1-4.幸せな未来
それから数日後。
私たちは伯爵領を離れ、父が暮らす王都の伯爵邸へ向けて馬車を走らせていた。
伯爵家とはいえ、我が家は決して裕福ではない。
王都に構えている屋敷も、貴族の邸宅としてはこぢんまりとしたものだ。
それでも、家族五人で暮らすには十分だった。
窓の外を流れていく景色を眺めながら、私は小さく息を吐く。
舞踏会まで、残された時間は少ない。
そして私は――。
第一王子と出会わないための準備に追われていた。
(うっかり、殿下に近しい方と話をしてしまって……なんてことになったら困るものね)
第一王子本人と関わらなければいい。
最初はそう思っていた。
けれど、王族ともなれば側近や護衛、侍従など、周囲には多くの人間がいる。
その誰かを介して知り合ってしまえば、私の計画など簡単に崩れてしまう。
そこで私は父に、舞踏会で粗相をしないよう王室について勉強しておきたいと頼んだ。
すると父は快く了承し、王室に関する資料をいくつも手配してくれた。
机の上に積まれた資料を前に、私は一冊ずつ目を通していく。
二王子の婚約者だった頃に叩き込まれた知識が、まさかこんな形で役立つとは思わなかった。
(人生、何が役に立つか分からないものね……)
少し皮肉な気分になりながら、私は第一王子の項目へ目を落とした。
リオン・ノクス・ウィステリア。
ウィステリア王国の第一王子。
けれど、その出自は王妃との間に生まれた子ではない。
国王陛下と、王宮に仕えていた女性との間に生まれた婚外子。
そのため、彼の出自を快く思わない貴族は少なくない。
それでも彼が第一王子として認められたのには、理由がある。
――白銀の髪と紫の瞳。
その二つを持つ者こそ、王家の血を最も濃く受け継ぐ者である。
それが、古くからこの国に伝わるしきたりだった。
白銀の髪だけなら、国王陛下も持っている。けれど、陛下の瞳は碧眼。
白銀の髪と紫の瞳、その両方を持つ王族が現れたのは、何代も前のことだという。
その一方で、王妃殿下との間に生まれた第二王子――アレン殿下は、金髪に赤い瞳。
容姿も王妃殿下によく似ており、王家に伝わる特徴をほとんど受け継いでいない。
それでも、第二王子を王太子に推す勢力は、今も貴族の間に根強く残っている。
理由は単純だった。
王妃の子であること。
そして何より――。
リオン殿下が、国王陛下から十分な寵愛を受けていないこと。
(そういえば……)
前世の記憶が蘇る。
アレン殿下は、ことあるごとにリオン殿下へ突っかかっていた。
人前で嫌味を言うこともあった。
時には、第一王子に対する態度とは思えないほど露骨に無礼を働くことすらあった。
本来なら、第二王子が第一王子にそのような態度を取れば、何らかの罰を受けてもおかしくない。
それなのに、アレン殿下の振る舞いが咎められることは、ほとんどなかった。
王妃殿下が彼を庇っていたからだ。
そして、リオン殿下には――国王陛下からの後ろ盾がなかった。
もし、殿下のお母上がご存命で。
もし国王陛下の寵愛を受け、正式に側妃となっていたなら。
きっと、殿下の立場も違っていただろう。
けれど、殿下のお母上は既に亡くなられている。
「……可哀想なお方」
ぽつりと呟いた。
資料へ落としていた視線を上げる。
そこには、リオン殿下の周囲にいる人物についてまとめられた別の資料があった。
私はそれを手に取る。
まず目に入ったのは――。
クリステール・エルベローズ。
近衛騎士団長を務めるエルベローズ公爵家の嫡男。
リオン殿下の側近の一人だ。
前世でも何度か顔を合わせたことがある。
近衛騎士という肩書きから想像するような厳格さとは少し違っていて、穏やかで柔らかな雰囲気を持つ人だった。
次のページには、宰相の嫡男――ロアン・キャンベル。
そのほかにも、名門貴族の子息たちの名前がずらりと並んでいる。
(……すごいわね)
リオン殿下の周囲には、王国の中枢を担う家の子息ばかりが集まっている。
逆に言えば。
(この人たちには、絶対に近づかないようにしないと)
田舎の伯爵令嬢である私が、そう簡単に彼らと親しくなるとは思えない。
それでも、念には念を。
私は資料に載っている名前と顔を、一つずつ頭に叩き込んでいった。
「……クリステール様。ロアン様。それから……」
何度も確認しているうちに、さすがに疲れてしまう。
「ふぅ……」
背筋を伸ばし、大きく伸びをした。
そのとき。
部屋の隅に置かれた鏡台が目に入った。
鏡の中に映っているのは、私自身。
十六歳の少女。
改めて見ると、前世の自分とはあまりにも違って見える。
(……子どもっぽいわね)
頬も、目元も。
全体的にまだ幼さが残っている。
私は鏡の中の自分を見つめながら、ふと、あの日のことを思い出した。
デビュタントの夜。
アレン殿下は、私よりもマリアンナに目を向けていた。
そして――。
(……そういえば)
あのときの二人の距離感。
マリアンナへ向けるアレン殿下の視線。
そして、私を婚約者に選んだ後も続いていた二人の関係。
(もしかして、あの頃から……)
姉の私に見えないところで、二人は惹かれ合っていたのかもしれない。
そう考えれば、納得できることも多かった。
(マリアンナのほうが、可憐で愛らしく見えるのも無理はないわね)
鏡に映る自分を見る。別に、自分の容姿に自信がないわけではない。
けれど、十五歳の私はどう見てもまだ少女だった。
対してマリアンナは、人の目を惹きつける愛らしさを持っていた。
きっと、アレン殿下には彼女のほうが魅力的に見えたのだろう。
――だからといって。
納得できるわけではない。
(私だって、アレン殿下を好きだったわけじゃない)
一緒にいると疲れる。
何をしても否定される。
王子妃として求められることばかりが増えていく。
正直、苦痛に感じることのほうが多かった。
それでも、寝る間も惜しんで王子妃教育を受けた。
自分の好きなことを諦めた。言いたいことも、やりたいことも、全部胸の奥へ押し込めた。
いつか、婚約者として認めてもらえるように。
そう信じて、必死に生きていた。
それなのに、最後に待っていたのは――あの毒だった。
「……悔しい」
小さく呟く。
好きだったわけではない。
愛していたわけでもない。
それでもらあれほど必死に生きた時間まで、最初から価値がなかったように扱われたことだけは、どうしても許せなかった。
私は鏡の中の自分を見つめる。
そして、ふと考えた。
(もし、叶うなら……)
今度は、恋をしてみたい。
物語のように派手で、誰もが羨むような恋じゃなくていい。
穏やかで、一緒にいるだけで、肩の力を抜いて笑えるような。
自分を偽らなくてもいい相手と、ゆっくり歩いていくような恋。
(第二王子じゃなくていい)
(王族じゃなくてもいい)
せっかく、もう一度人生をやり直せるのなら。
ただ、生き延びるだけでは足りない。
今度は、誰かのために自分を犠牲にするのではなく。
自分の幸せを、自分で選びたい。
(……今度こそ)
胸の奥に、そっと手を当てる。
(幸せになるために、生きてみよう)
そう思った瞬間ら窓の外から、春の柔らかな風が吹き込んできた。
カーテンがふわりと揺れる。
まるで、二度目の人生の始まりを祝うように。




