ニーナの叫び
「ニーナ……」
俺は崩れそうになるのを堪えながら、ニーナの豹変に驚愕していた。
どういった理屈からか、ニーナの腰まで伸びていた銀髪は首元辺り程度の長さの紅色に変わり、瞳の色も澄んだ黒から怪しげな紅に変貌している。
「おいおい、なんだこれは」
2階に繋がる穴から顔を出したのは、魔人種の男だ。
「ウーノ様、ここは一度引くべきかと」
ウーノと呼ばれた魔人種の男の、隣に寄り添う魔人種の女が、そう提案した。
「確かに、権能を発現した吸血種とはやりあいたくねえなあ」
ウーノはそう言って頭をがしがしと掻いた。
どうすっかなあって表情だ。
「逃ガサナイ」
「あ?」
いつもと違う口調で呟いたのはニーナだ。
ニーナはその場で軽く膝を曲げ、そして次の瞬間……消えた。
ドンッ!!
先ほどまでニーナがいた場所の真上に、なかったはずの穴が空いている。
ニーナはジャンプして天井をぶち抜き、2階に上がったのだ。
「はは……とんでもないな」
2階から爆音が響き、ぱらぱらと埃が落ちてくる。
こちらからは空いた穴越しでしか見えないため、戦況がどうなっているか分からない。
ここで逃げることも出来る。
だが本当にそれでいいのか?
……いや、何ばかなことを考えている。俺が今から行って何が出来るって言うんだよ。また、ニーナの足を引っ張るだけじゃないのか。
「……また、言い訳かよ」
俺はこの場を逃げる理由を探している。本当に情けない男だ……ミリィに出会って、決めただろう。踏み出せなかった一歩を踏み出すと。
なら、今がそのときじゃないのか!
「情けねえままで……いいわけねえだろっ!」
震える心を咆哮によって誤魔化した俺は、2階へと向かう。
ニーナみたいにダイナミックな移動はできないので、普通に階段からだ。
ようやく俺がたどり着いた時、そこは酷い有様だった。
「燃え盛れ──《デア・フレア》」
「ガァァァァアアアアアッ!」
魔人種の魔術により、炎が生み出される。
ニーナはそんなのお構いなしとばかりに周囲を駆け巡る。その速度は尋常ではない。速すぎて目で追うことすら難しい。
魔人種はどいつもこいつも怪我を負っている。
それに対して、ニーナは無傷だ。ニーナも攻撃は食らっている。しかし、次の瞬間にはすでに傷が消えているのだ。
高速治癒。吸血種の権能開花により得られる恩恵の一つだ。
どんな攻撃にも怯まず突き進む様はまさしく鬼神。
俺は悲鳴のような叫びを上げながら戦うニーナを見て、焦燥感に襲われた。普通の状態ではない、戦いに酔っている。暴走と言い換えてもいい。
「ちぃっ!」
ウーノは自身の出血でできた血溜まりを足で踏み、その血で即席の魔法陣を書き始めた。
「燃え盛れ──《デア・フレア》!」
足元の魔法陣も続けて発動する。
生まれた炎は、さらに膨張し部屋を埋め尽くす勢いで広がる。まさに炎の嵐といった感じだ。
(魔術の同時発動だとっ!?)
魔術を発動させる方法は主に二つ。
詠唱か、魔法陣かだ。
前者は即効性と確実性に優れ、後者は設置できる上に並列で展開できるという利点がある。
戦闘中に二つの術式を平行して練り上げる腕前は見事の一言。才能ではない、努力によってのみ身につく技能だ。
ウーノと呼ばれた男は相当に腕が立つ。だが、しかし……
「無傷!?」
覚醒した化け物の前では、児戯に等しい。
ウーノの叫びが聞こえる。
確かに直撃した。ゆっくりとその身を焦がしたはずだ。
それなのに、炎の嵐からでてきたのは前と変わらないニーナの姿だ。
「化け物がっ……!」
魔人種の1人が呟く。
そして……そいつの首が飛んだ。
神速の蹴りが頭をサッカーボールか何かのように蹴り飛ばしたのだ。
よく見れば、魔人種の人間で立っているのはすでに3人しかいない。
地面のあちこちにべったりと付いた血が、何があったかを物語っている。
「ウーノ様! 退きましょう!」
「馬鹿っ! 今背中を見せたら殺される! やつの権能が切れるまで持ちこたえるんだ!」
魔人種たちは既にその戦意を喪失しつつある。
それでも、足掻き続けるのは生への執念からだろう。
構える魔人種の両手に魔弾が生成される。
「食らえっ!」
勢いよく放たれた魔弾はニーナに向かって飛ぶが、その高速の動きに的を絞れずにいる。
あれなら広範囲に広がる炎系の術式を使うべきだろう。
グチャッ!
