3-5.決意
side リオン
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(今頃、彼女は王妃と謁見している頃だ……)
リオンは稟議書を前にしながら小さく息を吐いた。
(他に方法がなかった)
王妃がミレイナに目をつけた時点で、彼女を今回の外交から遠ざけることはできない。
優秀で、誰かのために自分を犠牲にすることを厭わない彼女を王妃が簡単に手放すはずがない。
ならばせめて、アレンやマリアンナの傍ではなく、自分の目の届く所に置く。それが今のリオンにできる唯一の選択だった。
(本当なら……)
外交なんてものに、彼女を巻き込みたくなかった。
王族同士の思惑も、他国との駆け引き、誰かの欲望も、何も知らない場所で、ただ穏やかに笑っていてほしかった。
けれど――
(今の私には、そこまでの力がない)
王妃から完全に守る力も。
王弟から遠ざける力も。
この王宮という場所そのものから、彼女を逃がす力も。
(だから……これが、今の私にできる最善のはず)
そう思いたかった。
けれど本当は、せめて昨日のうちに、彼女の元へ行きたかった。
王妃に呼ばれることも。
外交に同行することになったことも。
自分が何を考えて、この決断をしたのかも。
全部、自分の口から伝えたかった。
だけど、全てを話して、全てを背負わせることもできない。
守りたいと思うほど、彼女に何もかも伝えられなくなる。
それがひどく矛盾していることは、リオン自身が一番分かっていた。
「はぁ……」
何度目か分からないため息を着いたリオンにロアンが咳払いする。
「殿下、先程から手が一切動いていませんよ」
ロアンの指摘に、リオンは視線を落とす。確かに、目の前の書類は一枚も進んでいなかった。
「殿下、気になるのでしたら会いに行かれたらどうですか?」
隣で資料を整理していたクリステールが心配そうに尋ねた。
「クリスまで殿下の仕事を止める気ですか」
「いいえ」
クリステールは淡々と答えた。
「むしろ、このままでは仕事にならないと思っているだけです」
「……ありがとう、行ってくるよ」
ロアンの呆れたような視線を背に、リオンは執務室を出た。
本当なら、まだ確認しなければならない書類は山ほどある。
今日中に決裁を終えなければ、明日の予定にも影響が出る。
分かっている。分かっているのに、足は自然と王宮の奥へ向かっていた。
(傷付いて無いといい……)
王妃は柔らかい言葉で人を縛る。彼女が辛い思いをしていないか心配だった。
とにかく、彼女がどんな表情でいるのか確認したかった。
「殿下」
隣を歩くクリステールは心做しか嬉しそうだ。
「ミレイナ嬢とお会いになるのはあの日以来ですね」
クリステールの言葉に、あの日、眠った彼女をベットまで連れて行ったことを思い出す。
「……余計なことを言わないでくれるかな?」
「今の殿下は顔が怖いので、少しは頬を緩めて行った方がいいと思っただけですよ」
リオンは苦笑する。確かに、その通りだった。
しばらく歩くと、王妃の執務室から少し離れた廊下に出た。
そして――
見慣れた明るいベージュの髪が見える。
華奢な身体なのに、優雅な立ち居振る舞い。歩く姿だけで分かる。
「……ミレイナ嬢」
名前を呼ぶと、彼女は驚いたように足を止めた。
「リオン殿下……!」
振り返った彼女の顔に浮かんだ笑顔を見て、ホッとした。
(無事でよかった……)
けれど同時に――
彼女の瞳の奥に、ほんの少しだけ迷いがあることにも気付いてしまった。
(……やっぱり)
きっと不安も疑問も沢山あるだろう。
それでも彼女は、いつものように笑っている。
自分の感情よりも、周囲への配慮を優先して。
「王宮へ来ていたんだね」
「はい。少し、お呼びいただいて……」
「外交の件かな?」
ミレイナは驚いたように、その透き通ったブルーグレーの瞳を丸くする。
「君の名前が名簿にあったからね」
「あ……」
彼女は困ったように笑ってから、耳に髪をかけた。昔から何か迷っている時、言いたいことを飲み込んでいる時に見せる癖。
(……全部、話してくれたらいいのに)
そう思う自分に、すぐ苦笑する。
そんな資格はない。彼女に話さなかったのは、自分なのだから。
「殿下、私……今回の外交に同行することになりました」
「うん」
「ご迷惑をお掛けしないよう精一杯務めます」
その言葉に、胸が締め付けられた。
また、彼女は自分が迷惑をかけることばかり気にしている。
「君は本当に……そういうところだね」
自然と笑みが零れる。
「急に指名されて不安だろうから、近々説明の場を設けるよ。また連絡する」
そう伝えると、彼女の肩から少しだけ力が抜けた。
「……ありがとうございます」
その笑顔を見ると、少しだけ安心する。
けれど――
本当は、もっと話したかった。
ごめんね。本当なら君をこんな場所へ連れてきたくなかったと。
だけど、自分にはまだ、君を何もかもから守れるほどの力がないと。
だからせめて――
少しだけ彼女に顔を寄せて、彼女だけに届く声で伝える。
「無理だけはしないで。前みたいに、一人で全部抱え込まないこと」
彼女は目を見開いた後、雪のような白い肌を耳まで赤く染めて、小さく頷いた。
その姿が可愛くて思わず笑ってしまう。
(こんな時なのに……反則だ)
「……努力します」
「それは約束ではないね」
彼女らしい答え。でも、そんなところも、愛おしいと思ってしまう。
「それじゃあ、気をつけてね」
「はい」
深く礼をして歩き出す彼女を、姿が見えなくなるまで見送った。
その背中が角を曲がり、完全に見えなくなってから、リオンはようやく小さく息を吐く。
「……クリス」
「はい」
「今回の外交は、必ず成功させる」
そして――
(君を守れるだけの力を、この手で掴む)
もう二度と、“力が足りなかった”と後悔したくなかった。
リオンは静かに踵を返した。向かう先は執務室。
積み上がった稟議書も、外交の準備も、そのすべてが未来へ繋がっている。
今の自分にできることは、一つしかない。
誰よりも前を向き、結果を積み重ねること。
その先に、ようやく彼女を守れる未来があると信じて。




