3-17.子爵邸
サウザンド国へ向かう旅も十日目を迎えていた。
あの日から私は休憩や宿泊地でアルティナ様とお話をするようになり、少しずつ仲良くなれていた。
反比例するようにリオン殿下とは話す機会が少なくなっていた。
アルティナ様と仲良くなるにつれて、自分の感情が後ろめたく感じるようになり、殿下と話す度にアルティナ様の笑顔が浮かぶようになってしまったのだ。
アルティナ様は敵じゃないと仰ってくれたけど、"政略"と仰っていた。それはつまり、恋仲では無いけど政略結婚されるということ。
二人の間に例え愛情がないと言っても、邪魔をするようなことがあってはならない。
そんなことを考えていると、馬車は今夜、宿泊予定のソジュール子爵邸へと到着した。
サウザンド国への旅路はただの移動だけではない。農地や国の施設など各地の視察も兼ねていて、王子二人の素養を養う公務なのだとよく分かる。
子爵邸の前では当主であるソジュール子爵と、その家族や使用人たちが整列していた。
王族を迎えるための正式な出迎えだ。
だが、馬車を降りた途端、苛立った声が響く。
「だから少しは自覚を持て!」
馬車から降りてきたアレン殿下は明らかに機嫌が悪かった。
その後ろから降りてきたマリアンナも同じだ。
「私だって疲れているのです!」
「なら少し黙っていれば良かっただろう!」
「どうして私ばかり責められるのですか!?」
二人とも声を抑える余裕すらないらしい。
慣れない環境での長旅による疲労に、積み重なった不満が限界に達しているのだろう。
理解はできるが、出迎えの場でやることではない。
ソジュール子爵も困惑したように目を瞬かせていた。
「で、殿下……」
恐る恐る声を掛けた子爵へ、アレン殿下は不機嫌そうに言い放つ。
「疲れているんだ。挨拶は後にしろ!
早く部屋へ案内してくれ」
子爵夫人は露骨に顔を引き攣らせ、使用人までも固まっていた。
その様子に私も思わず眉を寄せる。
前世でもそうだった。アレン殿下は思い通りにならない状況が嫌いだ。そして不機嫌になると周囲へ当たる。立場ある者として最悪の癖だった。
「申し訳ありません」
場を和ませるように穏やかな声が響く。リオン殿下だ。
「兄上は長旅で疲れているようです。ご無礼をお許しください」
ソジュール子爵はほっとしたように笑う。
「いえいえ。旅の疲れは当然でございます」
ようやく場の空気が和らいだ。リオン殿下は何事もなかったように微笑み、そのまま子爵一家と言葉を交わし始める。
だがその横でアレン殿下は面白くなさそうに鼻を鳴らしただけだった。
その夜、ソジュール子爵邸では使節団を歓迎する晩餐会が催された。
王都から訪れた王族や貴族をもてなすだけでなく、地方貴族にとっては子どもたちを高位貴族へ紹介する貴重な機会でもある。
特にソジュール子爵家には一人の令息と三人の令嬢がいる。
将来を見据えれば、このような場で王都の貴族と顔を合わせることには大きな意味があった。
晩餐会の席も、それを考慮して決められているようだった。
リオン殿下とアレン殿下、そしてマリアンナは上座へ。
ソジュール子爵夫妻と子どもたちが同席し、歓談しながら食事を進めている。
一方、私はクリステール様やロアン様、アルティナ様、そしてルイと同じ卓へ案内された。
公爵家や侯爵家の人達の中に伯爵令嬢である私がいるのは少し場違いな気もしたけれど、王子の婚約者の姉への配慮だろう。
それに、知らない人の中に入るより見知った顔が揃っているだけで随分気持ちは楽だった。
「久しぶりだな、ミレイナ」
隣に座るルイが、いつもの気さくな笑みを向ける。
「久しぶり。ルイ、少し日に焼けた?」
「ああ。護衛で外にいることが多いからな」
そう言って肩を竦めた後、ふいに身を乗り出して声を潜めた。
「そういえば、あの後、リオン殿下の馬車に乗せてもらったんだって?」
「えっ!?」
思わず声が裏返る。
周囲を見回すと、幸い誰にも聞こえてはいないようだった。
「どうして知ってるの?」
「護衛担当だからな」
ルイは悪戯っぽく笑う。
「そっか。そうだよね……」
確かに隠せる話ではない。
「馬車酔いが酷くて、殿下が気を遣ってくださったの」
「そうか」
ルイは茶化すことなく頷いた。
「あれからはもう酔ってないのか?」
「うん。ちゃんと寝るようにしたら酔わなくなったわ」
「もしまた酔ったら、今度こそ俺の馬に乗せてやるよ」
「あはは。でも、それはちょっと楽しそう」
