3-9.ブディック
「それでは、こちらへどうぞ」
案内された部屋には、大きな姿見がいくつも並んでいた。
壁一面には色とりどりの生地見本が飾られ、柔らかな光を受けて絹やサテンが波のように煌めいている。
「さあ、皆さん。今日は腕の見せ所ですよ」
グレイス夫人がパンと手を叩くと、その場の雰囲気が変わり、職人たちが慌ただしく動き始めた。
「まずはサイズを確認いたしますね」
肩幅、腕の長さ、首回り。慣れた手つきで採寸が進んでいく。
「失礼いたします」
腰へメジャーが添えられ、裾丈を測るために軽くスカートを持ち上げられる。
「まずは既製品からご案内致しますね」
エレノア・グレイスのドレスは既製品でもなかなか手に入らないことで有名で、その噂通り、美しいドレスが次々と運ばれてくる。
淡い水色、薄桃色、黄緑、深い紺。どれも息を呑むほど美しいドレスだ。
「こちらへ」
着替えを済ませると、グレイス夫人が裾を整えてくれる。
肩や腰へ細やかな調整が入り、あっという間に体へ馴染んでいく。
「さすがですね……」
思わず感嘆すると、彼女は小さく笑った。
「殿下が女性をお連れになるのは、初めてなんです」
「え……?」
思わず振り返る。グレイス夫人は細部を整えながら、優しく微笑んでいた。
「女性用のお召し物をご依頼になるのも、こうしてご一緒に来店されるのも初めてなので、朝から店は大騒ぎでした。ですので皆、気合いが入っているのです」
夫人はクスリと上品に笑う。殿下と私の関係は皆さんが想像しているものではない。
だけど、純粋に嬉しかった。
その後もドレスに似合う装飾を見繕いながら話を続けてくれた。
「殿下は昔から、ご自身のことには驚くほど無頓着なお方でした」
「そうなんですか?」
「ええ。礼服も宝石も『揃えられたものを着る』という感じで……。ですが、今日の依頼は違いました」
彼女はまるでその時の声を思い出すように目を細める。
「彼女に似合うものを、彼女が心から喜んでくれるようなドレスをと」
(そんなことを……)
知らなかった。リオン殿下は何も言わなかったから。今日もサラッと誘ってくださったから、そこまで考えてくださっていたなんて思いもしなかった。
「殿下は……本当に、お優しい方です」
思わず漏れた言葉に、グレイス夫人はふっと笑う。
「優しいだけではございませんよ」
「え?」
「殿下は、大切なお相手にはとことんお心を砕かれる方です」
"大切な相手"その中に、自分も入っているのだろうか。
(……そうなれたら嬉しい)
例えそれが、恋情や愛情の類いでないとしても、友人や知人として彼のそばに居られたら十分。
私は今、殿下の隣で外交という大切な役目を任せてもらえている。まずはその期待に応えたい。
視線を落とす私を見つめ、グレイス夫人は優しく声を掛けた。
「出来ました!」
顔をあげると、そこには見慣れない自分がいた。私の体型や好み、性格までも考えられたようなデザインのドレスに思わず声が出る。
「綺麗……」
「はい、とてもお似合いですわ。ですが、最終的な判断は別の方にお願いしましょう」
グレイス夫人は悪戯っぽく微笑み、扉へ向かう。
「殿下、お入りくださいませ」
扉が静かに開き、姿を表した殿下と目が合った瞬間、藤色の瞳が僅かに見開かれた。
「……殿下?」
不安になって声を掛けると、リオン殿下はゆっくり微笑んだ。
「凄くいい。可愛いね」
「……え?」
「とてもよく似合っている」
あまりにも迷いのない一言に、頬が熱くなる。
「そのドレスのまま連れて帰りたいくらい」
殿下の甘い言葉にに胸がくすぐったくなった。
「まぁ、殿下が女性を口説かれる姿を目にする日が来るなんて」
「エレノア」
そう言う殿下のお顔は心做しか赤みをさしているように見えた。
その後も次から次へとドレスを試着した。
殿下からすれば待ち時間が長いだろうし、着替えたドレスを見せられるだけの時間なはずなのに、どれを着てもちゃんと見てくれた。
「綺麗だね。晩餐会にちょうど良さそう」
「これはちょっと露出が多すぎるから駄目」
「可愛い。女性受けもいいんじゃない?」
そんな殿下をグレイス夫人は「今日は何度"可愛い""綺麗"と仰るのか数えてしまいそうです」なんて言って揶揄っていた。
