3-12.書庫室
それから数日後。
王妃から許可を得た私は、カルヴァン男爵に会う前に、王宮書庫室で最新のサウザンド国の貴族名簿をめくっていた。
「……あった」
思わず小さく呟く。
カルベン・ペリーヌ男爵の名前は確かにあった。
どうやら偽名ではなかったようだ。
だけど、実在していることが分かっただけで、詳細は分からない。
(カルヴァン男爵ならご存知かしら……)
私が今回の外交に随行することと、サウザンド国について調べていることを知ったカルヴァン男爵は快く質問に答えてくれた。
「新興貴族、ですか?」
「ええ。いわゆる成り上がりの新興富裕層ですよ。
数年前に爵位を得たと言いますか、爵位を買ったんでしょうな」
「つまりは元は商家ということですか?」
「はい。薬草の取り扱いで財を成した家ですよ。最近ではウィステリアにも店を出しているとか」
(薬草……)
薬草はサウザンド国ではなくてミネルヴァ王国の特産品だったはず。
「サウザンド国でも薬草が取れるようになったのですか?」
「いいえ。確かミネルヴァ産の薬草を取り扱っているのだとか……。最近ウィステリアにも支店ができたはずですが……」
胸の奥で、何かが引っかかった。
ペリーヌ男爵。アレン殿下に近付いた人物。新興貴族。そして、ミネルヴァ産の薬草を扱う商人。
(ミネルヴァとの関係が悪化しているこのタイミングでウィステリアに新店を……?)
違和感を覚えた私はその日のうちにペリーヌ商会について調べることにした。
王都にあるペリーヌ商会の薬舗を訪れた私は、早速店内を見て回った。
店内には様々な薬が管理されていた。風邪薬から軟膏、ダイエット薬、それに媚薬まで。さらに奥にはオーダーメイドで調合するカウンターもあり、どこかの貴族の使用人であろう人物が店員とやり取りをしていた。
「この薬、以前より高くなりましたね」
「申し訳ございません。中に含まれているトーキを始めとする薬草が最近、品薄でして……」
店員の困ったような声。
私は何気ないふりをしながら耳を澄ませる。
トーキはミネルヴァ産の薬草で、確か秋頃に収穫された後に乾燥されて、春から夏には最も多く流通しているはず。
(それなのに、品薄?)
薬草が品薄になる理由はいくつもある。
天候不順。自然災害。あるいは乱獲。
けれど、ここ最近、ミネルヴァに自然災害の類が起こったとは聞いたことがない。
(ミネルヴァで、何か起きているのかもしれない)
私は静かに店を出た。今度調べるべきなのは、ペリーヌ男爵だけではなくて、ミネルヴァ王国なのかもしれない。
***
私が再び王宮書庫室へ戻った時には、既に日は沈み始めていた。
本来なら、外部の人間である私がこの時間帯に入室することはできない。
けれど、王妃が発行した許可証があれば、近衛兵も何も言わずに通してくれた。
(便利だけど……少し複雑ね)
王妃の命令でここへ来たわけではない。
自分の意思で調べたいと思ったから、許可を借りただけ。
それでも、この力を利用しているような気がして、少しだけ後ろめたさを覚えた。
私は気持ちを切り替えるように、書架へ視線を向ける。
目的は、ミネルヴァ王国の最新資料。
けれど——。
「……届かない」
目当ての資料は、私の背丈よりも少し高い場所に並べられていた。
手を伸ばしても、あと少し届かない。
もう一度背伸びをした、その時だった。
「ミレイナ嬢?」
突然聞こえた声に驚き、振り返ろうとした瞬間、指先に引っかかっていた資料が、音を立てて床へ落ちた。
元から封が緩んでいたのか、中の紙がばらばらと散らばる。
「お見苦しい所をお見せしてすみません……」
私は突然の声の主であるロアン様に頭を下げると、床に散らばった資料を集め始めた。
「……いえ、こちらこそ。突然声をかけて驚かしてしまいましたね」
ロアン様のことだから、すぐにその場を離れられると思ったが、彼は意外にも資料を拾うのを手伝ってくださった。
「こんな時間に書庫室に居られることをリオン殿下はご存知で?」
「いえ、今日は王妃殿下に許可を頂きました」
「王妃殿下……ですか?」
眼鏡の奥の鋭い眼差しがこちらへ向く。
(もしかして、疑われてる?)