「じゃあまた機会があれば」
「うん」
「お二人は本当に仲がよろしいのですね」
そう言ってアルティナ様が優しく微笑んでいる。
「確かルイス様とミレイナは幼い頃からのお知り合いなのでしょう?」
「はい。家族ぐるみの付き合いで」
「羨ましいですわ。そういう信頼関係は、一朝一夕では築けませんもの」
「そう言われると何だか少し恥ずかしいです」
そんな何気ない会話を交わしながら口にした料理は、どれも絶品だった。
前世ではこの宴を楽しむ余裕なんて無かったけれど、子爵家特産の魚料理、香草を使ったスープ、焼き立てのパン。
美味しい料理に私の頬は自然と緩んだ。
「食べ過ぎると太るぞ」
ルイがいつものように揶揄ってくる。
「ルイス様、乙女の気を引きたいからってそんなこと言っていては幼子と同じですわよ」
「ペルシャンティ公爵令嬢……」
いつもは勝気なルイが打ち負かされている姿に思わず頬が緩む。
「ふふっ」
「ミレイナまで!」
三人で話していると、反対側からくすりと笑う声が聞こえた。クリステール様だった。
「いつの間にか皆さん、すっかり仲良しですね」
「これが仲良く話しているように見えるか?」
「剣技では敵なしのルイス殿も女子には勝てないということですね」
クリステール様は楽しそうに目を細める。
「クリス!」
ルイが声を上げると、四人で笑い合う。
その時だった。上座の方から、鈴を転がしたような女性の笑い声が聞こえた。
「アレン殿下は素晴らしいですわ!」
ソジュール子爵家の長女だった。彼女はワインを注ぎながら、アレン殿下へ笑みを向けている。
「こちらの魚料理はいかがでしたか?」
「あぁ美味しかった」
アレン殿下も社交用の笑みを浮かべて答える。その様子を見ていたマリアンナの表情が、少しずつ曇っていくのが遠目にも分かった。
それでも令嬢は話を続ける。
「この後、良かったら庭園も案内させてくださいませ」
「あぁ、楽しみにしているよ」
その一言に、マリアンナは耐え切れなくなったのだろう。勢いよく立ち上がる。
「酷いですわ!」
食堂中の視線が一斉に集まり、アレン殿下が眉を寄せる。
「どうしてその方と、そんなに楽しそうにお話になるのですか!」
「何を言い出す」
「ずっと笑っていらしたじゃありませんか!」
静まり返った会場では、そのやり取りがはっきりと聞こえてしまう。
子爵夫妻もどうすべきか分からず困惑していた。
周囲の使用人たちも視線を伏せ、見て見ぬふりをしている。
「マリアンナ、お前の気にし過ぎだ」
「ですが、殿下——」
「今はそういう話をする場ではない」
低く抑えたアレン殿下の声。私には分かる。あの声はもう話すな。これ以上、踏み込むなという意味だ。だけど、マリアンナは引き下がらない。
「私はあなたの婚約者なのですよ!」
その一言で、アレン殿下の表情から笑みが消えた。
「……私は先に失礼する」
椅子を引く音が静かな食堂へ響く。
「残りは部屋へ運んでくれ」
それだけ言い残し、アレン殿下は足早に会場を後にした。
「で、殿下! お待ちください!」
マリアンナも慌てて後を追う。
アレン殿下とマリアンナが去った後、広間には何とも言えない空気が流れていた。
先ほどまで響いていた楽しげな笑い声は消え、皆どこか遠慮がちにグラスを傾けている。
そんな中、リオン殿下だけは変わらなかった。
「兄上は今日、気がたっているようでして、申し訳ない」
穏やかな笑みを浮かべながらソジュール子爵夫妻へ言葉を掛ける。
「皆様のお心遣いには、心より感謝しております」
その一言だけで、張り詰めていた空気が少しずつ和らいでいく。実に王族らしい振る舞いだ。
殿下は今の自分にできることをされている。
(私は……)
自然と廊下の方へ視線が向く。
王妃の依頼もあるが、それ以上にマリアンナは家族だ。このまま放っておくことはできない。
私は小さく息を吸うと、隣のアルティナ様へ顔を向けた。
「アルティナ様、少し席を外してきます」
アルティナ様はすぐに察したように頷く。
「マリアンナ様も、きっと不安なのでしょうね。どうか、傍にいてあげてください」
アルティナ様は責めることなく、小さく微笑む。
「ありがとうございます。少し話をしてきます」
「行ってこい。こっちは気にしなくていい」
ルイも穏やかに微笑んだ。
「こちらのことは気にしなくていいわ」
「お任せ下さい」
三人に頭を下げて席を立つと、私はマリアンナが出て行った廊下へ足を向けた。




