3-7.共闘
「今回の外交、表向きはサウザンド国との友好関係の強化なんだけど……」
「本命は別、ですよね」
その途端、部屋が静まり返った。
ロアン様が眼鏡の奥からこちらを見る。
殿下は少しだけ目を見開いた後、ふっと微笑んだ。
「……気付いていたの?」
(どうしよう……)
前世の記憶があるからなんて言えないし、かと言って自分で思いついたというのは嘘をつくようで申し訳ない。
「その……資料を読んでいて、違和感を感じていて……ミネルヴァとの国境問題によるもの、ですよね?」
私の回答にリオン殿下は小さく頷いた。
「その通りだよ。サウザンド国はきっと、同盟強化の中に軍事支援を求めてくる」
私は思わず息を呑む。前世と同じだ。
「殿下は同意されるおつもりですか?」
「条件次第だけど……。国益になるならね。だけど、北方の平和を維持するためには、ミネルヴァとも対話を続ける必要がある」
リオン殿下は地図を指先でなぞる。
「どちらか一方の味方になるのではなく、橋渡し役でいることが、この国には一番利益になるからね」
私は思わず息を呑んだ。
(前世と同じ……)
この時点で、もうそこまで見えていたんだ。
前世のリオン殿下は、誰よりも先を見据えて動いていた。それでも外交は失敗した。
私は前世では何もできなかった。でも、その記憶があるからこそ、今回は動ける。私はもう、同じ未来を黙って見送るだけの私じゃない。
その決意が胸の奥で静かに形になる。
「ミレイナ嬢」
ふいに名前を呼ばれて顔を上げると、リオン殿下は困ったように微笑んでいた。
「難しく考えなくて大丈夫」
リオン殿下は笑ってペンを置く。
「外交って言えば大層だけど、要は人と人との付き合いだから」
「ほら、友人をつくふ時も、初対面でお願いばかりされたら困るでしょ?」
「……はい」
「まずは相手を知る。自分を知ってもらう。信頼してもらう。外交も同じだよ」
「だから交渉や視察だけではなくて、茶会や晩餐会があるんですね」
「さすが、理解が早いね」
「ありがとうございます」
殿下のお話は不思議なくらい分かりやすい。私が理解したことを確認してから次へ進んでくれる。
理解を急かしたり、置いていくことなく、ちゃんと表情を見ながら進めてくださる。
「他に何か質問はある?」
「……私が気をつけることとか、何かできることはありますか?」
顔を上げると、殿下は少し驚いたようにこちらを見ていた。
「そうだね。外交の場では男女で別れることがよくあって、女性は茶会なんかで友好を深めたりするんだけど……」
そう、外交ではよくあるシチュエーションだ。本来であれば夫人や婚約者、姉妹、母親がこの役目を引き受ける。
だけど、殿下にはその役目を引き受ける人が居ない。
「その、私の身分で良ければお手伝いしたいのですが……私に務まるでしょうか?」
殿下はふっと笑う。
「君が思っている以上に君の立ち居振る舞いは素晴らしいよ。ね、ロアン?」
「はい。先日の夜会では母も褒めていました」
ロアン様のお母上、キャンベル公爵夫人はマナー講師として有名なお方。前世ではリオン殿下の婚約者になったペルシャンティ公爵令嬢の妃教育係もされていた方だ。
「こ、光栄です……」
「じゃあ、決まりだね」
本当は茶会なんかはあまり得意ではないけれど、殿下のためになると思うと嬉しかった。
「精一杯頑張ります!」
私がそう答えると、殿下は「あんまりコンを詰めすぎないようにね」と笑った。
その後も、外交の準備を進める中で疑問に思っていたことを色々質問したけど、殿下は一つ一つ丁寧に教えてくれた。
「他にも聞きたいことがあったらなんでも聞いて。外交に関することは王宮に手紙を出してくれたらいいから」
「あ、ありがとうございます」
「じゃあ、一旦ここまでかな」
顔を上げると、リオン殿下は地図を畳みながら、小さく息を吐いた。
先ほどまでの外交の話をしている顔ではなかった。
何か別のことを考えているような、言うべきか迷っているような、そんな顔だ。
「殿下?」
問いかけると、殿下は思案するようにしてから静かに口を開く。
「もう一つ、伝えたいことが」
「何でしょうか」
その声は落ち着いていたけれど、なぜだろう。妙な緊張感があった。
「王妃はもちろんだけど……外交期間中、兄上にも気をつけて」
その言葉に、私は反射的に息を止めた。その存在を聞けばどうしても前世の記憶が蘇る。
お互いに愛はなくても夫だった人。そして――私を死へ追いやった人。
もちろん今のリオン殿下はそんなことを知らない。
「アレン殿下ですか?」
努めて自然な声で尋ねると、リオン殿下は少しだけ眉を寄せた。その表情に、私は内心驚いた。
兄について語る時のリオン殿下は、いつも慎重だった。
どれだけ理不尽な扱いを受けても、表立って非難することはない。
そんな人が今は明らかに警戒している。
「兄上は……」
そこで言葉が途切れて、しばらく考え込むような沈黙が続いた後、ようやく続きが紡がれた。
「欲しいものは容赦なく自分のものにしようとする」
私は思わず瞬きをした。欲しいもの、その言葉は随分と曖昧な表現だった。だけど、前世の記憶から理解できてしまう。アレン殿下はそういう人だ。
自分が欲しいと思ったものを手に入れるためなら、周囲の事情など気にしない。特に、リオン殿下のモノを奪うことへの執着は異常だった。
「兄上が君に興味を持つと厄介だから」
淡々とした口調だったけど、リオン殿下の指先が僅かに強張っている。
外交の話をしていた時よりも、こちらの方が緊張しているように見えた。
「だから........」
紫色の瞳が真っ直ぐにこちらを見た。
まるで何かを訴えるように。
「兄上には近付き過ぎないで。
可能な限り……私のそばにいて」
(え……?)
私は咄嗟に言葉を失う。それはアレン殿下から私を守るための言葉であって、そういう意味では無い。
分かっているのだけれど、意識しない方が無理だった。
リオン殿下自身も、何を口にしたのか気付いたように、表情が固まった。
「いや……その……。深い意味じゃないんだ。
ただ、心配で……」
そこで再び言葉が途切れて、静かな部屋に窓の外の鳥のさえずりが聞こえる。
そんな穏やかな空間の中で、私だけが落ち着かなかった。
「はい、ありがとうございます」
そう答えると、リオン殿下の肩から、目に見えて力が抜けた。
心の底から安堵したような顔。その反応があまりにも分かりやすくて、思わず笑いそうになった。
第二王子は侮れない。だから呑気なことを言っている場合じゃない。
それでも、殿下が私を気遣ってくださったことが嬉しかった。
(だけど……)
私はアレン殿下に近付かないとは約束できない。
この外交を成功させるためには誰かがアレン殿下の愚行を止める必要がある。そして、それをできるのは恐らく私だけだ。
(ごめんなさい。殿下)
忠告を無視したことを後悔する日が来るかもしれない。
それでも、だからといって行動しない理由にはならない。




