際、彼が冒険に出ていたと言っていたことを。
これまでの情報を総合してみれば、国王が先代勇者の仲間として冒険に出ていたという話は事実なのだろう。
ということは、国王は魔法使いだということだろう。
私は腰に下げている剣に手を添えた。
では、師匠から受け取った剣が本物の聖剣なのだろうか?
聖所にあった剣は何だったのだ?
私の剣は聖所から持ち出したものではないため、聖剣ではないと思っていた。
しかし、周囲から聞こえてくる話を聞いてみると、もしかしたら師匠からもらった剣が聖剣なのかもしれないという気がしてきた。
勇者であることを確定させるためには女神様に会わなければならないというが、初めて女神様に会いたいと思った。
そんな考えに浸っていた時。
私を呼ぶベティの声。
「リエン様! パンを買って帰らなきゃ!」
危うく素通りするところだった。
パンを買うのは非常に重大な事項だ。
悩んだところで問題が解決するわけでもないし。
王都で人気だというパンを一度食べてみなくては。
私は食パンの他にも、他のパンも両手いっぱいに買った。
パンの匂いがあまりに良くて、到着するまで我慢できず、袋からあんぱんを取り出して半分に割った。
片方はベティにあげ、残りの半分は私が持った。
ベティがあんぱんを一口かじって、もぐもぐしながら言った。
「リエン様。クラド騎士のような人はどう思いますか?」
「どう思うかって?」
「結婚相手としてですよ。あのくらいなら立派な旦那様候補だと思うんですけど、婚約者はいるんでしょうか?」
ベティがクラドと?
私は思わず大きな声を出した。
「絶対ダメ!」
「え?」
「ご、ごめん。ベティはもっと良い人に会えるわ。クラドのような男は遠ざけたほうがいいわよ」
ベティと結婚したクラドが想像できない。
「どうしてですか? あのくらいなら顔もハンサムだし家柄もいいのに」
「少し前まで私がクラドと一緒に動いてみて分かったんだけど、夜に他の人が眠れないくらいイビキもかくし、寝癖もひどいのよ」
半分は事実だった。
普段は静かだが、ハードな一日を過ごすとイビキをかいて寝ていた。
誰だって強行軍をすればそうなるだろうが、とにかくイビキをかいて寝るのを一度は聞いたのだ。
「私、そのくらいなら我慢できます。私も時々そうなっちゃいますし」
ベティはその程度は何でもないと言う。
「こんなこと言いたくなかったんだけど……ちょっと耳を」
私はもじもじした末、ええいままよという心情でベティの耳に囁いた。
「クラドはマザコンなのよ」
「そうは見えませんでしたけど……それはちょっと、無理かもしれませんね」
「でしょう? 人は見かけによらないものよ。どこでも言っちゃダメよ」
なぜ私がクラドの寝相が悪いと言ったのか。
なぜ私がクラドをマザコンだと言ったのか。
よく分からないが、なんだか心がそうしろと命じたのだ。
王宮に戻った私たちは、夕食としてパン屋で買ってきたパンを分け合って食べた。
やはり国王様が住む場所だからか、買ってきたパンがどれもこれも美味しかった。
私は席から立ち上がって背伸びをし、テラスに出た。
日が落ちて空を朱色の夕焼けが染めているのだが。
比較的高い場所にあるため、あちこちに人々が集まっている様子がはっきりと見えた。
今日、花火大会が開かれると言っていたが、あの多くの人混みは花火が打ち上がるのを待っている人々だった。
私は体をふわりと浮かせ、屋根の上に登って座った。
花火というものがそれほど綺麗だというなら、見晴らしの良い場所で鑑賞すべきではないだろうか。
それから間もなくして空に闇が降り、月明かりだけが地上を照らす夜がやってきた。
「勇者様、どこにいらっしゃるんですか?」
一緒に花火を見ることにしていたベティがテラスに出てきた。
私は頭を下に向け、ベティを見ながら手を振った。
「ここよ、ここ」
頭を上に向けたベティは、屋根の上にいる私を発見して驚いた声で言った。
「そんなところに、どうやって登ったんですか?」
「こっちのほうがよく見えそうだから。ベティもここに来る?」
「どうやって?」
「こうやって」
その言葉に、私は魔法を使ってベティを空中へと浮かび上がらせた。
「キャアアアーッ」
鋭い悲鳴。
手足を空中にバタつかせるベティ。
「目を開けてみて」
私の言葉に、閉じていた目をそっと開けるのだが。
「うわあ! これ見てください。私、空に浮いてます!」
すぐに適応して体を引き寄せたり動かしたり、今の状況を楽しみさえした。
ヒュウウウウンー
一瞬、強く吹いてきた風にベティのスカートの裾がなびいた。
「キャッー」
そのおかげで、ベティの下着の好みが分かってしまった。
私は彼女を引き寄せて、私の隣に座らせた。
ベティが胸に手を当てながら言った。
「こうしていると、胸がすごくドキドキします」
お尻を屋根にかけて、足が地に届いていない状態。
地に足をつけて生きる人間が不安なのは当然のことだった。
「私もそうよ」
私も最初はベティのように胸が張り裂けんばかりに叫んだ時のことを思い出した。
風属性を教えてやると言って、師匠が私を遥か高い絶壁から突き落としたのだ。
そうすれば風の結び目を感じるようになると言うのだが、私の場合は師匠がいたので何度も挑戦することができた。
「怖いけど、でも楽しいです! ここにいて落ちることはないですよね?」
「さあ、ベティ次第かな」
「そんなのひどいです。まだ結婚もしてないのに。ここから落ちたら幽霊になってでも勇者様の後をついて回りますからね!」
その時。
夜空の上に一条の光が昇っていった。
ピュウーンー
「始まるわ!」
ドーンー
ドドーン!
パパパパッー!
花火が弾けると、空の真ん中で「ドン」という音と共に、赤い光と金色の粉が丸く広がっていった。
星の粉が散り降りてくるような姿に、下に集まっている人々の間から感嘆の歓声が沸き起こった。




