3-18.姉妹
宴会場を出ると、屋敷の廊下は昼間とは違う静けさに包まれていた。
窓の外では夏の夜風が木々を揺らし、庭先のランタンが柔らかく灯っている。
その先に、見覚えのある後ろ姿が見えた。
「マリアンナ」
声を掛けると、妹はぴたりと足を止める。
けれど振り返ろうとはしない。
「……お姉様まで私を笑いに来たの?」
幼い頃から何かが上手くいかなかった時によく聞いた拗ねたような声だった。
「笑いになんて来ていないわ」
ゆっくり歩み寄ると、マリアンナは泣いていた。
「アレン殿下にあの子がずっと話しかけていたの」
あの子とは、きっとソジュール子爵令嬢のことだろう。
「お酒を勧めて……あんなに近付いて。婚約者がいるって知っているはずなのに」
悔しそうに唇を噛み締めるマリアンナの言葉に、私は静かに息を吐いた。
食事中の光景を思い返す。確かに子爵令嬢は、アレン殿下へ積極的に話しかけていた。それは回帰前と変わらない光景だ。前世の私はアレン殿下に何の感情も無かったから、何も思わなかったけれど……。
今はマリアンナの気持ちが少しはわかる。宴の場では見ないようにしていたけれど、ソジュール子爵の次女はリオン殿下の隣にピッタリと付いていた。
婚約者がいるアレン殿下に対してあのアピールなのだから、リオン殿下にはもっと猛烈なアピールがされているだろう。
そう想像するだけで胸が苦しくなるのだから、実際に目の当たりにしたマリアンナは辛かっただろう。王族の婚約者としては相応しくないとしても、家族である私だけは彼女の気持ちに寄り添いたかった。
「……辛かったわね。
婚約者に対して明らさまなアピールをされて嫌な気持ちにならない女性なんて居ないわ」
私がそう言うと、マリアンナは堰を切ったように泣いた。
「うぅっ」
泣きわめく妹は、あどけない少女の頃から変わらない。
もし、彼女が王子の婚約者でなかったら、この嫉妬心も「可愛い」で済んだのかもしれない。
「私だって……もっと上手くやりたいのにっ……。全然っ……出来なくて……」
泣きながら訴える姿は、少し幼くも見える。
けれど、その気持ちは理解できた。
大切な人が他の異性と親しく話している姿を見れば、不安になる。
それ自体は、決しておかしなことではない。
「その気持ちを抱くことは悪いことじゃないわ」
マリアンナが驚いたように私を見る。
「え……?」
「マリアンナの気持ちはよく分かるわ。だけど、あの場で声を荒げてしまうと逆効果だわ」
「どうして?」
「アレン殿下は王族だから、王族は民の見本でいなければならない。皆の前で騒ぎを起こしてしまうとアレン殿下の評判を落とすことになるからよ」
「……」
「ソジュール子爵令嬢が気に食わないかもしれない。けれど、彼女たちもこの日のために何日も前から準備をしてくださったはずよ」
「……」
「子爵令嬢が殿下へ話しかけたのも、お客様をもてなす主人の家族としての役目だった部分もあると思う」
「でも、あれは絶対に……!」
「そうね。下心もあったと思うわ」
マリアンナが目を丸くする。
「お、お姉様もそう思うの?」
「ええ」
私は苦笑する。
「婚約者がいらっしゃる方へあれだけ積極的に話しかけるのは、少し節度を欠いていたと思うわ」
マリアンナは少しだけ気が晴れたような表情を見せた。
「……でしょう?」
「そうね」
私は静かに言葉を続ける。
「でも、だからといって、人前で感情をぶつけてしまえば、注目を浴びてしまう。好奇の目線を向けられてアレン殿下はいい気がしなかったはずよ」
「……」
「まずはアレン殿下の立場と彼の気持ちを理解してあげて。王族は社交の場で誰か一人だけを特別扱いすることはできないの」
それは、自分自身に言い聞かす言葉でもあった。
マリアンナはしばらく黙っていたがやがて渋々頷いた。
「……分かったわ」
マリアンナには説教じみたことを言っているが明日は我が身だ。確か前世でリオン殿下はサウザンド国の令嬢からもかなりのアピールを受けていたはず。
それはそうだ。軍事支援してもらうのに手っ取り早いのが婚姻関係になることだ。リオン殿下とサウザンド国の令嬢が結ばれればあちらとしては願ったり叶ったりだ。
それを今回は見なければならない。耐えられる自信が無かった。
私は小さく息を吐くと、気持ちを引き締めるように空を仰ぎ見る。
「それと、今日は国内だから良いけれど、外交では、一つの言葉や態度が、そのまま王家と国の印象になってしまうこともあるからね」
マリアンナは唇を噛んだ。
「……わ、分かってる」
「初めての外交だもの。最初から全部できる人なんていないわ」
マリアンナは俯いたまま、小さく鼻をすすった。
「でも、お姉様ならできるでしょ?」
その問いに、私は少しだけ考えてから答えた。
「私もまだまだ分からないことだらけよ」
「お姉様が……ですか?」
「そうよ。私だって毎日、悪戦苦闘しているの」
そう言うと、マリアンナは笑った。先ほどまでの険しい表情は、ほんの少しだけ和らいでいた。
マリアンナを客室まで送り届けると、私は静かに扉を閉めて、廊下に出た。
(……大丈夫。少し時間を置けば、落ち着くわ)
そう信じるしかない。ベルにマリアンナを任せると、私は再び宴会場へ向かった。
扉を開けると、外交使節や貴族たちは、それぞれに談笑をしている。どうやら席を外している間に立席型のパーティーに形を変えたらしい。
皆が何事も無かったかのように話しているのを見ると、あの一件も”小さな出来事”として流されたらしい。
そのことに、小さく胸を撫で下ろした。
「これはこれは、フェリエール伯爵令嬢」
聞きなれない声に振り返ると、そこにはソジュール子爵が立っていた。
「ソジュール子爵、本日はおもてなし頂きありがとうございます。そして、先ほどは妹がご迷惑をおかけしました」
「いやいや。妹君もお疲れだったのでしょう。それにしても、ミレイナ嬢は噂通りのお人ですな」
「……噂ですか?」
「才色兼備で王族の方にも重宝されているだとか。今回の使節団入りも王妃殿下自ら選ばれたと専らの噂ですぞ」
「もったいないお言葉です」
「いやいや、真実を述べたまでですよ」
子爵はそう言ってグラスに口をつける。子爵の隣では、彼の息子がニコニコと微笑んでいた。
「紹介しましょう。息子のエドガーです」
二十歳前後の青年が一歩前へ出た。人好きする笑顔を浮かべた令息は、いかにも社交界慣れしてそうな好青年だ。
「お会いできて光栄です、ミレイナ様」
「こちらこそ、光栄です」
「ミレイナ様は王都で家庭教師の仕事をされているとか」
彼は私のことをよく知っているようで、家庭教師の仕事や伯爵家の手伝いをしていることを「素晴らしいです」「尊敬します」と言った言葉で褒めてくれた。
けれど、一方的に知られていることにどうしても身構えてしまう。
「少し喉が乾きませんか?」
彼は給仕からグラスを二つ受け取ると、一つを私に手渡した。
「よろしければ、テラスに出て二人でお話ししませんか?」
受け取ると、彼はそう言って空いた手をそっと差し伸べてきた。
差し出された手へ視線を落とす。
(断る理由もない……よね)
そう思って指先を伸ばしかけた、その瞬間。
「探したよ」
いつもより少し低いけれど、聞き慣れたその声に、心臓が跳ねた。
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