選択をミスった魔人種の体をニーナの抜き手が貫通する。
「ぐ、ふッ……ウーノさ、ま……今、で……」
その魔人種は、口から激しく吐血しながらも、ニーナの腕をがっちりと掴んでいる。
死を前にしてなお、その戦意はいささかも衰えていない。
そして、その一瞬の拘束を無にしないため魔術を即座に唱えたのは、ウーノだ。
「切り裂け──《デア・リッパー》!」
魔力の刃がニーナの首に迫る。
身動きの取れないニーナは、それを受けるしかないと思われたが……
……ザンッ!
ニーナは抜き手を放った『自身の腕を自ら切り落とし』、魔術を回避する。
「……なんだそりゃ」
ウーノの呆れ声。
切り離したはずのニーナの右腕。
切り離してから数秒後にはすでに新しい右腕が生え揃っていた。
「ここまでの怪物とはな……だが、これでどうだ?」
ニーナの足元で魔法陣による魔術が発動し、粘土状の土がニーナの足を覆って移動を制限する。
その時だ、ニーナの髪が唐突に元の銀色へと戻り始める。
「ウッ……ガ、あ」
ゆっくりと、その殺気を萎めていくニーナに……
「ははっ、ちょうど時間切れみたいだなあ、怪物さん……ツキがなかったと思って逝けや」
ウーノはそう言って、素早く接近する。
髪の色が元に戻った……つまりは権能の効果時間が切れたのだ。
今、攻撃を食らうと、その傷をニーナは回復できないッ!
「弾け──《フリッカー》」
気付いたときには飛び出していた。
ドン! と凄まじい打撃音と共に、俺は衝撃を食らう。
ニーナとウーノの間に入り、文字通り体を張って攻撃を肩代わりすることに成功するも、その代償は大きい。
内臓をやられた。肋骨も折れているかもしれない。俺は激痛に顔をしかめながら、吐血する。
「なんだ……まだいたのかよ下種」
「ご、ふっ……」
いちゃ悪いかよ、と悪態をつきたいところだったが出てきたのは血と情けない吐瀉音だけだ。
「し、しょう……なん、で……」
後ろでニーナの弱々しい声が聞こえる。
お前は黙ってろ。
後2人くらい、俺が始末してやるからよ。
「失せろ、人類種」
衝撃。
俺は体ごと吹っ飛ばされてから、蹴られたのだと気付いた。単純な身体能力ですら、こいつらに劣っている。
ウーノは地面に転がる俺に見向きもせず、ニーナにと視線を向ける。
「さて、回収するか……予想以上に被害でちまったな」
「仕方ありません。これで鬼人種が手に入るなら、むしろ安い出費と言えます」
「……それなら、死んでいった奴らにも申し訳が立つ、か」
「はい」
ウーノの手がニーナに迫る。
「触るな……魔人種」
震える足を殴りつけて、俺は立ち上がる。視線で殺すとばかりに睨みつけながら。
このまま黙って、ニーナを引き渡す訳にはいかねえんだよ。
「はぁ……なあ、お前。自分が場違いだってことに気がついていないのか? だとしたら人類種とやらはどうやら頭の出来まで悪いようだな」
「うる、せえ」
なんとか悪態をつく俺にウーノは、
「なぜ勝てないと分かってなお、立ち向かう?」
と、心底バカにした顔で問いかけてくる。
なぜだって? 決まってんだろ……
「……俺が弱ぇことは、そいつを見殺しにしていい理由には、ならねえんだよぉっ!!」
勝てないから、戦わないのか?
それはもうしないと誓った、ただの逃げだ!
叫び、駆ける。
それに対し、ウーノは……
「遅すぎる」
呟きと共に振るわれた拳が、俺の顔を捉える。
「がはっ!」
思わずよろける俺にウーノの拳が畳み掛けてくる。顔、腹、腕、胸と体中に痛みが広がっていく。
ウーノはただ殴っているだけだ。相手にすらされていないと、瞬間的に悟る。
気付けば俺は地面に突っ伏し、体を丸めていた。
「身の程を弁えろ、十三位。お前にできることなど何もない」
ウーノはそう言って、俺への興味を失ったのか再びニーナに手を伸ばす。
…………ガシッ
「……なんの真似だ」
遠ざかるウーノの手がニーナに届くその前に……俺は、ウーノの足首辺りを強く握り、その動きを止める。
「まだ、だ」
俺はまだ、戦える。
心も体もまだ折れてなんかいない。だから、まだ戦える。
「師匠、もうやめてッ」
ニーナの泣きそうな声が聞こえる。
ニーナは立っていられなくなったのか、その場に膝をついている。
一瞬……地面に無様に転がる俺と、膝をついたニーナの視線が、交差する。
ニーナはその潤んだ瞳で訴えるのだ……逃げてくれ、と。
激痛でまともにしゃべることすらできない。
最初の攻撃で内臓も痛んでいる。もしかしたら、すでに致命傷を受けているかもしれない。
それでも、俺は……
……次の瞬間、視界が暗転し……俺は気絶した。