お世辞や社交辞令なのは分かっているけれど、それでも好きな人がこうして褒めてくれるのは嬉しかった。
それに、なんとなく、昔、母と一緒にドレスを選んだことを思い出した。
母と殿下はなんとなく趣味が合う気がする。
「エレノア」
「はい、殿下」
「仕立てるドレスなんだけど、私の要望だけじゃなくて彼女の意見も聞いて欲しい」
「分かりました」
「うまく言えないけど、彼女が笑顔になれるドレスにして」
何となくだけれど、試着の間、殿下はドレスを見ているのではなくて、ずっと私を見てくれている。
そんなことに気付いてしまってからは、まともに目を合わせられなくなった。
「ありがとうございます、殿下」
赤面する私の代わりにグレイス夫人が穏やかに声を掛ける。
「では、お着替えの後にオーダーメイドのお打ち合わせに入りますので、もう少しだけミレイナ様をお借りしてもよろしいでしょうか」
「もちろん」
リオン殿下は頷きながらも、私を見る。
「疲れていない?」
「はい、大丈夫です」
「それなら良かった」
「無理はしないでね」
「……はい」
殿下はほっとしたように笑うと、私の頭をポンポンと撫でてくれる。
その手の温もりがほっとするような、くすぐったいような感覚がして不思議だった。
***
着替えを終えた後、私はグレイス夫人のと部屋を出て、応接室の前を通り過ぎようとした。
ふと振り返ると、リオン殿下は椅子へ腰掛けることなく、扉の前でこちらを見送っていた。
目が合うと、穏やかに微笑み、小さく手を振ってくれる。
それだけで胸がいっぱいになり、思わず私も小さく会釈を返した。
「本当に……大切にされていますね」
「……?」
「夫婦や恋人同士で来られるお客様も多いですが……ここまでずっと付き添われる殿方はいらっしゃいませんよ」
「大抵は途中で店を出られたり、応接室でうたた寝されたりしますから……」
「殿下は律儀な方です。ご公務でお忙しいのに……」
「ミレイナ様。こういう時は素直に喜んでください。特に好きな殿方の前では」
"好きな人"その言葉に顔が耳まで赤くなる。
「は……はい。努力します」
「では早速、お打ち合わせを始めましょう」
夫人はそう言って、一冊のデザイン帳を差し出す。
そこには様々なドレスの意匠が丁寧に描かれていた。
「ここにあるのは、殿下から予め伺っていたイメージを元にデザインしたものです」
夫人は真っ直ぐ私を見つめた。
「ですが、殿下のご希望を叶えるだけでは、意味がございません!」
「……え?」
「そのドレスを着るのはミレイナ様です」
静かな、それでいて確かな声だった。
「誰かのためだけに装うのではなく、ご自身が"着たい"と思える一着でなければ、本当に美しい笑顔にはなれませんから」
「今回はミレイナ様のお気持ちを、お聞かせください」
「私の……」
「深く悩まれる必要はありませんわ。そのドレスを着て誰と歩きたいか、誰に綺麗だと思われたいか、そんな所からでも構いません」
脳裏に浮かぶのは、あの人の姿だった。
陽光を受けて輝く白銀の髪。そして、優しく細められる藤色の瞳。自然と唇が綻ぶ。
「……私」
「薄紫色のドレスが着てみたいです」
「殿下の……瞳の色のような……」
ゆっくりと、自分の希望を一つ一つ伝える私の言葉をグレイス夫人は頷きながら耳を傾けてくれた。
「夜会で……その色を纏って殿下と踊ってみたい……です」
少し照れながら口にすると、不思議なくらい心が軽くなった。
前世では、誰かに求められるまま装うことばかりだった。
王妃の期待、第二王子妃としての体裁、周囲の評価。
そればかりを気にして、自分が何を着たいのかなんて考えたこともなかった。
だけど今回は違う。このドレスは、自分の意思で纏う一着になる。
グレイス夫人は小さく息を吐いてから、ふわっと優しい微笑みを浮かべる。
「……そうですか」
その微笑みは職人としてではなく、一人の大人の女性として、何かを悟ったような微笑みだった。
「最高の一着を、一緒に作りましょう」
それから私は、グレイス夫人と一緒に舞踏会で着るドレスを考えた。
殿下の正装との調和、舞踏会で映える色合い。サウザンド国の文化への敬意。外交の場にふさわしい装い。
一つ一つ意味を考えながら選んでいく時間は、不思議なくらい楽しかった。




