3-10.一目惚れ
グレイス夫人は何枚もの布を重ねながら、完成図へさらさらとペンを走らせる。
藤色を基調に、胸元には繊細な銀糸の刺繍。
裾へ向かうにつれて、夜明けを思わせるグラデーションはとても綺麗だ。
「……素晴らしいドレスになりますわ」
優しく微笑まれ、胸が温かくなる。
「ありがとうございます」
「では、急ピッチで仕立てますので二週間後に試着に来てください」
「ありがとうございます。楽しみです」
「他になにかございますか? なければ殿下をお呼びしますが……」
「あ、あの……私からも、殿下に何かお送りしたくて……」
ただの社交辞令では無くて、今日、このような時間をくださった殿下に何かお礼がしたかった。
「ですが、お恥ずかしい話、伯爵家にはあまり余裕が無くて、この位しか自由にできるお金がございません。その……王族の方がお召しになるようなお品なんて、到底……」
相手は王族、ましては第一王子。中途半端な品を贈るくらいなら、何も贈らない方がいいのではないか――そんな考えまで頭をよぎる。
だけど、グレイス夫人はまるで昔からの知人のように優しく微笑んで、私の手をギュッと包み込んでくれた。
「ミレイナ様は殿下の特別なお方。きっとこれからもご贔屓にしてくださると思いますから……初回ですしお値下げ致しますよ」
「そんな……申し訳……」
「商売人としてはよくある話ですわ。その代わり、また殿下とお店にいらしてくださいませ」
「……ありがとうございます」
「では早速、お品物を決めましょうか」
「その、出来ればさりげなくつけれるような物が良くて……その、クラバットピンなんてどうでしょうか?」
「素晴らしいと思いますわ。殿下の好まれる服装に合うものをいくつか取ってまいりますね」
夫人はそう言って棚の奥へ歩いていった。
壁一面に並ぶ引き出しの中から、いくつか細長い箱を取り出していく。
机の上へ一つずつ並べられた箱は、どれも上質な木箱だった。
その中で私の目を引いたのは1番左端の物だった。
白金を基調にした、気品ある一本で、繊細な細工にパープルダイヤモンドがあしらわれている。
(……殿下の瞳みたい……)
「……これが、いいです」
私がそのピンを指さすと、グレイス夫人はフッと微笑む。
「理由を伺っても?」
少し照れながら、選んだクラバットピンを見つめる。
「……殿下らしいと思ったんです。それと……後は一目惚れです……」
恥ずかしくなって小さく笑うと、夫人は優しく笑った。
「実は、殿下がミレイナ様用にと選ばれた装飾品の中にも、パープルダイヤが使われておりますわ」
「それは……つまり……」
「お揃いです。
きっと殿下も、お喜びになります」
殿下とお揃い……。何だかくすぐったくて、心がふわふわするような感覚になる。
「……ありがとうございます」
その後、夫人自らクラバットピンを包んでくれた。私は小さな箱を受け取り、そっとバッグの奥へしまい込む。
少しすると、針子さんに呼ばれたリオン殿下がヒョコっと姿を見せる。
殿下のことを考えて贈り物を買ったからか、何だか殿下の目を直視できなかった。
「終わった?」
「はい。お待たせしました」
「全然大丈夫。
それより疲れたでしょ? お疲れ様」
(本当に優しい人……)
今日だけでまた、殿下のことが好きになりすぎてしまった気がする。
「それでは、お見送りいたします」
グレイス夫人が深々と頭を下げる。
「今日は本当にありがとうございました」
「こちらこそ。無理を聞いてくれて助かったよ」
「とんでもございません。またいつでもお声掛けくださいませ」
そう言って夫人は私へも柔らかな笑みを向ける。
「ミレイナ様。またお会いできる日を楽しみにしております」
「はい。本日はありがとうございました」
店を出ると、夕暮れの柔らかな陽射しが石畳を黄金色に染めていた。
馬車の扉が開かれ、リオン殿下がいつものように手を差し伸べてくださる。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
その手を借りて馬車へ乗り込む。向かいへ座った途端、バッグの中の小箱の存在が急に大きく感じられた。
(……渡さなきゃ)
そう思うのに、喉まで出かかった言葉はどうしても口にならない。
そんな中、馬車がゆっくりと走り出した。
「今日はどうだった?」
リオン殿下が穏やかに尋ねる。
「楽しめた? 」
「は、はい!
