3-11.恋情
side リオン
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リオンは慌てて追いかけようと馬車を降りたが、彼女は既に伯爵邸に入って行くところだった。
「……逃げられちゃったね」
ほんの少し前まで、そこにはミレイナがいた。
頬を真っ赤に染め、小さな白い箱を両手で抱えながら、震える声で「受け取っていただけたら嬉しいです」と言った彼女。
返事を待つことすらできず、「おやすみなさい!」と逃げるように屋敷へ駆け込んでいった後ろ姿が、今も鮮明に脳裏へ焼き付いている。
思い返しただけで、自然と口元が緩んだ。
「……本当に」
(可愛い……)
その一言では足りないくらいに。
隣でクリステールは自分の存在を知らせるように小さく咳払いした。
「殿下、追いかけますか?」
「追いかけたいけど……今日は我慢するよ」
「そうですね」
リオンは手の中に収まった白い箱の蓋に視線を落とし、大切なものを慈しむように、そっと指先で優しく撫でた。
王族として数え切れない贈り物を受け取ってきた。名工の剣も、宝石も、各国から献上された美術品も。けれど――
こんなに嬉しい贈り物は、生まれて初めてだった。
ゆっくりとリボンを解いて、箱を開けると、白い布の上でクラバットピンが夕陽を受け、静かに光を返した。
この白金にパープルダイヤは誰がどう見たってリオンの容姿を連想させる。
それに、この石には見覚えがある……。
「ふ……っ」
耐え切れず、笑みが零れた。肩が小さく震える。
笑ってはいけない。落ち着かなければ……。そう思うほど、込み上げるものを抑えられない。
片手で口元を覆うけれど、隠しきれないほど口角が上がってしまう。
「反則でしょ……」
掠れた笑い声と一緒に、本音が零れ落ちた。
今、自分がとんでもなく情けない顔をしているのは予想できた。
彼女の前では、何年もかけて築いてきた王子としての仮面がいつも簡単に壊されてしまう。
だけど、彼女が今日、自分のことを考えて、悩んで、選んでくれたのだと思うと、嬉しすぎて胸が苦しくなりそうだった。
ドレスのお礼。彼女にとっては、それだけなのだろう。それくらい分かっている。分かっているのに、期待してしまう。
好きな女性が、自分のことを思い浮かべながら選んでくれたアクセサリー。
そんなものを渡されて、平静でいられる男がいるなら会ってみたい。
「ねぇ、クリス……。少しは期待してもいいのかな」
クリステールはそれを聞いて、ふっと笑った。
「期待なさっても、よろしいのではありませんか?」
「え?」
「女性が殿方へ装身具を贈るというのは、それなりの意味がございます」
「意味って?」
「ご存知ないのですか? だから殿下は令嬢からの贈り物を今まで拒否されているのかと……」
「いいから、教えて」
クリステールは少しだけ口元を緩めた。
「一般的には、『いつも身近に感じていてほしい』というお気持ちが込められることが多いかと」
「……」
「もちろん、お礼として贈られる場合もございます!」
「………」
「ですが、ご自身で選ばれた装身具を異性へ贈るのは、決して軽い意味ではございませんよ」
「……」
「殿下?」
あまりにも反応が無いので、クリステールは不安になってリオンの顔を覗き込むと、彼の白磁の肌は耳まで赤く染っていた。
「見ないで」
リオンはそれを隠すように手をかざす。
クリステールは何も言わなかった。というより言えなかった。
普段、政務や公務であそこまで感情を隠している主が、好きな人からアクセサリーをもらった、たったそれだけで、幸せを隠しきれていない。
今の主君は、第一王子ではなく、一人の二十歳に満たない青年に見えた。
「殿下」
「何?」
「少し遠回りされてから王宮へ戻られますか?」
「……そんなに酷い顔してる?」
「幸せそうで私は好きですよ」
「うるさい」
リオンはもう一度クラバットピンを見つめる。
紫の宝石へ触れる指先は、どこまでも優しかった。
まるで壊れ物に触れるようで、その姿は彼女自身に触れるようだった。
「早速つけてもいいかな?」
「外交まで待たれないんですか?」
「駄目。待てない」
「ですが、そうするとお決まりのアレができなくなりまよ?」
「あぁ、そうだね。それも惜しいね」
お決まりのアレとは、アクセサリーを贈ってもらった際に、相手につけてもらうというお決まりの風習のようなものだ。
きっと、真っ赤になりながらつけてくれるのだろう。そんな彼女を見たかった。
「仕方ない。我慢するよ」
そう言いながらも、リオンはもう一度、紫の宝石へ指先を添える。
「……待ち遠しいね」
小さく呟くと、クリステールは笑った。
それは外交ではなく、彼女と並ぶ未来を待ちきれない青年の声だった。




