1-3.記憶
それから私は、療養を続けながら、記憶の中にある十五歳のこの時期を一つずつ確かめていった。
偶然かもしれない。
ただの記憶違いかもしれない。
そう思いたかった。
けれど――。
「ねえ、聞いた? ミアが盗みを働いたらしいわよ」
メイドたちが、記憶の中とまったく同じ噂をしていた。
数日後には父が熱を出した。
さらにその翌日には、執事のジョンが腰を押さえながら、退職の挨拶にやって来た。
「長い間、お世話になりました」
その言葉を聞いた瞬間、背筋が冷たくなった。
知っている。全部、知っている。
いつ、何が起こるのか。
誰が何を言うのか。
まるで私の記憶そのものが、現実をなぞっているようだった。
そこでようやく、私は認めるしかなくなった。
私は死んで、戻ってきた。
それが本当に死に戻りなのか。
死の間際に見た夢なのか。
あるいは、何か別の奇跡なのか。
もう、そんなことはどうでもよかった。
確かなのは一つ。
私の知っている未来が、今も変わらずそこにあるということ。
そして――。
私が何もしなければ……。きっと、あの結末まで同じように辿り着く。
「あれだけは……もう、嫌」
ぽつりと呟いた瞬間。
身体が震えた。
脳裏に蘇る。
毒に焼かれる喉。
力の抜けていく指先。
冷たい床に頬をつけた感触。
そして。
私を見下ろして笑っていた、あの人たちの顔。
「……嫌」
今度は、はっきりと声になった。
「もう、絶対に嫌……」
あんな死に方は。
あんな人生は、二度とごめんだ。
突然奪われた、お母様とルーカスの命も。
何の罪もない私が毒を飲まされ、殺されたことも。
そして――。
愛してもいない相手の婚約者として、自分の心を押し殺し続けた日々も。
全部。全部、変えたい。
「……まずは、記憶を整理しないと」
私はふらつく足で机へ向かった。
椅子に腰を下ろし、目の前に一枚の紙を置く。
冷たい木の感触が、今ここにいる自分を現実へ引き戻してくれた。
ペンを握る。
けれど、指先はまだ震えていた。
インクが一滴、紙の上へ落ちる。
(……落ち着いて)
深く息を吸う。
吐く。
そして、記憶を一つずつ辿っていく。
まず――十五歳の春。
私はマリアンナとともに、王宮主催の舞踏会でデビュタントを迎える。
この国では、十四歳から十六歳ほどの令嬢と、十六歳から十八歳の令息が春の舞踏会で社交界へ正式にデビューする。
若い男女が一堂に会する、華やかな社交の場。
けれど、それは単なる社交界のお披露目ではない。
将来の縁談を左右する、いわば大規模な“お見合い”の場でもあった。
そして、あの年は特別だった。
第一王子と第二王子。
王家の二人の王子が、揃って出席することになっていたからだ。
国王陛下とともに堂々と会場へ現れた第二王子――アレン殿下は、瞬く間に令嬢たちの人垣に囲まれた。
一方、第一王子は、開宴して間もなく姿を消した。
まるで、集まる視線から逃れるように。
そして私は――。
煌びやかな会場と大勢の人にすっかり酔ってしまい、静かな場所を求めて庭園へ逃げ出した。
そこで、第一王子と出会った。
夜風に揺れる薔薇を眺めていた私へ、彼は声を掛けてきた。
不思議な人だった。王族とは思えないほど気さくで。
私が緊張していることに気づくと、ただ優しく笑ってくれた。
『無理しなくていいよ』
あの言葉を、私は今でも覚えている。
あの人の笑顔も。
あの夜の庭園も。
――忘れられるはずがない。
けれど。
あの出会いから、一か月後。
私の人生は、大きく変わった。
なぜか私は、第二王子――アレン殿下の婚約者候補として王宮へ招かれることになったのだ。
それが、すべての始まりだった。
その後の人生を思い出すだけで、胸の奥が重くなる。
そして、最期にアレン殿下から聞かされた言葉。
『お前は、ただアイツを揶揄うための道具に過ぎなかったんだ』
『この祝宴の日の贈り物に、アイツが一番興味を持っていたお前の亡骸を届けるのさ』
あの言葉を、今なら別の角度から考えられる。
私があの夜、第一王子リオン殿下と出会っていなければ……。
リオン殿下が私に興味を持つ?こともないだろう。
そうすれば――。
アレン殿下が私を婚約者候補に選ぶ理由も、なかったのではないか。
ならば。
答えは、簡単だった。
(……第一王子と、出会わなければいい)
あの夜。庭園へ行かなければいい。
人の多い会場から逃げ出さなければいい。
そうすれば、第一王子と出会うことはない。
第一王子に興味を持たれなければ、第二王子に目をつけられることもない。
少なくとも――。
前世と同じ未来へ進む可能性は、確実に下げられる。
(そうよ)
私は、ぎゅっとペンを握った。
(それが一番いい)
第一王子とは関わらない。
第二王子の婚約者にもならない。
王宮にも、できるだけ近づかない。
そして、静かに生きる。
それだけでいい。
そう決めた瞬間、胸の奥に張りつめていたものが、ほんの少しだけ緩んだ。
まるで、暗闇の中に初めて一筋の光が差し込んだようだった。
(……今度こそ、生きてみせる)
私はそう心に決めた。
――まだ、このときの私は知らなかった。
私が「出会わない」と決めたその人こそ。
二度目の人生で、誰よりも私の運命を大きく変える人になることを。