無理もない。王妃殿下とリオン殿下は、決して良好な関係ではない。
「あ、あの……決して殿下を害そうなどとは——」
「これは」
ロアン様は私の言葉を遮るように、手元の資料へ視線を落とした。
「ミネルヴァ王国の資料ですか?」
「あ、はい。少し気になることがあって……」
「気になること?」
私は少し迷った。けれど、隠しても仕方がない。
「ペリーヌの薬屋をご存知ですか?」
「はい。最近王都で流行りの薬屋ですね」
「そうです。そこの大元のペリーヌ商会はサウザンド国にあります」
そこまで話すと、ロアン様は何かを考えるように視線を伏せた。
(さすが、優秀なお方……これだけの情報で気付かれるなんて……)
「今日、王都の薬屋に行ったんですが、そこでトーキを初めとする北部で採れる薬草が品薄だと聞きました」
「それで調べに?」
「はい。近年、ミネルヴァで大雨や干ばつの類は聞いたことは無いので、何かあるかと思って……」
「あなたは本当にフェリエール伯爵家の令嬢ですか?」
「……え?」
「いえ、失礼しました」
拾い集めた資料を閲覧机に持っていくと、何故かロアン様も着いてきた。
「そこまで聞くと私も気になりますから」
彼は左手でメガネを正すと、資料を半分自分の手元に移動させて確認し始めた。
「ロアン様はお忙しいのでは……」
「本日締めの仕事は終わりましたので」
ロアン様はそう言うと黙々と資料を確認していく。私もそれ以上は何も言わず、資料に目を通した。
「ミレイナ嬢、少しいいですか?」
「はい」
「この輸入記録なのですが——」
ロアン様が指さした場所に視線を下ろすと、確かに近年、薬草の輸入量は減っているようだった。
「加えて近年、流行りだったカシミヤや羊毛の類もこの冬だけ輸入量が減っていますね」
「あんなに流行って、品不足だったのに……」
「単なる人手不足か……」
「でも、こちらの資料では、近年畜産業に従事するためにミネルヴァに移住する人が多いと——」
ロアン様は何か厄介なことを思いついたように眉間に皺を寄せる。
「……後はこちらでもう少し詳しく調べてみます」
「ですが——」
「ミネルヴァ王国に関する情報収集は、外交準備の一環です」
眼鏡を押し上げながら、彼は続ける。
「つまり、リオン殿下の補佐をする私の仕事です」
「分かりました。ですが、リオン殿下には私が調べていることは黙っていてくれませんか?」
「……?」
「……他意はございません。ただ、私が色々調べていると止められる気がして」
「分かりました。ミレイナ嬢が関わられていることは殿下にお伝えしません」
そう言うと、ロアン様は少しだけ目を細めた。
「ですが、無茶だけはなさらないでください」
その言葉に、私は思わず頭を傾げた。
「ありがとうございます」
「殿下が心配される理由が、少し分かった気がします」
「え……?」
「いえ。独り言です」
ロアン様はそれ以上何も言わず、資料を持って書庫室を後にされた。
その後、私は伯爵邸に戻った。ミネルヴァ王国については恐らく私よりロアン様の方が詳しい事を調べることができるだろう。
なら、次に私にできることは——。
外交期間中、アレン殿下の動きを注視すること。
そして、ペリーヌ男爵が殿下へ近付く隙を作らないこと。
(そのためには……)
私は小さく息を吐いた。
(アレン殿下から、ある程度の信頼を得る必要がある)
前世では、私はアレン殿下の婚約者だった。
だから、彼の隣に立つことができた。
公式の場でも、外交の場でも、自然に彼の側にいることができた。
でも今の私は違う。
私は第二王子の婚約者ではなく、その姉という立場。
王妃殿下の命令によって補佐を任されているとはいえ、夜会で隣に立つことも、彼の行動を制限する権利もない。
このままでは、ペリーヌ男爵がどのような手段でアレン殿下へ近付くのか分からない。
前世のように、気付いた時にはもう手遅れ——そんな未来を繰り返すわけにはいかない。
(だったら、アレン殿下に近付くしかない)
そう思った瞬間、胸の奥が重く沈んだ。
(……でも)
正直に言えば、怖い。アレン殿下は、私を殺した人だから。
今でも、あの時の冷たい声と向けられた憎悪も忘れることはできない。
けれど、アレン殿下が最初から全てを偽っていた人だったのかと言われれば、そうとも言い切れなかった。
彼は決して優しい人ではなかった。けれど、王妃のように私を道具として扱うこともしなかったし、他に側妃を娶ることをなさらず、それなりに大切にしてくださった。
だからこそ、分からない。
(どうして……)
どうして最後に、私は殺されたのか。
あの時、アレン殿下は言った。リオン殿下を苦しめるためだと。
けれど――。
(私とリオン殿下には、ほとんど接点なんてなかった)
前世の私は、リオン殿下と親しく話したことすら数えるほどしかない。それなのに、なぜ。
(誰かが、アレン殿下に何かを吹き込んだ……?)
もしそうなら、アレン殿下が私を憎む理由を作った人間がいる。
(リオン殿下が、私を特別に思っていると……そう信じ込ませた人が)
その瞬間、背筋を冷たいものが走った。
もし、私の知らないところで誰かが動いていたのなら。
もし、その人物が今回も同じようにアレン殿下へ近付くのなら——。
(知らなければ)
私はぎゅっと手を握る。もう二度と、同じ未来を繰り返さないために。
あの時、何もできなかった私のままではいないために。