どのドレスも素敵で……。楽しかったです」
「それなら良かった」
その笑顔を見ると、また胸が温かくなる。
(このタイミングなら……)
バッグへそっと手を伸ばす。
「殿下」
「うん?」
「……」
殿下は私が話し始めるのを優しく待ってくださる。けれど、たった一言の勇気が出ない。
「きょ、今日は本当にありがとうございました」
結局、そんな当たり障りのない言葉しか出てこなかった。
「こちらこそ」
リオン殿下は少し首を傾げる。
「何か他にも言いたいことがあった?」
「い、いえ!」
慌てて首を横に振る。
「何でもありません!」
その反応がおかしかったのか、リオン殿下はくすりと笑った。
「そう?」
「はい……」
(言えなかった……)
私はバッグをギュッと握りしめる。
その後も、街並みを眺めながら他愛ない会話が続いた。
ここのパティスリーが美味しいだとか、このお店は最近流行りだとか……。
リオン殿下は楽しそうに話してくださるのに、私は相槌を打ちながらも頭の中は小箱のことでいっぱいだった。
そんな私の変な様子に気付いたのか、向かいに座るクリステールが、首を傾げる。
「ミレイナ嬢、気分が優れないですか?」
「大丈夫? やっぱり疲れたよね」
「い、いえ……! 大丈夫です!」
「私たちの前では無理しなくていいよ」
「殿下の仰る通りです」
(完全にタイミングを逃しちゃった……)
やがて馬車がゆっくりと速度を落とすと、見慣れたフェリエール伯爵邸の門が見えてきた。
「到着いたしました」
御者の声が響く。
(……終わっちゃう)
胸がぎゅっと締め付けられる。
このままでは、せっかく選んだプレゼントを渡せないまま終わってしまう。
クリステール様とリオン殿下が先に馬車を降りて、殿下がいつものように振り返り、手を差し出してくださった。
「足元に気を付けてね」
「はい」
その手を借りて地面へ降り立つと、夕暮れの風がふわりと髪を揺らす。
「今日は付き合ってくれてありがとう。色んなミレイナ嬢が見れて楽しかったよ」
「私の方こそありがとうございます」
「疲れただろうから早く休んで。また何かあったら知らせて」
「はい」
「じゃあ名残惜しいけど、またね」
おふたりが馬車に戻られ、クリステール様が馬車の扉を閉めようとした、その瞬間――。
「……で、殿下!」
思わず大きな声が出た。
リオン殿下が馬車から顔を出す。
「どうしたの?」
胸がどきどきと音を立てる。
私は勇気をだしてバッグの中から白い小箱を取り出し、両手で大切に抱える。
「その……受け取っていただきたい物があって……」
「……?」
「ブティックに連れて行ってくださって、素敵なドレスを作ってくださって……その楽しい時間のお礼をしたくて」
ぎゅっと箱を握りしめる。勇気を振り絞り、小箱を差し出した。
「その、大したものではないのですが……殿下に似合うと思って選んだので、受け取ってください」
「……私に?」
リオン殿下は驚いたように目を瞬かせる。
それから、とても大切なものを受け取るように、そっと箱を両手で包み込んでくれた。
「……ありがとう。大事にする」
その声は、いつもよりずっと柔らかく聞こえた。
「開けてもいい?」
「は、はい……!」
どんな反応をされるんだろう。もし、お気に召さなかったら。そんなことを考え始めたら、もう限界だった。
「そ、それでは私はこれで失礼します!」
「え?」
返事を待つこともできず、ぺこりと頭を下げる。
「お、おやすみなさい!」
私は半ば逃げるように屋敷へ駆け出した。背中に西日を受けながら、石畳を急ぐ。
(どうしよう、どうしよう……!)
胸がいっぱいで、息が苦しい。あんな渡し方で良かったのかな。もっと可愛い渡し方できたら良かったのに。失礼だったよね。
もっとちゃんとお礼を言うべきだったかもしれない。
それでも、ありがとうと言ってくださった殿下の優しい声を思い出して、自然と口元が緩んだ。
(受け取って……くださった)
それだけで十分だった。
今夜はきっと眠れない。そんな予感に胸を熱くしながら、私は玄関の扉を開いた。




